いつか帰る場所であるように  第十四章


「大佐、この間の事件の報告書です。それと南方司令部から書簡が」
 そう言ってホークアイが差し出す書類をロイは受け取る。軽く頷けばホークアイは決済済みの書類を纏めて執務室を出ていった。
 ロイは頬杖をついて渡された書類のうち南方司令部からの書簡を取り上げる。書簡はアウグスト・ヴィーデマン大佐からのもので、最近頻発している爆弾の密造事件の事であった。ロイは読み終えた書簡を脇に置くと報告書を手に取る。報告書を読み進めるうち、ロイの眉間の皺が深まっていった。その時、ロイの机の上に置かれた電話がリンと音を立てる。ロイは書類をめくっていた手を止めると、受話器に伸ばした。
『マスタング大佐?南方司令部のヴィーデマンです』
 たった今さっき読んでいた書簡の相手からの電話にロイは僅かに眉を顰める。ヴィーデマンが話し出す前にロイは口を開いて言った。
「頂いた書簡をたった今読んだところです」
 そう告げれば受話器の向こうで相手が意気込む気配がする。ヴィーデマンはロイが思わず受話器から耳を離したくなるような大声で言った。
『ではすぐにもこちらに来ていただけますな!』
 自分の都合だけでそう言うヴィーデマンにロイは思い切り顔を顰める。だが、電話の相手にそれが判るはずもなく、ロイは不愉快さを滲ませた声音で言った。
「行くかどうかはこれから検討します」
 そう言えば明らかに不満そうなため息が聞こえる。ロイは「決まり次第こちらから連絡を入れる」とだけ言うと、さっさと電話を切ってしまった。
「…たく」
 ボソリと吐き捨てるように言うと、ロイは読みかけの書類に手を伸ばした。
「向こうでもこっちでも爆弾の密造か……」
 ヴィーデマンに呼び寄せられるようで不愉快ではあったがやはり一度南方に行かなければならないかもしれない。ロイは不満げなため息をつくと書類を閉じて、彼の決済を待つ書類の山へと手を伸ばした。

