いつか帰る場所であるように  第二十八章


 ざわざわとざわめく木々の音を聞きながらハボックはぼんやりと空を見上げる。一体もうどれくらいここにいたのか、時間の経過すら今のハボックには意味をなさず、座り込んだままハボックは寄りかかっていた墓石に向かって話しかけた。
「ねぇ、母さん。どうしてこんな事になっちゃったんだろう……」
 ここに来てからずっとそればかり考えていたが、思考はぐるぐると同じところを回るばかりで外に向かっていかない。あの日、燃え盛る家の中に飛び込んでいたら何か判ったのだろうか。振り向いたロイの言葉を聞くことができていたら。
「母さん……オレ、どうしたらいいのかな…」
 ロイが仇と判ってもロイへの想いを止められなかった。もしロイが違うと否定したなら例えそれが嘘だと判っていても信じるフリをしただろうに。
 そう考えた途端、怒りの焔をその昏い瞳に宿した父の姿が見えた気がしてハボックはギュッと目を閉じる。
「オレ……オレは……ッ」
 その言葉の後に何と言うべきなのか。ハボックはもうそれ以上なにも考えたくなくて、ギュッと膝を抱え込んで顔を埋めた。

『大変長らくお待たせいたしました。倒木の撤去作業が終了しましたのでまもなく発車致します』
 スピーカーから車掌の声が聞こえて乗客の間からホッとしたため息が零れる。程なくガタンと動き出した列車にロイは閉じていた目を開けた。窓の外を見れば大きくカーブしたレールがずっと延びているのが見える。この先で待っているであろう男は今、何を考えているのだろう。やっと見つけた仇を今度こそ殺そうと思っているだろうか。
 ロイはそう考えてベルトの後ろを探る。そこに留めてあったナイフを引き抜くとその鈍い輝きを見つめた。
「ハボック………」
 そのナイフを持ち主に返す為に、ロイはそれをベルトに戻すと列車の揺れに身を任せた。

「前の列車が倒木の撤去作業の為に停車していたようです」
 遅々として進まぬ列車に苛つくブレダに代わって、様子を聞きにいっていたファルマンが戻ってきて言う。苛々と脚を揺すっていたブレダはパッと顔を輝かせて言った。
「よし、ってことは大佐も足止め食らってたってことだな」
 上手くすればロイの到着からあまり遅れずに着けるかもしれない。ブレダは少し考えて言った。
「車掌に頼んで駅に車を回すように言っておこう。そうすれば少しでも時間が稼げる」
「判りました、手配してきます」
 ブレダの言葉に頷いてファルマンはもう一度席を立つ。
「頼むから早まったことするなよ、ハボ……」
 ブレダは逸る心を抑えながら空を見上げてそう呟いた。

 ロイは列車から降り立つとゆっくりと改札に向かう。駅前の広場に出るとぐるりと辺りを見回した。
「どうするかな……」
 以前サウス・バウンズに行ったときは南方司令部の車を使った。だが、さすがに今度はそういう訳にもいかず、ロイは適当な移動手段を探してあちこちを見る。広場の外れに荷馬車を引いた馬が止まっているのを見つけるとゆっくりと近づいていった。
「ちょっとすまないが」
 ロイは荷馬車の近くに立っている男に声をかける。男は胡散臭そうにロイをジロジロと見つめて答えた。
「なんだよ、俺になんか用か?」
 警戒心丸だしで言う男をじっと見つめてロイが言う。
「すまないがその馬を譲って貰えんだろうか」
「は?」
「金なら払う」
 ロイはそう言って懐の札入れから紙幣を数枚取り出し男の手に握らせる。相場の3倍にもなるであろう金額を目にして男はうって変わって愛想のよい笑みを浮かべると、いそいそと馬を荷馬車から外した。
「どうぞどうぞ持っていってくれ。こいつ、馬力があるからな、きっと役に立てると思うぜ」
「ありがとう」
 満面の笑みを浮かべる男から手綱を受け取るとロイは馬の首を撫でる。その背に手をかけて鞍もない馬に器用に跨った。
「頼むぞ」
 ロイがそう言って馬の首をポンポンと叩けば、栗毛の馬はゆっくりと歩き出す。そうしてだんだんとスピードを上げてロイはサウス・バウンズへ向けて走り出した。

