いつか帰る場所であるように  第十九章


「ジャン、お前さんも覚えとるだろうっ、あの男が火をつけたのを!」
 ハボックの腕を掴んでリヒターが吐き出すように呻く。遠ざかっていく背中を見つめていたハボックはリヒターに視線を移すと尋ねた。
「あの男って、向こうに歩いていくあの人?本当に間違いない?」
「勿論だとも!俺はずっと見てたんだからな。あの男がやってきて、どうやってだか家に火をつけたんだ。いきなり家が焔に包まれた。あの男がやったんだ…ッ」
 リヒターの言葉にハボックは幼い日の事を思い出す。焔に包まれる家、熱風に翻る青い軍服。焔の中で妙に白く見えた手。
「発火布……」
 目に白く映ったものが発火布だったと気づいた時。
 記憶の中の男の顔がロイのそれへと変わった。

 ハボックが車に戻ってきた時、ロイは変わらず助手席に座っていた。扉を開けて運転席に体を滑り込ませるとハボックはハンドルを握って尋ねた。
「ずっとここにいたんスか?」
「ああ」
 そう答えるロイをハボックは思わずじっと見つめる。
「でも、誰か知り合いに会いに来たんでしょ?行かなくていいんスか?」
「お前は?墓参りは済んだのか?」
 ハボックの問いには答えず、逆にロイはそう問い返す。ハボックを見ずに尋ねるロイの横顔を、ハボックは食い入るように見つめた。
「墓参りは済んだっス。家があった場所にも行ってきました。ボーッと立ってたら昔の知り合いに声かけられてびっくりしたっスよ。オレのことまだ覚えててくれて、どうしてるかって心配してくれてたって」
 ハボックはロイの顔を見つめながら続ける。
「あの事件の事は忘れられないって。オレの家に火をつけた男の顔も、今でも鮮明に覚えてるそうっスよ」
「……そうか」
 ハボックの言葉に、だがロイは短くそう答えただけだった。ハボックはグッと唇を噛むとまくし立てるように尋ねる。
「大佐はっ?大佐はなんでここに来たんスかっ?何のためにここに…っ?!」
 なんと答えるのだろうと、ハボックはロイの顔を見つめながらその唇が開くのを待った。だが、暫くして開いたロイの唇から零れた言葉は、ハボックが期待していたものとは全く違っていた。
「車を出してくれ、ハボック。いい加減戻らないとヴィーデマンがうるさい」
 その答えにハボックは空色の瞳を見開く。何度か口を開きかけて、だが結局言うべき言葉を見つけられず、ハボックは無理矢理ロイから視線を外すとアクセルを踏み込み車を発進させた。

 サウス・シティへ戻る間、何を話していたのかハボックには全く思い出せなかった。いや、話などしていなかったのかもしれない。それすら覚えていないほど、ハボックは混乱し狼狽えていた。南方司令部に戻ってからもハボックには全ての出来事がガラス一つ隔てた向こうで起きているように感じられた。ロイとも話した筈なのにその時ロイが何を言ったかどころか、その時のロイの表情すら定かでなかった。なにもかも全てがハボックには現実味を欠いて見えて、自分がどこで何をしているのかすらよく判ってはいなかった。

 気がついた時にはハボックは自分のアパートでぼんやりと立っていた。墓参りをしてからの数日の記憶がハボックには酷く曖昧で、いつ自分がサウス・シティから戻ってきたのかすら覚えてはいなかった。
 ハボックはドサリとベッドに腰を下ろすと頭を抱える。そうすれば不意にリヒターの言葉が頭に蘇った。
『あの男がやってきて、どうやってだか家に火をつけたんだ。いきなり家が焔に包まれた。あの男がやったんだ…ッ』
 リヒターはいきなり家が火に包まれたと言っていた。おそらくはロイが錬金術で火をつけたのだろう。それならリヒターにどうやって家に火がついたか判らないのも頷ける。
「どうして……?どうして大佐なんだよッ」
 ハボックは呻くように言って髪を掻き毟った。ずっと探し続けていた。大好きな父と母を殺し、家に火をつけた男。絶対に探し出して殺してやると思っていたその相手がロイだったとは。
「オレ……父さんと母さんを殺した相手に抱かれてたってこと…?」
 男の身で男を受け入れることに抵抗がなかった訳ではない。それでも相手がロイであれば構わないと思っていたのに。
「オレ……っ、オレは……ッ」
 ロイが両親を殺したなどと信じられなくて、信じたくなくて、だがその一方で納得してしまう自分がいるのがたまらなく嫌だった。やっと見つけた帰る場所が、事もあろうに両親の仇だったという事実に。
「どうして…ッッ?!」
 ハボックは吐き出すように呻くと頭を抱えて嗚咽を零した。

