| いつか帰る場所であるように 第二十章 |
| 「おい、ハボック」 司令室に戻ってきたブレダは、自席に座るハボックに声をかける。その空色の瞳が思い詰めたような光をたたえて一点を見つめている事に気づいてハボックの肩を掴んだ。 「ハボ?」 「……ッッ?!」 ブレダの存在に全く気づいていなかったのか、ハボックはギクリと体を強張らせて振り向く。いつも陽気な男の見たこともない表情に、ブレダはまじまじとハボックを見つめた。 「……どうしたよ、なんかあったのか?」 そう尋ねるブレダをハボックは半ば呆然と見つめていたが、やがてゆっくりと視線を落とす。 「別に……なんもねぇよ」 そう呟くハボックはとてもなにもなかったようには見えない。だが表情を映し出すその瞳は長い睫毛の陰に隠れてよく見えなかった。それでもそのまま「はい、そうですか」とは言えず、尚も尋ねようとしたブレダが口を開く前にハボックはガタンと乱暴な仕草で立ち上がった。 「ちょっと用事思い出した」 ハボックはそう言うとブレダを押し退けるようにして出ていこうとする。 「おい、ハボ───」 咄嗟に腕を掴んだブレダの手をハボックは思い切り振り払った。一瞬、互いに目を見開いて見つめあった二人だったが、次の瞬間ハボックは身を翻して司令室を飛び出していってしまう。残されたブレダは追いかけることも出来ず、呆然として走り去る足音を聞いていたのだった。 もの凄い勢いで廊下を走り抜けていくハボックを、行き交う軍人たちが目を丸くして見送る。廊下を駆け抜け階段を駆け降りて、ハボックはやがてゆっくりと立ち止まった。 サウス・バウンズに行って以来、ロイの顔をまともに見ることができなかった。聞きたいことはたくさんあるのにそのどれをも聞くことが出来なかった。 『久しぶりに家にこないか?』 ハボックの様子がおかしいのをロイは気づいているはずだ。ハボックを家に呼んで、ロイは何を言うつもりなのだろう。そして自分はロイに何を言うのだろう。 「たいさ……」 ハボックは壁に背を預けてそう呟くと、ギュッと目を閉じた。 仕事を終えたハボックは以前のように買い物をしてからロイの家に向かう。無意識のうちにロイの好きなメニューを考えて材料を選んでいた自分に気づいてハボックは苦く笑った。ロイの家に続く道をハボックはゆっくりと歩いていく。綺麗に花の植えられた庭が続くこの道がハボックは好きだった。ロイの為にロイの好きなものを作り、おしゃべりしながら一緒に過ごす時間を考えれば、自然足取りは軽くなり気がつけばまるで走るようにしてロイの家に行っていたものだ。だが、久しぶりに向かう今日はどうだろう。ロイの家に着くのを恐れるようにハボックの足取りは重くなり、それと比例するように心も塞ぎ込んでいく。それでも歩いていく限りはいつしかロイの家に辿り着き、ハボックは通い慣れたその家を見上げた。立ち竦んだように暫く家を見上げていたハボックだったが、やがてゆっくりと門扉を開きステップを上がっていく。持っていた鍵で玄関をあけ、中へと入った。 久しぶりに来たロイの家は酷くよそよそしく感じられた。ぶるりと体を震わせてハボックは廊下を歩いていく。リビングの扉を開ければ以前と変わらずソファーに腰掛けて本を読むロイの姿があった。 「………遅くなりました」 そう声をかけるハボックをロイは本から視線をあげて見る。無表情に見つめていた黒い瞳がフッと和らぐのを見た瞬間、ハボックの心臓がとくりと音を立てた。 「おかえり。疲れているのに悪かったな」 「…いえっ、平気っス!」 ハボックはそう返事を返すと逃げるようにキッチンへと入る。持っていた買い物の袋を投げ出すようにしてハボックはカウンターに両手を付いた。震える吐息を吐き出してハボックは呟く。 「どうしよう……オレ、やっぱ大佐が好きだ」 ロイの顔を見た瞬間、浮かんだのは好きという気持ちだけだった。聞きたかったことも何もかも頭から吹き飛んでそれ以外何も考えられない。ハボックはカウンターに縋りつくようにしてずるずると座り込んでしまう。暫くそうして座っていたハボックは不意に肩に置かれた手にゆっくりと振り向いた。 「どうした、大丈夫か?」 