菫青石の恋 〜 second season 〜  第三十七章


「それじゃあ行ってくるわ。ジャン、ボブの言うことちゃんと聞いてね」
「もうっ、オレ、小さな子供じゃないんだから大丈夫だよ」
 出かけしなに玄関先で心配そうに色々と言うマリアにハボックが口を尖らせる。そんな二人のやりとりを見て、ロバートが苦笑して言った。
「ジャンの言うとおりだよ、マリア。私たちなら大丈夫だから。早く行かないと遅れるぞ」
「あらやだ、もうこんな時間!じゃあ行ってくるけど、ジャン、いい子にね。ボブ、すみませんけどよろしくお願いします」
 ロバートの言葉に時計を見たマリアは更にもう一言息子に言って聞かせると、新しく夫となった男に向かって頭を下げる。それにロバートが頷けば漸く仕事に出かけていく母親に、ハボックはげんなりとため息をついた。
「まったくもう、母さんってばオレのこと何だと思ってんのさ」
「母親っていうのは心配するのが仕事なんだよ」
 ムゥと頬を膨らませる少年の金色の髪を掻き混ぜてロバートが言う。そうして中へと入っていってしまう男を慌てて追いかけたハボックは、その横に並ぶと男を見上げて言った。
「ねぇ、ロバートの仕事ってなんスか?」
 家でする仕事など想像がつかなくてハボックは興味津々で尋ねる。そうすれば男は己の仕事場用にとあけて貰った部屋の扉を開けながら答えた。
「翻訳の仕事だよ。色々な国の言葉で書かれた本なんかをアメストリスの言葉に直すんだ」
 そう言いながら入った部屋の中には別便で送られてきた段ボールの箱がいくつも積まれている。ロバートはその中の一つを床に下ろすと、ベリベリと封を剥がした。
「翻訳?じゃあロバートっていろんな国の言葉が判るんスか?凄い!」
 そんな仕事をしている人も、ましてや幾つもの言語を使える人も周りにはいたことがなくて、ハボックは目をまん丸にしてロバートを見つめる。
「大したことじゃない。勉強すれば誰だって出来ることだよ」
 尊敬の念を込めて見上げてくる空色の瞳にロバートがそう答えれば、ハボックはぶんぶんと首を振った。
「そんな事ないっ!凄いっス!オレ、ロバートみたいな人に会ったことないっスもん」
 凄い凄いと繰り返す少年にロバートは笑みを深めると段ボールの中から本を取り出しながら言った。
「ここにある本は翻訳をする時の資料なんだ。棚にしまうのを手伝ってくれるかい?」
「はいっ」
 言われてハボックは元気に頷く。ロバートに言われたとおり本を並べながら、ハボックは男に尋ねた。
「じゃあロバートはあちこちの国に旅行に行った事があるんスか?」
「そうだね、シンやドラクマには行ったことがあるよ」
「ほんとッ?!凄いッ!!」
 もう何度目になるか判らない“凄い”を連発する少年にロバートは苦笑する。棚の高いところへ本をしまいながら言った。
「そんなに凄いこともないがね。ただ、アメストリスにはないものを色々見られるのは楽しいよ」
「アメストリスにはないもの?例えばなんスか?花?食べ物?」
 もうすっかり本の整理はそっちのけで聞いてくるハボックをロバートはじっと見下ろす。その緑色を帯びた灰色の瞳で食い入るように見つめられて、ハボックはビクリと体を震わせた。
「ご、ごめんなさい、オレ……そんな話聞いたことないから興奮しちゃって……」
 機嫌を損ねてしまったのかとハボックは口を噤むと本を掴んで棚に納めていく。慌てて本をしまおうとすれば、少年の手に分厚い本は重くてずるりと手から滑り落ちた。
「あっ」
 バサバサと落とした本をハボックは慌てて拾い上げる。それを見ていたロバートは横から手を伸ばして本を拾い上げた。
「本は大切にな」
「ごめんなさいっ」
 ハボックは言って折り目がついてしまったページを丁寧に伸ばす。今度はもの凄く大切にたいせつに本を棚にしまうハボックにロバートが言った。
「外国に興味があるのかい?」
 そう言う男をハボックは手を止めて見上げる。じっと見つめてくる視線が落ち着かなくて、目を剃らして答えた。
「外国に行ったことがある人って初めてだったから……」
 言って再び本をしまう少年にロバートは手を伸ばすとその細い手首をグッと掴む。驚いて見上げてくる空色に薄く微笑んでロバートは言った。
「それじゃあ今度話をしてあげよう、写真や本も見せてあげるから」
「ありがとうっ」
 男の言葉にハボックはパッと顔を輝かせる。男は掴んだ少年の腕をグイと引き寄せ、その細い体を抱き込んで言った。
「私はね、嬉しいんだよ、ジャン。こんな可愛い息子が出来て。ジャンの知らない色んな事を教えてあげるからね」
 抱く腕に力を込めて耳元に囁いてくる男にハボックはビクリと体を震わせる。背中や腰を撫でてくる手がくすぐったくて身を捩って腕から逃げ出したハボックは、本に手を伸ばして言った。
「オレも父さんって知らないからロバートが来てくれて嬉しいっス。いろんな話、聞かせてくださいね」
 そう言って無邪気に笑う少年を、ロバートはうっすらと笑って見下ろしていたのだった。


「美味しかった、ごちそうさま!」
 ハボックはおかわりのピラフもぺろりと平らげて満足そうなため息をつく。食後のコーヒーを飲んでいたロバートはそんなハボックに笑って言った。
「私はこれから仕事をするから部屋にこもるよ」
「あ、はい。片づけはやっとくっスから」
 ハボックがそう言えば男は頷いてダイニングを出ていく。ハボックは汚れた食器をキッチンに運ぶと手早く洗って片づけた。
「ほんとロバートって何でも出来て凄いなぁ」
 ハボックはそう呟いてソファーに腰を下ろす。昼食にとロバートが作ったシーフードのピラフはとても美味しかった。あんまり美味しくておかわりまでしてしまったせいですっかりと膨れ上がった腹の代わりに目の皮がたるんで眠くなってくる。暫くゴシゴシと目をこすっていたハボックだったが、一つ大きな欠伸をするとコテンとソファーに横になるとあっと言う間に眠りに落ちてしまった。


 ハボックが寝入ってしまって少しすると仕事部屋の扉がゆっくりと開く。足音を忍ばせてリビングに来たロバートは、ソファーで眠ってしまっているハボックの姿を見てにんまりと笑った。そっと眠る少年に近づきその側に跪く。ハーフパンツから伸びるすらりとした細い脚に触れるとその滑らかな感触を楽しむように撫で回した。撫でる手をハーフパンツの中に忍ばせると下着の隙間から指を差し入れる。小さな双丘の間に息づく蕾に触れればハボックがピクンと震えて身じろいだ。
「ん………ロバート?」
 スッと手を引き抜くのと同時にハボックがゆっくりと目を開く。ぼんやりと見上げてくる空色にロバートは優しく笑った。
「すまん、起こしてしまったか」
「ううん、平気。うとうとしてただけっスから」
 ハボックはゴシゴシと目を擦って言う。男がソファーの側に跪いて圧し掛かるように身を寄せていることに気づいて少年はおずおずと尋ねた。
「えと……お仕事は?」
「……飲み物を取りに出てきたんだよ。ジャンも何か飲むかい?」
 そう言って立ち上がるとキッチンに向かうロバートをハボックは首を傾げて見つめたのだった。


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