 ゴオオオッッ!!
 大きな音を立てて焔が燃え上がる。信じられない思いで見つめるジャンの前で、ゆらりと焔が揺れると人の形を作った。
『ジャン……』
「父さん…っ?」
 全身に焔を纏った父は昏い瞳でジャンを見つめる。やがてゆっくりと口を開いて言った。
『お前は私たちの仇と通じているのか?私たちをこうして家ごと焼き殺した男に心を許し、あまつさえ男の身で脚を開いて受け入れているのか…ッ?』
「父さんっ、オレは…ッ」
『私たちを殺した男に犯されて喜んでいるのが息子とは…ッ!!』
 父の言葉に返す言葉が見つけられずジャンは目を見開いて父を見つめる。その父の目がカッと見開いたかと思うと、全身から焔を吹き出して叫んだ。
『殺せッ!!私たちを殺した男を殺して復讐を果たせッ、ジャン!!』
「…ッッ!!」
 父の言葉にジャンは大きく目を瞠る。小さく首を振るジャンに、父はズイと一歩近づいた。その身を纏う焔から逃れるようにジャンは一歩後ずさる。父はそんなジャンを昏い瞳で見つめて言った。
『復讐を果たせ、ジャン。その為にお前は生きてきたのだろう?殺すんだ、ジャン。あの男を……ロイ・マスタングを殺せッ、ジャン!!』
 叫ぶと同時に膨れ上がった焔がジャンの体を包む。
「やめてッッ!!」
 ジャンは悲鳴を上げると焔から身を守るように小さく身を縮めた。

「───ッッ!!」
 ハボックは弾かれたように抱え込んでいた頭を上げると正面を見据える。たった今まで自分を包んでいた筈の焔は消え失せて、目の前には薄闇に包まれたアパートの壁があるだけだった。ハアハアと息を弾ませてハボックは見開いた瞳を宙にさまよわせる。自分を罵る父の声が頭に木霊して、ハボックはガタガタと震えた。
「オレは……ッ」
 呻くように呟いて、ハボックは己の身を抱き締めた。

 執務室で書類に埋もれながらロイはハボックの事を考えていた。あの日、墓参りから戻ってからというものハボックの様子がおかしいことにロイは気づいていた。何度も何度も何か聞きたそうに口を開きかけては言葉を見つけられず黙り込んでいた。泣き出しそうな目で縋るようにロイを見つめていたハボック。
(昔の知り合いに会ったと言っていたな。何か聞いたのかもしれない……)
 その知り合いが火をつけた男の顔を覚えているとも言っていた。あの日、家の近くまで行ったロイのことを見ていたのかもしれない。
(ハボック……)
 もし、ハボックに尋ねられたら自分はなんと答えるのだろう。ロイが手にしたペンをグッと握り締めた時、執務室の扉を叩く音がした。答えれば遠慮がちに扉が開いてハボックが顔を出す。以前なら返事など待たずに扉を開けていた男のまるで変わった様子に、ロイは無表情にハボックを見つめた。
「コーヒー……持ってきたっス」
「……ありがとう」
 ロイが息抜きをしたいであろう頃合いを見計らってこうしてコーヒーを持ってきてくれるところは変わらない。カップを机に置いた手が離れていくのを見ていたロイは、咄嗟にハボックの手を掴んだ。
「……ッ!!」
 ギクリと強ばるハボックをロイはじっと見上げる。自分を見つめる空色の瞳を見返してロイは言った。
「久しぶりに家に来ないか?お前の作ったメシが食いたい」
 そう言えばハボックが目を見開く。暫くそうしてロイを見つめていたが、フッと体の力を抜いて答えた。
「判りました。なんか食いたいものあります?」
「いや、お前に任せる」
 ロイの言葉に頷くハボックを見つめて、ロイは掴んでいた手をグイと引く。不意をつかれて倒れかかる体を咄嗟に机に手をついて支えたハボックの頭を引き寄せて、ロイは唇を合わせた。
「待っている」
 見開く空色にそう囁けば、ハボックはロイの腕を振り解いて逃げるように執務室を出ていった。



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