いつか帰る場所であるように  第四章


 ブレダを置き去りにするように駆けだしたハボックはだんだんとスピードを緩める。賑わう通りを人々の流れに乗れずにのろのろと歩くハボックの脳裏に幼い日の辛い光景が浮かんだ。
 天高く燃え上がる焔。焔の中から聞こえる絶叫。ゆっくりと崩れ落ちていく家。たなびく青い軍服。
「…っっ」
 ハボックはギュッと目を瞑って唇を噛み締める。頭の中からその光景を追い出すように首を振ると、少し先に見えてきた食料品店へと駆けていった。

「こんばんはー」
 ハボックは持っていた鍵で扉を開けると家の中へと入っていく。家の主はまだ帰っていないらしく、空調の利いた部屋はそれでもひどくうそ寒く感じた。
「大佐、まだ帰ってないのか…」
 ハボックはそう呟くとキッチンへと入り紙袋をカウンターに置く。鍋を取り出すと野菜の皮を剥き、次々と放り込んでいった。
 ひょんなことからロイの家に食事を作りにくるようになって2週間が過ぎていた。ロイから家の鍵と食費を預かって二人分の食事を作る。もともと料理は嫌いじゃなかったが、こうして作るようになると何となくあれを作ってみよう、これも作ってみようと思うから不思議だ。ハボックは鍋に材料と水を放り込むとコンロにかけて火力を調整する。鍋を火にかけておいて冷蔵庫から取り出したビールを片手にリビングへと行った。
 初めて家に食事を作りに来た時はなんとなく作りものめいた部屋の様子に面食らった。脱ぎ捨てた服が椅子にかかっていたりはするものの、それすらディスプレイのように見えるのだ。
「寝るくらいにしか帰って来んからな」
 素直に思ったことを言えばロイがそう言ったのを覚えている。調べものをする書斎はかなり散らかってはいたが、それ以外の部屋は生活の匂いのしない家だった。
「大佐、結婚とかしないのかな…」
 あれだけ華やかな女性遍歴があるにも関わらず、ロイには誰か特定の女性がいるという話は聞いたことがない。いつでも浅く広くが信条であるように、ロイの周りには女性の姿が絶えなかった。
「もう、そろそろ結婚したっていい年だよなぁ」
 中央にいるロイの賑やかな親友は結婚していてこちらに来る度、嫁自慢、娘自慢だ。その上、ロイの顔を見れば二言目には
「家族はいいぞ。お前も早く結婚しろ、ロイ」
 を繰り返すので、ヒューズが帰った後のロイの不機嫌を知っている部下達は余計なことを言わないで欲しいといつも思っているのだった。
 リビングの戸棚に並ぶ、自分の給料では一生かかっても買えそうにない高級な酒のラベルを何とはなしに眺めていたハボックは、ピーッと圧力鍋の鳴る音にキッチンへと戻る。付け合わせのサラダだのなんだのと用意するうちに鍋の中の材料が柔らかくなり、ハボックは蓋を開けるとスープの味を調えた。
「さて、後は大佐が帰ってくればOK、と」
 ハボックはそう呟くと窓の外へと目を向けたのだった。