そう尋ねる黒い瞳をハボックはじっと見つめる。それから無理矢理に笑みを作って言った。 「なんでもないっス。すみません、腹減ったっスよね。すぐ作りますから」 ハボックはそう言って立ち上がると袋から材料を取り出す。手早く下拵えを始めながら振り返らずに言った。 「そっちで待っててください。ああ、なんか摘みでも作りましょうか?」 「いや、必要ないよ。………何か手伝うことがあるか?」 そう言うロイをハボックは思わず振り返る。これまで何度も食事を作ってきたが、こんな事を言われたのは初めてだった。 「アンタがそんなこと言うなんて、珍しい事もあるもんスね。平気っスよ、座って待ってて下さい」 苦笑混じりにそう言われて、ロイは「判った」とキッチンを出ていく。その背を見送って包丁を握り尚したハボックはそっとため息をついたが、軽く首を振って料理を始めた。 「ごちそうさま」 そう言ってフォークを置くロイをハボックは小さく笑って見つめる。気が付けばポツポツと会話を交わしながら食卓を囲んでいて、ハボックはサウス・バウンズでの出来事が夢だったように思えた。以前のように片づけを済ませてコーヒーを手にロイの元へと向かう。ロイの前にカップを置いて向かいの席に座ったハボックは、ロイの顔をじっと見つめる。スッと切れ上がった涼しげな目元も通った鼻筋も色の薄い唇も、ロイを形作るものは何も変わらない。彼の魂を形作る信念も変わりはないだろう。だったらこのままサウス・バウンズで気いたことは全て忘れてしまって、以前のままでいることは出来ないのだろうか。聞きたいことも知りたいことも全て心の奥底に封印してしまうことは出来ないのだろうか。 そんな事を考えてハボックはそっと目を閉じる。人の気配に閉じていた目を開けばすぐそこにロイの顔があった。 「ハボック……」 低く囁く声にハボックの体が震える。ゆっくりと重なってくる唇を受け止めてしまえば、もうハボックには拒む術などなかった。 「アッ…アアアッ!!」 ズブズブと押し入ってくる熱い塊にハボックは背を仰け反らせて喘ぐ。ガツガツと突き上げられて何度目になるか判らない白濁を迸らせた。 「ッ!…た、いさぁ…ッ」 びくびくと震えながらハボックはロイの背中を掻き抱く。キュウと無意識に締め付けた途端、体の奥底に広がる熱に目を見開いた。 「ぁ………ッ!!」 小刻みに震える体を折れるほど抱き締められ、噛みつくように口づけられる。呼吸さえ奪うようなそれに、ハボックの意識は急速に闇へと飲み込まれていった。 気が付けばジャンは闇の中に立ち尽くしていた。不安な瞳で辺りを見回すが、広がるのは闇ばかりで何一つ見えない。どうしていいか判らずにいたジャンの目に遠くに光る何かが見えて、ジャンは一瞬迷ったもののその光に向かって歩きだした。ザクザクと足下の砂を踏み締めてジャンは光に近づいていく。最初は何か判らなかったそれが、燃え盛る焔だと気づいて、ジャンは足を止めた。驚いたよう焔を見つめるジャンの前でいつしかその焔はあの日みた光景へと変わっていく。そうしてゆらりと焔が揺らぐと、全身に焔を纏った父の姿が現れた。 『ジャン、私たちを裏切るのか……?』 「父さん……」 『私たちの苦しみを、無念さを忘れたか、ジャン』 そう言う父の瞳が焔の中で昏く光る。ジャンは小さく首を振ってよろよろと後ずさった。 『復讐を果たせ、あの男を殺せ、ジャン……』 闇の底から響くような父の声にジャンは両手で耳を塞ぐ。そうして燃え盛る家に背を向けると、まろぶようにして闇の中へと逃げ去った。 「……ッッ!!」 ハッとして目を見開けばそこに広がるのは穏やかな闇だけだった。ハボックは荒く弾む息を何度も唾を飲み込んで整える。すると頭上から降ってきた声にハボックは慌てて声のした方を見た。 「どうした?」 そう尋ねてくる黒曜石の瞳をハボックはじっと見返す。それからキュッと唇を噛んで首を振った。 「なんでも……なんでもないっス」 ハボックは囁くように言って、ロイの胸に顔を寄せるとそっと目を閉じた。 |
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