いつか帰る場所であるように  第二十六章


「ハボック少尉がいなくなったって……本当ですか?」
 顔中にはてなマークを貼り付けてフュリーが聞く。ブレダはドサリと腰を下ろして答えた。
「夕べ遅くに俺のアパートに来たんだ。様子が変で、大佐と何かあったらしいんだけど、とても何か聞けるような状態じゃなかったからとりあえず寝かせて………朝になったらいなくなってた」
 司令部にくる前にハボックのアパートに寄ったが姿はなかった。もしかしてと僅かな期待を持って司令部に来てみたがこちらにも来ていないという。
「あの野郎、どこ行きやがった」
 ブレダは低く唸った。そうすればいつかハボックに言った言葉が思い浮かぶ。
『大佐となんかあったのか?』
『困ったことがあるなら言えよ。俺に出来ることならするからさ』
 ロイの事に話が及んだとき、ハボックにそう言ったことがあった。だがその時のハボックは困っているというよりもむしろ楽しげで嬉しそうに見えたのだ。
『大丈夫、なにも困ってる事なんてないから。むしろ、その……オレにとっちゃいいこと、かな』
 そう言って照れたように笑う顔を見たのはさほど昔の話ではない筈だ。
「コンチクショウ、ハボに何かあったら絶対ぶん殴ってやる」
 まだ姿を現さない上司に向けて、ブレダは不穏な言葉を吐き出して司令室の扉を睨んだのだった。

 ハアハアと息を弾ませて家への坂道を駆け上がったジャンの目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。轟々と音を立てて燃え上がる家に飛び込もうとすれば、力強い男の腕に引き戻される。眼鏡をかけたその男を睨みつけ振り解こうと必死にもがいたが、その腕から逃れることは出来なかった。
『そいつがお前の家に火をつけたんだっ』
 燃え盛る焔の音に負けじと張り上げられた声。その声の示す方を見れば焔の前に立ち尽くすロイの姿があった。
『どうして……ッ』
 呻くように零れた声は焔と焼け落ちる家の音でロイの届くはずもない。だが、まるでジャンの声に引き寄せられるようにロイの黒い瞳が少年を見つめ、そして───。

「………ッ!!」
 ガタンと大きく列車が揺れてハボックはハッとして飛び起きる。たった今まで見ていた夢に息を弾ませてハボックは向かい側の座席を食い入るように見つめた。そうすれば今は空っぽの席に肘をついて外を見つめる上司の姿が浮かび上がる。
『ああ、早く帰りたい』
『大佐、今からそんなこと言ってどうするんスか』
 そんな会話をしたのは何時だったろう。あの時あのまま帰ってしまえば、今こんなところで列車に揺られていなかっただろうに。せめて両親の墓参りに行こうなどという気を起こさなければ。リヒターが自分の事など忘れ去っていてくれていれば。
「………たいさ…ッ」
 ハボックは血を吐くようにロイの名を呼んで、揺れる列車の窓ガラスに額を押しつけた。