「ヒューズ中佐ッ!」
「おう、ここだ!二人とも!」
 漸くサウス・シティの駅に着いた列車から飛び降りたブレダとファルマンは、大声で名を呼びながら腕を振る男に向かって駆けていく。ヒューズは駆け寄ってきた二人の顔を順繰りに見つめてニヤリと笑った。
「いいタイミングだったな。俺もついさっき着いたばっかりだ」
「いいタイミングかどうかなんてまだ判りませんよ。まだこっから暫く行くんでしょう?車、手配させておきましたんで急ぎましょう!」
 どこか余裕があるように見えるヒューズにブレダは苛々と言って改札に向かって走り出す。太った少尉の素早い動きに、ヒューズはファルマンに苦笑して見せたが何も言わずに後を追った。
 駅前につけた車に乗り込むとファルマンがハンドルを握る。後部座席に並んで乗り込んだ途端、ブレダはヒューズに向かって言った。
「一体全体どう言うことなんです?中佐は全部知ってるんですよね?」
「まあ落ち付けって」
「これが落ちついていられるわけないでしょうッ!ハボが大佐の事殺すかも、なんて言われてんのに!」
 噛みつかんばかりの勢いでグググと詰め寄ってくる恰幅のいい体にヒューズは苦笑する。
「そんなに寄ってこられたら説明もしづらいだろうが」
 そう言うヒューズにブレダは不満げながらも身を引いた。ヒューズはそんなブレダを見、ファルマンがハンドルを操りながら耳をそばだてているのを確認してから口を開いた。
「ハボック少尉の両親の話を聞いたことがあるか?」
「詳しいことは知りませんが、戦争が終わる頃に軍人に殺されたって事は聞いてます。ハボがその仇を探してるって事も」
 ブレダの答えにファルマンが身を震わせる。二人の様子を見てヒューズはゆっくりと言った。
「少尉はロイがその仇だと思っている」
「な……ッ、大佐がっ?!」
 信じられない言葉を聞いてブレダは目を見開く。ゴクリと唾を飲み込んで尋ねた。
「それ、ハボの誤解ですよね?まさか大佐がハボの両親を殺したなんてこと」
 ありえねぇ、と言うブレダにだがヒューズは答えない。まさか、と詰め寄るブレダの肩をポンポンと叩いてヒューズは言った。
「落ち着けよ、まだ何も言ってないだろう?話すと長いんだよ、ゆっくり聞いてろ」
 ヒューズはそう言ってひとつ息を吐くと、あの日あった出来事をゆっくりと話し出した。

 書斎から燃え上がった焔は、少ししてロイが外から放った焔と一つになって家を包み込む。サラは夫の体を抱き締めながらゆっくりと視線を巡らせた。燃え盛る焔の中、大振りな書斎机の上に置かれた写真。そこに写し出されたサラと夫の間で幸せそうに笑う息子の顔を見た時、空色の瞳から涙が零れた。
「ジャン………」
 愛しているわ
 彼女の唇が音にならない言葉を形作ったその直後、二人の上に轟音をたてて屋根が崩れ落ちた。

 ロイは馬の速度を落とすとその背から滑り降りる。道端の木の根元に座るとホッと息を吐いた。
「………」
 ロイは首を伸ばして草を食む馬をそっと撫でてやる。答えるように耳を震わせながら口を動かし続ける馬を撫でていたが、やがてその視線を空へと向けた。
 そこに広がる空色を愛しそうに見つめていたロイは、やがてゆっくりと立ち上がる。
「疲れたろうがあともう少し頼むよ」
 ロイはそう言うと馬の背に跨り、再びサウス・バウンズへ向けて走り出した。

 長い話を終えてヒューズが口を閉ざすと車の中にはエンジンの音だけが響き渡る。あまりに衝撃的なその内容に、ブレダもファルマンも暫くは口をきけずにいた。それでもようやく深いため息をついてブレダが口を開く。
「それが本当なら大佐は仇なんかじゃないじゃないですか」
「そうだな」
「だったら一刻も早くハボにその話を聞かせてやらないと!」
 真実を知ればハボックだってロイが仇だとは思わないだろう。そうすればロイを殺すなんて馬鹿なことは思いとどまるに違いない。ブレダがホッとして肩の力を抜いた時、正面を見据えたままファルマンが言った。
「大佐はどうするおつもりなんでしょう」
「どうって、そりゃハボにホントの事を話すに決まってんだろ。その為にサウス・バウンズまで行ったんだろうが。ねぇ、中佐?」
 そんな事をは当たり前だろうとでも言うように、ブレダはファルマンに答えヒューズに同意を求める。だが、ヒューズが何か言う前にハンドルを握っていたファルマンが口を開いた。
「私にはとてもそうとは思えないんですが」
 ちらりと視線を寄越してファルマンが言う。その言葉にハッとしてブレダはヒューズの顔を見た。
「そんな筈ないですよねっ、中佐。………中佐…?」
 縋るようなブレダの声に、だがヒューズは眉間に皺を寄せて口を一文字に引き結んだまま、前方を睨み続けていた。



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