菫青石の恋 〜 second season 〜  第五章


 暫くの間、互いに黙り込んだままでいた二人だったが、やがてロイがチラリとハボックを見て言う。
「外、川が見える」
 俯いたまま流れる景色すら見ようとしないハボックにそう声をかければ、ハッとしたように顔を上げた。陽の光をうけてキラキラと輝く水面に目を見開いた。
「綺麗……」
 呟くハボックにロイは言う。
「公園にも小さな川がある。行ってみよう」
 そう言われてハボックはロイの顔を見たが言葉にしては何も言わなかった。ハボックはただ静かに外の景色を見つめ続ける。窓枠に手をかけて一心に景色を見つめてるその横顔に、ロイはうっすらと笑みを浮かべた。


「着いたぞ」
 駐車場に車を止めてロイは言う。車から下りるとサンドイッチの詰まったバスケットと車椅子を下ろし、助手席に回った。
「ハボック」
 扉を開けそう声をかけてハボックを抱きかかえる。車椅子に下ろせば見上げてくる揺れる空色に、優しく笑いかけて言った。
「よし、行こうか」
 言ってロイはゆっくりと車椅子を押して歩き出す。夏の間は緑だったくさはらが黄金色に変わっているその間を長く伸びる道を殊更ゆっくりと進んだ。長く伸びた草を揺らして爽やかな風が吹き抜ける。そのたびにサアッと波のような音がして、ハボックは目を細めてその様を見ていた。
「川は確かあっちの方だ」
 ロイはそう言いながら丁度差し掛かった分かれ道を右へと進んでいく。少し行けば輝く川の流れとそこに下りていく階段が見えて、ロイはその下り口で車椅子を止めた。
「待っていろ」
 ロイはそう言ってバスケットを手に階段を下りていく。ハボックはその背に向けて慌てて声をかけた。
「マスタングさん!ここでいいっスから!」
 だがロイはその声に手を振って行ってしまう。はあ、とため息をついたハボックの視界から消えたロイは、少しして空手で戻ってくると言った。
「川の近くにいい場所があった。車椅子じゃ行けないからここからは抱いて───」
「嫌っス!」
 みなまで言わせずハボックが拒絶の言葉を叫ぶ。そのあまりの剣幕にロイが目を丸くすれば、ハボックは決まり悪そうに目を逸らした。
「だって…オレ重いし、それに抱いてなんて、女の子じゃないんスから、そんな恥ずかしい事絶対嫌っス」
 ハボックはそう言うと視線を戻して言う。
「ここからでも十分綺麗っスから、だからここでいいっス」
 ね、と小首を傾げて笑うハボックにロイは不満げに眉を寄せた。そのまま自分の言い分が通るとばかり思っていたハボックの前にロイは突然背を向けて跪く。キョトンとして目を丸くするハボックにロイは肩越しに振り向いて言った。
「おんぶならいいだろう?ほら」
「えっ、でも、オレほんとにここで…」
「もう向こうにシートもバスケットも広げてきてしまった。だから早くおぶされ」
 そう言われたらそれ以上嫌だとも言えず、ハボックはおずおずと腕を伸ばす。ハボックの手が肩に触れるとグイと引き寄せるようにしてロイはハボックをおぶった。
「車椅子は置いていくぞ」
ロイはそう言って歩き出す。だが数歩歩くとため息をついて立ち止まった。
「あのなあ、ハボック」
「すみませんッ、やっぱ重いっスよねっ」
「そうじゃない」
 ビクッと身を震わせて叫ぶように謝罪の言葉を口にするハボックにロイは顔をしかめる。ため息をつかないよう、ひとつ呼吸を整えてから言った。
「あのな、どうしてそんなに仰け反ってるんだ、お前は」
「え?」
「そんなに仰け反ってたら背負いにくいし、そもそも危ないだろう」
 肩越しにジロリと睨まれてハボックは顔を赤くする。ロイの背に背負われているだけでも恥ずかしいのに、その背に体を寄せるなんて恥ずかしいどころではない。それに、身を寄せたらドキドキと鳴っている心臓の音を聞かれてしまうではないか。困り切ったハボックが答えることも身を寄せる事も出来ないでいると、ロイがいきなりハボックを支えていた手の力を抜いた。