 仕事を終えたロイは警備兵の運転する車で家へと向かう。司令部からさほど時間がかからずに着いた車から降りれば、闇の中に暖かい灯りを零す家の窓に、ロイは知らず笑みを浮かべた。
 ハボックが家に食事を作りに来るようになって2週間。予定がある時以外、ハボックは律儀に食事を作りに来ていた。食事を作りに来ないかと提案したとき、正直ハボックが頷くとは思ってもみなかった。自分自身どうしてそんな提案をしたのか判らぬまま、プライベートでも時間を過ごすようになって、ロイは思いがけず居心地のいいそれに、驚くとともに満足していた。勿論相変わらず女性とのデートは続けていたから、2週間たったとはいえハボックが食事を作りにきたのはその半分程でしかない。それでもその半分が2週間すべてであるように感じるほど、二人で過ごす時間は充実したものであった。
「ただいま」
 ロイは玄関の扉を開けると奥へと入っていく。途端に鼻孔をくすぐるいい匂いにロイはうっすらと微笑んだ。
「おかえりなさい、大佐。今できますから」
 キッチンから顔だけ出してハボックが言う。ロイはコートを脱ぎながら言った。
「構わんよ、ゆっくり作ってくれ」
 そう言って椅子の背にコートを投げればそれを見ていたかのようにキッチンからハボックの声がする。
「コートと上着はちゃんと掛けてくださいね、皺になっちまいますよ」
「………どこに目がついてるんだ、お前は」
 ロイは眉間に皺を寄せてそう呟くと放り投げたコートを手に取った。仕方ないとコートを玄関先のコート掛けに掛け、2階に上がるとスラックスとシャツに着替える。戻ってくればハボックがちょうどスープの皿をテーブルに置いたところだった。
「ナイスタイミングっス、大佐」
 ハボックが肩越しに振り向いて言う。ロイはニヤリと笑うと席に着いた。
「いただきます」
 二人してそう言うと食事を始める。暖かい食事は腹の底から体を温め、心を温めていった。あらかた食事を腹に納めたところでロイがコーヒーを淹れに席を立つ。残業食を一緒に食べたときに淹れたコーヒーが不評だったのが酷く悔しかったらしく、ロイはハボックが家に食事を作りに来る度コーヒーを淹れるようになっていた。
「どうだ」
 まるで挑むように言って、カップに口を付けるハボックを睨むロイにハボックはクスリと笑う。どこまで負けず嫌いなんだかと思いながらハボックは答えた。
「旨いっスね。挽き方、変えたんスか?」
「店の主人に色々聞いてな。そうか、旨いか」
 ハボックの答えにロイは満足そうに頷く。科学者らしい熱心さでコーヒーの淹れ方を研究するロイをハボックは首を傾げて見つめた。
「アンタ、結構研究熱心でコーヒーなんて旨く淹れられるようになってんのに、料理の方はからきしってのが不思議っスね」
 ハボックがコーヒーを啜りながら言えばロイは眉間に皺を寄せる。なかなか答えないロイをじっと見つめてくる空色の瞳に耐えかねてロイは口を開いた。
「ヒューズに言わせりゃその研究熱心が仇なんだと」
「研究熱心が仇?」
 よく判らないという顔をするハボックにロイが視線をさまよわせる。それでもじっと見つめてくるハボックにロイは一つため息をつくと答えた。
「ついな、この調味料を加えたら旨いかもしれん、とか、この材料を足したらもっと旨くなるかもしれんとか考えてしまってな」
「要するに、味も考えずに色々ぶち込む訳っスね」
「考えてはいるぞ……一応。ただ結果が想像の範囲外なだけだ」
 そんな事を言うロイにハボックがゲラゲラと笑う。ロイが苦虫を噛み潰したような顔をするに至って漸く笑いを引っ込めた。
「そういうお前こそ、それだけ料理ができるとつきあってる女性に嫌がられるんじゃないのか?」
「できるかできないかはともかく、つい口出ししちゃって嫌がられるってことは、まあ…」
 苦笑いするハボックにロイが笑う。
「おかげで旨いメシにありついてるから助かるがな」
「……なんかオレ的にはうれしくない気がします」
 ハボックは唇を尖らせてそう言ったが、ふと真面目な表情になると呟いた。
「まぁ、やらなきゃいけない事済ませてからでないと結婚なんてできませんけどね」
 遊ぶだけ遊んでから結婚するんだ、とか、そんな風にはとても思えない口調で言ったハボックにロイは僅かに目を瞠った。
「やりたいこと?遊び足りないとでも言うのか?」
 それでも敢えてそう尋ねればハボックの表情が曇る。ハボックはほんの少し迷った末呟くように言った。
「探してるんです。ある男を」
「探してる?誰をだ?」
「判りません」
 ハボックの答えにロイが目を丸くする。その顔を見てハボックが苦笑した。
「からかってる訳じゃないっスよ。ただ、名前も顔も判らないんで」
 そう言うハボックにロイは首を傾げる。
「名前も顔も判らない男を捜してどうするんだ?」
「会ってみないと判らないっスけどね。多分…殺してやる、かな」
 軍人である自分達にとって人の死はごく身近な問題だ。ひとたび敵と見なせば殺すことに躊躇っていては自身や仲間の命を危険に晒すことになりかねない。だが、それでも普段陽気でそう言った負の部分を感じさせないハボックの口から出たその言葉に、ロイは返す言葉が見つからなかった。



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