いつか帰る場所であるように  第二十七章


「どこへ行ったのかしら……」
 もぬけの殻になっている執務室を見回してホークアイは呟く。くるりときびすを返して大部屋の部下達に尋ねた。
「大佐がどこに行ったか、誰かきいていないかしら?」
 ホークアイが執務室に入った時から何か不穏な空気を感じていたブレダ達が互いに顔を見合わせる。その様子から誰にも言わずに出ていったのだと察して、ホークアイは形のいい眉を顰めた。
「大佐、いないんですか?」
 そう尋ねるブレダに頷きながらホークアイが問い返す。
「さっき何か揉めていたようだけど何があったの?」
 そう聞かれてもブレダ自身返すべき答えを持っていない。ブレダは首を振って答えた。
「俺にもさっぱり判らないんです。夕べハボの奴がアパートにやってきて。大佐と何かあったらしいってのは判ったんですが、聞き出す前にいなくなっちまって」
 ブレダはそう言って不満そうに鼻を鳴らして続けた。
「大佐に問いただそうとしても関係ないとか言って……。ハボ、すげぇ泣いてて精神的にエラい参ってたみたいでした。あんなの見せつけられて関係ないってあんまりでしょう?ハボは俺んとこに泣きついてきたんですよ?」
 目を吊り上げて怒るブレダの言葉を注意深く聞いていたホークアイが言う。
「とりあえず大佐の行方が掴めるまで二人は出張に行っているという事にしておきましょう。大佐自身、ハボック少尉のことは出張扱いにしておいてくれと言ってたから」
 ホークアイの言葉に皆が頷いた。だが、それから先のことになると頭を抱えるしかない。
「せめてどこに行ったかヒントになるようなものがあればいいんだけど……」
 流石のホークアイですら途方に暮れたようにそう言った時、電話のベルがジリジリと鳴った。
「誰だよ、この大変な時に…っ」
 一番電話に近いところに立っていたブレダがチッと舌を鳴らして受話器を取り上げる。「もしもし」と言い終わるより早く、受話器の向こうから声が聞こえた。
『ロイはいるか?』
「……って、ヒューズ中佐?」
 せき込むように尋ねる声に、ブレダが目を丸くして相手を確認する。ヒューズはそんな判りきったことに答えるのは面倒だと言わんばかりに短く答えた。
「大佐なら行方知らずですよ」
 ブレダが苛々とした口調で言う。
『行方知らず?どういうことだ、それは』
「どういうってこっちが聞きたいです」
 剣呑としたヒューズの声をブレダは答えた。
「ハボックがどっか行っちまったと思ったら今度は大佐まで。訳も判らずこっちは大騒ぎですよ」
『なんだって……ハボック少尉も行方知らずなのかっ?!』
 ブレダが答えた途端、受話器から怒声のようなヒューズの声が聞こえてブレダは思わず受話器を耳から遠ざける。だが、暫くの間何も聞こえてこないそれに、訝しそうに眉を顰めて受話器の向こうにいる筈の名を呼んだ。
「ヒューズ中佐?」
『サウス・バウンズだ、少尉』
「え?」
『二人ともそこにいる筈だ。今すぐサウス・バウンズに行け』
 突然そう言われてもブレダにはさっぱり話が見えない。「どうして」と理由を問いただそうとしたブレダはホークアイが伸ばしてきた手に受話器を渡した。
「ホークアイです。どういう事でしょう、中佐は何かご存じなんですか?」
 そう尋ねれば受話器の向こうから切羽詰まった声が返ってくる。
『詳しいことは後で話す。俺もすぐ向かうからリザちゃん達もすぐ出てくれ。早くしないと……少尉はロイを殺すかもしれん』
「な…?!」
 ヒューズの言葉にホークアイは目を見開く。だが驚いたのは一瞬でキュッと唇を噛んで言った。
「判りました。今すぐサウス・バウンズに向かいます」
『頼む。俺もすぐこっちを出る。この時間ならさほど違わずにサウス・イーストに着けるだろう。駅で合流しよう。詳しい話はその時だ』
 それだけ言ってヒューズからの電話は切れた。ホークアイが受話器を置いて顔を上げれば説明を求める部下たちの視線とぶつかる。ホークアイは少し考えてから言った。
「ブレダ少尉とファルマン准尉。二人で今すぐサウス・バウンズに向かって頂戴。ヒューズ中佐もあちらから向かうと言っていたからサウス・イーストの駅で落ち合って。詳しい話はその時に聞けることになっているわ。私とフュリー曹長はこちらに残って大佐が戻るまでフォローしておきます」
「「イエス、マム!」」
 ブレダとファルマンは敬礼して答える。ホークアイの瞳に浮かぶ案ずる色にブレダが笑って言った。
「二人ともすぐひっ捕まえて帰ってきますよ」
「ヒューズ中佐はハボック少尉が大佐を殺すかもしれないと心配していたわ。そんな事になる前に二人をお願い」
 ホークアイが口にした穏やかでない話にブレダは一瞬目を見開く。だが、すぐにニヤリと笑って頷くとファルマンと共に司令室を出ていった。
「ハボック少尉が大佐を殺すなんて……一体なにがあったんでしょう」
 不安げに言うフュリーにホークアイは首を振る。
「判らないわ。でも、二人の間に何があったにせよ、そんな最悪の道を選ぶ人たちではないはずよ」
 互いに信頼しあってここまでやってきたのだ。今は二人の間に誤解があったとしても必ず道は開けるはず。
 フュリーにそう言いながら、それはホークアイが自分自身にも言い聞かせているに他ならなかった。

