| いつか帰る場所であるように 第二十一章 |
| 「母さん?!どうしたの、気分悪い?」 何か飲み物を貰おうとキッチンへと入ってきたジャンは冷蔵庫の前で蹲る母の姿を見て慌てて駆け寄る。支えようとして触れた母の体は酷く熱く、震えていた。 「平気よ、ちょっと目眩がしただけ」 「平気じゃないでしょっ!熱、あるじゃんっ!」 声を荒げる息子の顔を見て母は優しく微笑む。自分によく似た面立ちのその頬を撫でて言った。 「…ねぇ、ジャン。これから先なにがあっても、お父さんを悪く思わないでね」 「……それ、どういう事?」 母の言う意味が判らず、ジャンは首を傾げる。尚も尋ねようとした時母の体が揺らいで、ジャンの頭から母の言った言葉は吹き飛んでしまう。 「母さん、医者行こう、ね?」 心配してそう言ったが、母は首を横に振るだけだ。寝ていれば治ると囁く母にジャンは声を荒げた。 「なに言ってんだよ、医者に見せなきゃだめだよっ!」 「いいの……いいのよ」 だが頑なに首を振るばかりの母に、ジャンは途方にくれて母の体を抱き締めたのだった。 「はっ!」 ハボックは短いかけ声と共に手にしていたツルハシを突き入れる。今、ハボック達の部隊は、先日の大雨で決壊した川の堤防の修復作業にかり出されていた。初夏の陽射しの下、屋外での作業はキツイものではあったが、今のハボックにはむしろそのキツさがありがたかった。 「くっ」 頭の中を空っぽにしてただツルハシを振り下ろす。ガキンと音がして抵抗を見せる岩に、何度も何度もツルハシを打ちつけた。 あの日、ロイと肌を合わせてから、何度か同じようにして夜を過ごした。まるで何もかも忘れてしまおうと言うように、ハボックは自分から積極的にロイを受け入れた。だが、そうすればするほど行為の後には父の影がハボックを詰り責め立てた。焔を纏った父は昏い瞳でハボックを罵り、己の痛みを訴え、ハボックに復讐を果たすように責め立てる。 「父さん……」 ハボックは首を振って父の姿を頭の中から締め出すと、力任せにツルハシを振り下ろした。 『おう、ロイ。南部に出張行ったんだろう?どうだった?』 受話器の向こうから聞こえる男の声にロイは答える。 「アレとは別物のようだよ、ヒューズ」 その言葉に答えるようにヒューズがホッと息を吐き出すのが聞こえた。 『そうか……そうだよな。アレは彼女が守ったんだ。今ごろ出てくる筈がねぇよな』 そう言うヒューズの言葉にはロイは答えず、別の事を口にする。 「ヒューズ、ハボックはウォーレン博士の息子だ」 『………は?今なんて…?』 「ハボックはウォーレン博士の息子だと言ったんだ」 もう一度そう言えばヒューズが受話器の向こうで息を飲むのが判った。 『でもっ、アイツ“ハボック”って…!』 「両親が亡くなってアイツを引き取った伯父の姓だそうだ。両親を殺した軍人を探すために軍に入ったのだと言っていた」 『ロイ!』 平坦な声で話すロイをヒューズは遮る。 『お前、バカなこと考えてる訳じゃねぇだろうな』 低くそう言ったヒューズにロイは答えなかった。 『言っておくがな、あの時お前に選択肢があったか?!』 「それはこちら側の勝手な言い分だ。ハボックには通用しない」 『ロイ…ッ、………お前、バカなことアイツに言うなよ、いいな!』 説き伏せるように言葉を並べるヒューズの声を聞きながら、ロイはそっと目を閉じた。 「父さん!どこに行ってたのさっ」 夜遅くになって帰ってきた父の姿を見るなり、ジャンは椅子から飛び上がるように立ち上がってそう怒鳴る。だが、父はチラリと息子の顔を見ただけで、何も言わずに書斎の方へと歩きだした。 「父さんっ!」 ジャンは慌ててキッチンを飛び出すと父の後を追う。廊下を歩く父の背に向かって言った。 「母さんがまた倒れたんだッ!」 その言葉に足を止める父にハボックは続ける。 「医者に行こうって言ったのに、必要ないって。酷い熱なんだっ、父さん、母さんを医者に連れていってよ!」 ハボックはそう言って父の腕に手を伸ばした。だが、腕を掴むジャンの手を、父は思い切り振り払う。驚いて目を瞠るジャンに父は言った。 「母さんの事は心配ない」 「…ッ?!心配ないって……酷い熱なんだよっ?ほっとけないよ!