菫青石の恋 〜 second season 〜  第三十八章


「これ、なんスか?」
 色々なフルーツやら野菜やらをミキサーに放り込んで出来上がった液体が入ったグラスを渡されて、ハボックは不思議そうに首を傾げる。恐る恐る顔を寄せてクンと匂いを嗅ぐ仕草にロバートはクスリと笑った。
「私が考えた特製ジュースだよ。頭がすっきりして疲れがとれるんだ。目にもいい」
 飲んでごらん、と促されハボックはグラスに唇を寄せる。舐めるようにちょっとだけ口に含んだハボックはパッと目を輝かせて言った。
「美味しい!見た目はなんだか不気味だけど甘くて美味しいっス」
 子供の素直な感想にロバートはククッと笑う。それでも旨そうにゴクゴクと飲む様を見れば咎める気にはなれず、自分のグラスに口をつけた。
「ロバートって本当になんでも出来るんスね。凄いなぁ」
 一緒に暮らし始めて間もない間に色々と見せられて、ハボックは感嘆のため息を漏らす。尊敬の眼差しで見つめてくる少年の金色の髪を優しく指で梳いてロバートは言った。
「ジャンもすぐにいろんな事が出来るようになる。私が全部教えてあげるからね」
「ありがとう、ロバート」
 そう言ってにっこりと笑うハボックにロバートも笑い返す。ロバートはグラスを手にキッチンを出ながら言った。
「夕方涼しくなったら買い物がてら散歩に行こう。それまで宿題をしていなさい」
「はい、ロバート」
 男の言葉にハボックは素直に頷く。ロバートが仕事部屋に消えてしまうと、ハボックは二階の自室に向かった。
「ほんとロバートって凄いや」
 ハボックは机に向かって宿題を広げる。生まれてすぐに父親を亡くしたハボックにとって、血の繋がりがないとはいえ始めて得た父親の存在はとても強烈で、瞬く間にハボックの心を奪ってしまった。
「色んな国の言葉が喋れて色んな事知ってて……。オレもロバートみたいになりたいな」
 友人達が父親の自慢をする気持ちが判る気がする。ハボックはロバートが自分の父親になった事がなんだか誇らしくて、嬉しそうにに笑った。


「ジャン、宿題は終わったのか?」
 ベッドの上に寝ころんで雑誌をめくっていれば、軽いノックの音と共に扉が開いてロバートが入ってくる。ハボックは雑誌を閉じて体を起こすと答えた。
「はい、終わったっス。ロバートのお仕事は?」
 ベッドに腰掛けてそう言うハボックにロバートは近づいていく。少年の金髪に手を伸ばすと柔らかい髪を指に絡めて答えた。
「丁度区切りがいいんでね、そろそろ散歩に行こうか」
「はいっ」
 男の言葉にハボックはパッと顔を輝かせて立ち上がる。嬉しそうな笑みを浮かべて見上げてくるハボックの肩に腕を回してロバートは頷いた。そうすれば小走りに部屋を飛び出し階段を駆け降りていくハボックの後を追ってロバートも部屋を出る。玄関で待っていたハボックと並んで外に出たロバートはムッと押し寄せてくる熱気に顔を顰めた。
「夕方になってもまだ暑いな」
「今年は例年より随分暑いってニュースで言ってたっスよ」
 暑さなど大して気にした風もなくハボックが言う。楽しそうに先を歩いていきながらハボックは続けた。
「今日のメニューはもう決めてるんスか?」
「そうだな、こう暑いと食欲もわかないし、カレーにでもするか」
「あ、オレ、カレー大好きっス!」
 パッと目を輝かせて言う子供にロバートが言う。
「香辛料を利かせた辛いヤツだぞ」
「え……あんまり辛いのはちょっと……」
 辛いと言われてハボックが困ったように眉を寄せるのを見てロバートは言った。
「それじゃあジャンの分だけ甘口にしてやろう」
「オレ、そこまで子供じゃないっス」
 ちょっぴりむくれてそう言ったハボックだったが、買い物を始めてしまえばその楽しさに機嫌もあっと言う間に治ってしまった。
「こんな香辛料、見たことないっス」
 普段、マリアが作るカレーは市販のルウを買ってきて作る簡単なものだ。こんな風に香辛料から作るカレーなどお目にかかったことがなくて目を丸くする少年にロバートは言った。
「仕事柄色々な国に行ったからね。アメストリスではあまり一般的でないものも使ったりするよ、私は」
「へぇぇ」
 ハボックはロバートの言葉に頷きながら棚に並んだ様々な瓶を覗き込んでいる。その好奇心旺盛な空色の瞳を見つめてロバートは言った。
「薬なんかもね、アメストリスじゃ知られていないが様々な病気に利くものがあるんだよ。今度じっくり教えてやろう」
そう言えば嬉しそうにニコッと笑う少年にロバートはスッと目を細めた。