 ガチャリと開いた扉に弾かれたようにブレダが立ち上がる。ロイは食い入るように見つめてくるブレダの視線を無表情に受け止めた。
「大佐、ハボックとなにがあったんです?」
 何の前置きもなくブレダは単刀直入にそう尋ねる。睨みつけるようなその視線にも動ぜず、ロイはブレダに言った。
「ハボックがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって………こっちが聞きたいですよ!ハボの奴、夕べ遅くにひでぇ面して俺んとこ来て!詳しいことは聞けなかったけど大佐と何かあったっていう口振りだった。一度寝かせて、朝に
なったら話を聞こうと思ってたら俺が目を覚ましたときには姿が消えてて……。一体アイツとなにがあったんですかっ、大佐!」
 噛みつかんばかりの勢いでロイに食ってかかるブレダの剣幕に、傍で見ていたフュリーがおろおろと手を振る。止めに入ったものか、どうしようと慌てるフュリーにチラリと向けた視線をブレダに戻してロイは言った。
「ハボックは少尉のところへ行ったのか。それでどこへ行くとも言ってはいなかった?」
「言うどころか朝になったらいなくなってたんですから!どう言うことなんですかっ、判るように説明してくださいよ!」
 ブレダはそう言ってロイに詰め寄る。そんなブレダをロイがじっと見つめた時、ホークアイが司令室に入ってきた。
「………どうかしたんですか?」
 二人の間に流れる張りつめた空気にホークアイは目を丸くして尋ねる。勢いを殺がれたブレダが口を閉ざすの見ていたロイはホークアイに答えた。
「なんでもない。今日はこれから会議だったか?」
「はい」
 ロイがホークアイに今日の予定を聞きながら執務室へと足を向けるのを見てブレダは慌てた。
「ちょっと、大佐!俺の質問に答えてくださいッ!」
 ズイとロイと執務室の間に立ちはだかるようにして言う部下をロイはじっと見つめる。それから表情を変えずに言った。
「少尉、これは私とハボックの問題だ。貴官が気にする必要は全くない」
「な…っ?!そんなわけに行かないでしょうっ!」
 夕べのハボックの姿を思い浮かべればこのまま放っておくことなど出来るはずもない。ブレダが口を開く前にロイが言った。
「仕事に戻りたまえ、ブレダ少尉」
「……ッ!!」
 ロイはそれだけ言って執務室の中へと消えていった。

「大佐、ハボック少尉と何か問題でも?」
 執務室に入り今日の予定を確認した後、ファイルを閉じたホークアイが言う。その鳶色の瞳を見つめてロイは言った。
「いや、たいした問題じゃないよ」
 ロイはそう言ってから少し考えるように押し黙る。それからもう一度口を開いた。
「ハボックには暫くの間出張に出て貰うことにした。そのように手続きしておいてくれるか?」
「出張ですか?ずいぶん急な話ですね……。どこへ行ったんですか?」
 極当たり前の質問をしてホークアイはロイを見つめる。答えないままロイはホークアイを見つめていたが、やがて質問の答えとは全く違うことをロイは口にした。
「会議の前に少しでも書類を片づけてしまうよ。外へ出ていてくれるか?」
 その言葉にホークアイは目を見開いてロイを見る。だが、声に出してはなにも言わず、ファイルを抱えて執務室を出ていった。
「…………」
 ロイはパタンと閉まった扉をじっと見つめていたが窓の外へと視線を向ける。綺麗に晴れ渡った空を見つめていたロイの姿が忽然と消えていたのはそのすぐ後のことだった。

 サウス・シティについた後、ハボックは荷馬車に揺られてサウス・バウンズへとやってきていた。乗せてくれた行商の男に礼を言って降りたハボックはあたりをゆっくりと見回す。それから重い足を引きずるようにして歩きだした。視線を足下に落としたまま家々の間を通り抜けていく。そうしてたどり着いた場所で顔を上げれば、物言わぬ墓標の群が立ち並んでいた。
 ハボックは墓標の間を通り抜け奥へと進んでいく。両親の名を刻んだ墓の前までくると、そこに刻まれた文字をじっと見下ろした。
「また花持ってくるの、忘れちゃった」
 ハボックはそう呟いて花が大好きだった母の事を思い浮かべる。それからそっと刻まれた母の名を指で撫でた。
「今度は一緒に連れてくるって言ったのに……それもできなかったね」
 次にここへ来るときは絶対にロイも連れてこよう、そう思ったのはついこの間のことなのに。
「ねぇ、母さん。あの日、なにがあったの?大佐は…本当に父さんと母さんの事を殺したの?……だったら何故…?」
 何度ロイに聞いても得られなかった答えを、自分は知りたいのか知りたくないのか、ハボックにはもうそれすらよく判らない。
 尋ねたところで答えが返らないのはロイも両親も変わりはなく、ハボックはガクリと膝を突くと突っ伏すように墓標に縋りついたのだった。



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