「お、ハボ」
 丁度ロッカールームから出てきたハボックと鉢合わせするような形になって、ブレダは思わず仰け反る。すっかり帰り支度を整えた様子の友人にブレダは尋ねた。
「もう上がりか?今日も大佐のおさんどん?」
 そう言いながら中へと入れば一度出たはずのハボックがついてくる。
「うんにゃ、今日は会議の後、そのまま会食だから」
 ハボックの言葉にブレダは「ああ」と頷いた。
「そういや嫌そうな顔して出ていったな。ご苦労なこった」
 ちっともそう思っていない口調で言うブレダにハボックは笑う。ブレダはロッカーから着替えを取り出すとサッと着替えて言った。
「だったら久しぶりに飲みに行かねぇ?」
「お、いいね。そうするか」
 提案に二つ返事で答えるハボックにブレダは笑みを浮かべる。バンッと少し歪んだ扉を力を入れて閉めるとハボックの背を叩いた。
「よし、んじゃ行こうぜ」
 ブレダの言葉に頷いてハボックは友人と連れだって歩き出す。司令部の入り口をくぐって暮れかけた外へと出ていった。ポツポツと言葉を交わしながら二人は歩いていく。行きつけの飲み屋の扉を開けると元気のよい店員が二人を奥の席へと案内した。
「んじゃ、お疲れ」
「おう」
 二人はそう言いながらビールのジョッキを合わせる。グイグイと半分ほどを一気に飲み干すと、ハーッと満足げなため息を零した。
「やっぱ仕事した後の一杯は旨いな」
「ん、生き返る気がする」
 そう言って頷きあうと二人は煮込んだ肉やサラダに手を伸ばす。いろんな話を交わすうち、話題はいつしかロイの事になっていた。
「まあ、あの人も実際のところすげぇもんだよな」
「うん」
 ブレダが言えばハボックが頷く。ブレダはグラスに口を付けながらハボックに聞いた。
「それにしてもなんでまたお前、大佐のとこに飯作りに行ってんだ?」
「なんで、って」
 そう聞かれてハボックは改めて考える。きっかけはなんだったろう。そうだ、確か残業しているロイのところへデリを抱えて行ったのが始まりだ。そしてどういう気まぐれだかロイが食事を作りにきてくれないかと言い───。
 今思えばどうしてそんなことをしようと思ったのだろう。もしあの時ああしていなければロイに食事を作りに来てくれと言われることもなく過ぎていたはずだ。
『愛している、ハボック』
 不意にロイがそう言う声が蘇ってハボックの心臓がとくりと音をたてる。そうして一つ思い出してしまえば、次から次へとロイの事が頭に浮かんでは消えていった。
 真面目に仕事に取り組むときの横顔。一緒に食事をとる時の満足そうな顔。自分をからかうときのちょっと意地悪な笑顔。そして。
 自分を組み敷く時の熱の籠もった瞳。肌に触れる手のひらの温度。耳元に囁く熱い吐息混じりの声。貫く楔の熱さと内部を焼き付くす熱と。
(たいさ……)
 思い出せば思い出すごとに身体に熱がたまっていった。ハボックがフゥと温度と湿度の高いため息をついた時。
「ハボ、お前、なに赤くなってんだ?」
 ひょいとブレダに顔を覗き込まれてハボックは身を強ばらせる。ブレダは小首を傾げて言った。
「まだ酔うほど飲んでねぇだろ?それとも熱でもあんのか?」
 そう言ってブレダはハボックの額に手を伸ばす。触れてきた手にハボックは真っ赤になって両手を振った。
「ねっ、熱なんてねぇから!つか、ここ暑いな、ブレダ!すっげぇ暑くねぇ?はは、なんか冷たいものでも頼もうかなっ、おーい、ちょっとオーダー頼む!」
 もの凄い勢いでまくし立てるハボックをブレダは目を丸くして見つめる。やってきた店員にオーダーするハボックをじっと見つめていたが、店員が行ってしまうと口を開いた。
「大佐となんかあったのか?」
「えっ?!」
 そう聞かれてギョッとし見つめてくる空色の瞳をブレダはまっすぐに見返す。ハボックが困ったように目尻を染めて目を伏せるのを見て、ブレダは顎に手を当ててふむと唸った。
「よく判んねぇけど、困ったことがあるなら言えよ。俺に出来ることならするからさ」
「ブレダ……」
 その言葉にハボックは伏せていた目を上げる。それからにっこりと笑って言った。
「大丈夫、なにも困ってる事なんてないから。むしろ、その……オレにとっちゃいいこと、かな」
 そう言って照れたように笑うハボックにブレダも笑う。
「そか。ならいいんだけどよ」
 笑うハボックの顔はいつになく穏やかだ。それなら何も心配することはないのだろう。
(むしろ前みたいに事件のことを調べてまわってないだけでもいいよな)
 以前のように空いた時間出来る度、古い資料をひっくり返しているより今の方がずっといい。ロイとの間になにがあったのかは判らないが、少なくともハボックにとってマイナスでないなら口出しする
こともない。
(しかし、大佐と一体なにがあったんかね)
 時間さえあればそれこそ毎日のようにロイのところへ食事を作りに行っているようだ。
(甲斐甲斐しいっていうか……デートもしないで飯作りにって)
 と、そう思ってからブレダはハタと考えてしまう。
(デートもしないでって………大佐も、ハボックも…?)
「でさ、ブレダ。そん時大佐が───」
 にこにこと笑って話し続けるハボックの顔を見つめて。
(まさか、な)
 ふと、浮かんだ考えを慌てて打ち消すブレダだった。

「南方司令部に出張っスか?」
「ああ、もう少し先になるとは思うが」
 息抜きのコーヒーを啜りながらロイが言う。長身の部下を視線だけ見上げて言った。
「お前にもついてきてもらうからそのつもりでいてくれ」
「アイ・サー」
 どの程度の期間の出張になるのか判らないが、そうなると小隊の演習の内容も考えておかねばなるまい。
(軍曹に言ってオレがいない間のスケジュールも組んどかないと)
 ハボックはそんなことを考えながら執務室を出ていく。ロイはその背を見送ると窓へと視線を巡らせた。
「南部、か」
 本音を言えばあまり気が進まない。それがどうしてなのか、突き詰めて考えるのをロイはあえてやめてしまうと机の上の書類に手を伸ばした。



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