「ロバート、オレに手伝える事ないっスか?」
 買い物から帰ってキッチンに入るなりハボックが言う。手伝いたいのだと瞳をきらきらさせて訴える子供にロバートは苦笑混じりに言った。
「そうだな、それじゃあタマネギでも刻んで貰おうか」
「はいっ」
 嬉しそうに元気よく答えてハボックはタマネギを手に取る。皮を剥くと包丁を手にしたハボックだったが、半分も刻まないうちにシバシバと目を瞬かせた。
「タマネギが苛める……」
 ハボックが空色の瞳を涙に滲ませて呟く。タマネギをいじったその手を目元に持っていくのを見たロバートが止める間もなくハボックは目をゴシゴシと擦った。
「おい、その手で擦ったら───」
「いったあ…ッッ」
 手についたタマネギの汁が直接目に入ってハボックは痛みにボロボロと涙を流す。蹲って泣きながら目をこするハボックに近づいて、ロバートは呆れたように言った。
「タマネギをいじった手でこすったら痛いに決まってるだろう」
「ロバート〜〜っ」
 痛い、とボロボロと涙を零すハボックの腕を引いて半ば強引に立ち上がらせる。涙で濡れた少年の柔らかい頬を指先で拭うと、ロバートは涙が零れる眦に舌を這わせた。
「ひゃっ?!」
 突然の事に驚いて飛び上がるハボックの体をロバートはグイと引き寄せる。
「ロ、ロバートっ?!」
「いいから、じっとしていなさい」
 逃げようとする細い体を抱き締めてロバートは囁いた。大きく見開いた瞳の縁を何度も舐めればハボックの体がピクピクと震える。ロバートの腕を掴んだ少年の指が力が入るあまり白くなるに至って、ロバートは執拗に這わせていた舌を離す。まんまるに目を見開き目元をほんのりと染めるハボックを見下ろしてロバートは言った。
「まったく、そんな手でこすったらどうなるか、考えなくても判るだろう、ジャン」
「ご…ごめんなさい」
 呆れた声にハボックは身を竦ませる。痛みからではない涙を滲ませる少年の眦を指先で拭ってロバートは言った。
「手伝いはいいから少し休んでいなさい」
「……はい」
 小さな声で答えるハボックの背をロバートが押し出す。しょんぼりと俯いてキッチンを出ていく少年を見つめて、ロバートはうっすらと笑った。


 ソファーで膝を抱えて縮こまっていればキッチンからいい匂いが漂ってくる。ハボックは抱えた膝に額をこすりつけて思った。
(せっかく手伝おうと思ったのに……)
 呆れたように見下ろしていた緑を帯びたグレーの瞳を思い出してハボックは唇を噛む。抱えた膝に顔を埋めて小さく小さく身を縮めるハボックは、不意に髪に触れてきた手にハッとして顔を上げた。
「目は大丈夫か?」
「平気っス」
 聞かれてハボックは小さな声で答える。不安げに見上げてくる空色の瞳に笑って、ロバートが言った。
「マリアが帰ってくるまでにはまだ時間がある。汗もかいたし一緒に風呂に入ろうか」
「……え?」
「背中を流してくれないか、ジャン」
 そう言って笑う男をポカンとして見上げたハボックだったが、次の瞬間コクコクと頷く。ロバートが差し出す手に引っ張られて立ち上がったハボックがホッとしたように笑えばロバートが言った。
「ここの風呂は広いからな、二人で入っても大丈夫だ。これからは毎日二人でのんびり入って、マリアには聞かせられない男同士の話をしよう」
「……はいっ」
 悪戯っぽくウィンクして言う男に、ハボックは嬉しそうに笑った。


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