「うわ…ッ」
 落ちると思ったハボックが咄嗟にロイの首にしがみつく。ギュウと必死にしがみついてくる腕にロイがクスクスと笑った。
「そうそう、そうやってしがみついてろ」
「えっ、あ…ッ」
 反射的にとはいえ思い切りしがみついてしまった事に気づいて、ハボックは真っ赤になる。だが今更離れるのも不自然で、ハボックはそっとロイの肩に頬を寄せた。
(心臓の音、聞こえなきゃいいけど)
 落ちると驚いたせいで更に激しくなった動悸はいつまでたっても落ち着く気配がない。せめて赤くなった顔を見られまいと、ロイの肩口に顔を伏せたハボックをロイが呼んだ。
「ハボック、ほら」
 その声に顔を上げたハボックの目にキラキラと輝く水面が飛び込んできた。黄金色の草に縁取られた輝きに目を見張って、ハボックは身を乗り出すようにロイの肩を掴む。肩に加わった力にロイはクスリと笑うと川に近づいていった。流れのすぐ近くにせり出す岩の上にハボックの体をそっと下ろす。そうすればハボックが待ってましたとばかりに手を伸ばした。
「冷たい…」
 サラサラと流れる水に手を浸けてハボックは楽しそうに笑う。チャプチャプと水をかき混ぜていたハボックはキラリと光る銀色の鱗に目を輝かせた。
「魚!マスタングさん、魚がいる!」
「あんまり乗り出すと落ちるぞ」
 身を乗り出すハボックの肩を支えてロイが笑う。触れてくる手にビクリと体を震わせてハボックはロイを見た。
「ご、ごめんなさい」
 そう言って俯く空色の瞳にムッとしたロイは支えた肩を川に向かって押す。バランスを崩したハボックは目を見開いて手を伸ばした。
「わ、うわ…ッ」
 そうして届いたロイの腕を掴むと必死にしがみつく。何とか川に落ちるのを免れてハボックはホッと息をついた。
「ひどいっス、マスタングさん」
 恨めしそうに見上げてくる空色の瞳にロイはフンと鼻を鳴らす。
「二言目にはごめんなさいだのすみませんだの謝ってばかりいるからだ」
 ジロリと睨まれて、ハボックは言葉に詰まって俯いた。ロイはそんなハボックの顎を掬い上げてその瞳を覗き込む。
「嬉しかったり楽しかったりした時は“ありがとう”だ、ハボック」
「マスタングさん…」
 ハボックはじっと見つめてくる黒い瞳を見つめ返す。だが、すぐに視線を落として俯いてしまうハボックをロイは切なげに見つめたが、なにも言わずに立ち上がった。
「せっかくだからそこで食うか?」
 ロイはそう言ってシートの上に置いてあったバスケットを持ってくる。岩の上に腰掛けるハボックの前で包みを解いてサンドイッチを取り出した。
「自分で作れればいいんだが」
 そう言いながらハボックの手に皿を渡しその上にサンドイッチを取り分けてやる。ベーコンとレタスとトマトを挟んだサンドイッチは彩りも綺麗でとても食欲をそそった。
「この店でよくパンやサンドイッチを買うんだ。なかなか旨くてな、重宝してる」
 ロイはそう言ってパクリとサンドイッチにかぶりつく。それを見たハボックが皿の上に置かれたサンドイッチを手に取りそっと口に運んだ。
「旨いっス」
「そうか、よかった」
 にっこりと笑って言うハボックにロイも目を細める。
「卵もあるぞ。あとフルーツと生クリームを挟んだのも」
「そんなのもあるんスか?」
「どちらも私のお気に入りだ」
 ロイに勧められるままハボックはサンドイッチを口に運ぶ。小春日和の公園は吹く風も穏やかで、ロイが言っていた通り外で食べるサンドイッチは旨かった。さらさらと流れる小川を見下ろし仲良く泳ぐ魚を見つめ、顔を上げると紅く色づいた葉をつけた梢の向こうの空を見上げる。ハボックはそうして暫く自分の瞳と同じ色の空を見上げていたがやがてそっと目を閉じた。
「ハボック?」
 黙り込んでしまったハボックをロイは訝しげに呼ぶ。ロイの声に目を開いたハボックはロイに視線を戻して口を開いた。


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