 ガクンと大きく列車が揺れたかと思うとやがてスピードを落としゆっくりと止まる。駅でもない場所に止まった列車の中で乗客が不安そうに互いの顔を見交わしていると、スピーカーから車掌の声が聞こえた。
『線路の上に倒木があるとのことです。撤去作業が済むまで暫く停車いたします』
 その説明に乗客から抗議の声があがる。ロイはそんな彼らを横目で見ると窓の外へと視線を戻した。頭上に広がる空を見上げれば同じ色の瞳を持つ男の事が思い浮かぶ。ふと視線を向けた空っぽの席にハボックが座って優しく笑っているのが見えた気がした。
『ああ、早く帰りたい』
『大佐、今からそんなこと言ってどうするんスか』
 そう言ってクスクスと笑う声を聞いたのはいつだったろう。あの時その場で引き返していれば、今こうして列車の中にいる事もなかったろうに。
 そんな考えが一瞬頭をよぎってロイは苦笑した。遅かれ早かれハボックは知るべきだったのだ。彼がずっと探し続けてきた仇が誰なのか。
 ロイは愛おしいと思えたたった一人の存在を広がる空の色に感じながら、列車が運命の地に向けて再び動き出すのを待った。

「ファルマン、急げっ!」
 発車のベルが鳴り響く構内を走りながらブレダが叫ぶ。改札を走り抜けたファルマンは、ブレダを追い越すとホームを駆けて走り出した列車のデッキの手すりを掴んだ。
「少尉っ!」
 列車に飛び乗ってファルマンは走ってくるブレダに手を伸ばす。腹を揺すってブレダはファルマンが伸ばした手を必死に掴んだ。
「うおおっ」
 ホームがなくなる寸前でブレダはデッキに足を引き上げる。ギリギリのところで何とか列車に飛び乗った二人は、デッキに座り込んでハアハアと息を弾ませた。
「ギ、ギリギリ……」
「よかったですな、間に合って……」
 暫くの間デッキに座ったまま風に吹かれていた二人だったが、やがてどちらともなく立ち上がると列車の中へと入っていく。空いた席を見つけてドサリと腰を下ろした。向かい合って座ったブレダにファルマンが尋ねる。
「一体お二人の間に何があったんでしょうか。殺すかも、なんて穏やかじゃない」
「そうだな……」
 聞かれてブレダはアパートに来た時のハボックの様子を思い出した。
『……否定して欲しかったのに』
『違うって、そう言って欲しかったのに…ッ!』
『どうして…っ?どうして大佐が…っ?』
(否定して欲しかった、って………一体何をだ?)
 ブレダはため息をつきながら首を振る。
「何かを知ってショックを受けたって感じだった」
「ショックを……。何にショックを受けたんでしょう」
「さあな、俺にもさっぱり判らん。とにかくまずヒューズ中佐と合流しねぇと」
 飛ぶように過ぎる景色すら遅いように感じられる。ブレダとファルマンはジリジリしながら列車が目的地に着くのを待った。



→ 第二十八章
第二十六章 ←