あのままにしてたら死んじゃ───」 「心配ないと言っているだろうっ!母さんの事は私に任せておけばいいんだッ!!」 目を剥いてそう怒鳴る父をジャンは呆然と見つめる。父は少しの間ジャンを睨んでいたが、フイと背を向けると廊下を歩き、書斎に入ってしまった。暫く呆然と廊下に立ち竦んでいたジャンだったが、ハッと我に返ると階段を駆け上がる。そっと寝室の扉を開いて中に入れば、苦しそうな息遣いを繰り返す母の姿に顔を顰めた。 「母さん、ごめんね、何もしてあげられなくて……」 ジャンはそう囁きながら枕元の洗面器に張った水でタオルを絞り母の額に載せてやる。 「母さん……」 心配そうにそう呼んで、少年は母の手をギュッと握りしめた。 その日一日の作業を終えてハボック達は司令部へと戻る。埃まみれの体をシャワーで洗い流し、ハボックは司令室に向かった。 「おう、お疲れ、ハボ」 扉を開けて中へと入れば書類から顔を上げてブレダが言う。それに疲れたような笑みを返して席につくハボックをブレダは心配そうに見た。 「どうしたよ。えれぇ疲れてんな」 そう言われてハボックは落としていた視線を上げる。 「そりゃ一日土建屋やってきたんだ、疲れもするだろ」 「いや、そういうんじゃなくて……」 ハボックの言うことはもっともだ。だが、今、ブレダの目に映っているのはそんな表面的なものではなくて、もっと奥深いものだった。 「なあ、ハボ。なんか困ってることがあるなら言えよ。相談じゃなくても言うだけですっきりする事もあんだろ?」 そう言うブレダをハボックはじっと見つめる。それから泣きそうな顔で笑った。 「うん、ありがと、ブレダ」 「ハボック、お前……」 何か聞きたげなブレダからハボックは目を逸らして書類に手を伸ばす。その明らかにこれ以上その話題に触れたくないと拒絶する横顔に、ブレダは何も言えずにハボックをじっと見つめたのだった。 「疲れた………」 アパートの階段をのそのそと登り、自分の部屋にたどり着いてハボックはそう呟く。ポケットから鍵を取り出すと扉を開け中へ入った。明かりを点ければ白々とした光が部屋の中を照らし出す。ハボックはドサリとソファーに腰を下ろすと深いため息をついた。 今夜、ロイは市議のパーティに出席している。あからさまに出たくないという態度を見せるロイをホークアイが有無を言わさず引きずっていった。今頃内心文句をたれながらも、表面上はにこやかに愛想を振りまいているに違いない。 そんなロイの姿を思い浮かべてハボックはくすりと笑う。だが、次には膝の上に肘をついた手のひらに顔を埋めて深い深いため息を漏らした。 気がつけばあのサウス・バウンズでの出来事から随分と時間が過ぎていた。このままでいい筈がないと思いつつ、進む勇気がない。リヒターの言葉も、蘇った自分の記憶も、ロイが家に火をつけた軍人であることをはっきりと示していたが、ハボックはそれを認めてしまうことも、ましてやどうしてそんな事をしたのか、ロイを問い質すことも出来なかった。 「な、んで………?」 手のひらで顔を覆ったままハボックは低く呻く。両親を亡くしてからというもの、ずっと独りぼっちだった。伯父夫婦はハボックを大切にしてくれたし、何一つ不自由のない暮らしをさせてくれた。自分達の息子として迎え入れ、決して寂しい思いをさせないようにしてくれた。だが、それに感謝しつつもハボックはずっと満たされない想いを抱えてきた。それがロイと出会って愛し合うようになり、ずっと埋められずにいた胸にぽっかり空いた穴を埋めることが出来たと思ったのに。 ハボックは胸を吹き抜ける冷たい風にブルリと体を震わせる。そうすれば冷たい風の向こうに焔を纏う父の姿が見えてハッと顔を上げた。 『復讐を果たせ、ジャン……』 昏く地を這うような声が聞こえる。 「父さん………」 自分の体を抱き締めてハボックがそう呟いた時、玄関を叩く音が聞こえた。 「………?」 こんな時間に訪れてくるなどいったい誰だろう。そう思いながらも立ち上がり、玄関の扉を開ければ。 「………大佐」 開いた扉の向こうに立っていたのは、ロイ・マスタングその人だった。 |
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