| 菫青石の恋 〜 second season 〜 第三十四章 |
| ホテルを出るとロイはゆっくりと町の中を歩いていく。小さな町はもうすっかり目覚めて、人々が忙しげに歩き回っていた。 サナの事を知りたいと思いはしたものの、いきなり教えてくれと尋ねるわけにもいかずロイは当てもなく歩き続ける。その時、ころころと転がってきたボールがロイの足に当たり、ロイはボールを拾い上げると辺りを見回した。 「おにいちゃん!」 そうすればすぐ側の学校から男の子が手を振って走ってくる。どうぞ、と渡してやれば男の子は礼を言って校門の中へ戻っていった。体育の授業中なのだろうか、校庭では男の子たちがボールを追って走り回っている。なんとはなしにその様子を眺めていたロイの耳に、老人の声が聞こえた。 「子供は元気でいいでしょう?見ているとこっちも元気になってくる」 そう言われてロイは声がした方を振り向く。すると杖をついた老人が笑みを浮かべてロイを見ていた。 「そうですね。私もあんな風だった頃があったなぁと思い出しました」 答えるロイを老人はじっと見つめる。 「お見かけしない顔ですね。でも、どこかで見たことがあるような気もする。失礼ですがお会いしたことがありましたかな?」 「いいえ、お会いするのは初めてだと思います」 もしかしたら軍の広報誌か新聞で取り上げられたのを見たのかもしれない。ロイはそう思ったもののそれは言わずにただ会うのは初めてだとだけ答える。老人は「おや」という顔をしたもののそれ以上は何も言わずにロイと一緒に元気に走り回る男の子達を見ていた。 「あそこの丘の上に古い屋敷が建っているでしょう?あそこに住んでいるのはどんな人なんですか?」 暫くの間黙って男の子達を見ていたロイだったが、悩んだ末にそう尋ねる。老人は楽しそうに男の子達を眺めながら答えた。 「ワイエスさんですな、あの方はとてもいい方ですよ。金持ちだが奢るでなく、この町のために色々と尽くしてくださる。最近はお年で滅多に出てこられませんがね。だいぶ前にご主人が亡くなられてお子さんもなくて……。そうそう、この学校にも随分寄付をされてますよ。お子さんがいない分、子供達のために色々やってくださってるんでしょう」 「なるほど」 一度話し始めてしまえば老人はつらつらと止めどもなく話し続ける。サナの事からは離れてしまった話題をロイは辛抱強く聞いていたが、流石にこれ以上は付き合いきれないとやんわりと話を切って老人に別れを告げその場を離れた。その後も公園や食事に入ったレストランでそれとなくサナの事を尋ねてみたが、返ってくるのは似たような答えばかりだった。 (これではなんの解決にもならん) 町の住民の話からはハボックとの繋がりを知る糸口など何も掴めず、ロイは深いため息をつく。結局何ら進展を得ぬまま一日が過ぎて、ロイは泥のような疲労感を抱えてホテルに戻るしかなかった。 「サナおばあちゃん、お願いがあるんスけど」 昼食が済んで少しした頃、部屋にきたハボックがそう言うのを聞いて、サナは読んでいた本を閉じる。なあに?と尋ねればハボックが遠慮がちに言った。 「あの……この家、二階があるでしょう?窓から外を見せて貰っちゃ駄目っスか?」 一人でアパートに住んでいた頃、窓から外を眺めるのがハボックの常だった。一階の自分の部屋からは綺麗な庭が見えてそれはそれで慰められはしたものの、ハボックは少しでも近い所から空を眺めたかったのだ。 「無理ならいいんスけどっ、部屋からだって空見えるし、二階に上がるには人の手を借りなきゃだし……」 そう言う間にハボックの声が小さくなっていく。ハボックは俯いてキュッと唇を噛むと、顔を上げてにっこりと笑った。 「やっぱいいっス。ごめんなさい、変なこと言って」 ハボックはそう言って車椅子を反転させると部屋から出ていこうとする。そんなハボックの様子に目を見開いて、サナは慌てて立ち上がるとハボックを呼び止めた。 「待って、ジャン」 「サナおばあちゃん」 呼び止められて肩越しに振り向くハボックに優しく笑いかけて、サナはベルに手を伸ばす。チリンと鳴らせばすぐにやってきたジェイコブに向かって言った。 「ジェイコブ、ジャンを二階へ連れていってあげて頂戴」 「サナおばあちゃん、オレ…っ」 「いいから。ジェイコブは力があるから貴方一人どうって事ないわ、ね?ジェイコブ」 慌てて断ろうとするハボックにサナは言ってウィンクする。二人の会話を聞いていたジェイコブは笑って頷くと言った。 「勿論です。ジャンさまの二人くらい、軽々ですよ」 「そこまで軽くないっス」 流石に少しむくれてハボックが言えばサナがクスクスと笑う。ジェイコブが抱き上げようと伸ばした手をちょっと睨んだものの、ハボックがジェイコブの首に手を回してしがみつけばジェイコブは軽々とハボックを抱き上げた。サナに頷いてジェイコブはハボックを二階へと連れていく。テラスに面した椅子にハボックを下ろすと窓を押しあけた。サアッと入ってくる風にハボックは目を瞠る。椅子から乗り出すようにして空を見上げると、ハボックはうっとりと目を細めた。 「すごい、雲一つない」 そう呟いてハボックは自分の瞳と同じ色の空を見上げる。柔らかな風に金色の髪を嬲らせながら空を見上げていたハボックだったが、ふと上空高いところに黒い影を見つけて言った。 「鳥だ、ジャック。鳥が飛んでる」 「どこです?」 「ほら、あのずっと高いところ」 言ってハボックが指さす先を見れば、小さく鳥が飛んでいる姿が見える。ハボックはずっと鳥の姿を目で追っていたが、やがて遠くにその姿が消えてしまうとそっとため息をついた。 「イーストシティってあっちの方角かな」 そう呟く声が聞こえて、ジェイコブはハッとしてハボックを見る。青年の瞳が空のずっと向こうに愛しい相手の姿を見ている事に気づいて、ジェイコブは息を飲んだ。 『明日、もう一度来る。せめてハボックに私が来たと伝えてくれ』 不意にロイの言葉が浮かんで、ジェイコブは咄嗟にハボックが座る椅子の背を掴む。 「ジャック?」 ガタッと椅子が揺れて、ハボックは不思議そうにジェイコブを見上げた。 「どうかしたの?」 「……いえ、なんでもありません」 そう言って笑みを浮かべるジェイコブに、ハボックは首を傾げながらも何も言わずに視線を空へと戻す。 (伝えてどうなると言うんだ。ジャン様は望んでここへ来られた。マスタング様のことを知ったところで辛い思いをなさるだけだ) ジェイコブはそう考えながら、ハボックの横顔をじっと見つめていた。 その日以来、二階の窓がハボックの定位置になった。車椅子であることを考慮して一階にあてがわれていた部屋も、ハボックが望むのならと二階のこの部屋へと移された。食事の時以外二階から降りないハボックのところへ、サナが時折やってきては話をする。ただ一人のことを想い続けて空を見上げることと年老いた庇護者と静かに時を過ごすこと、それだけがハボックの生活の全てになった。 『どうぞお帰りください、マスタング様。お通しするわけには参りません』 冷たい声がそう告げるとロイが何か言う前にブツリとインターホンが切れてしまう。ロイは門扉にしがみついて低く呻いていたが、少しするとトボトボと歩きだした。 ロイがこの町に来て一週間が過ぎようとしていた。毎日毎日、日に何度も丘の上の屋敷とホテルの間を往復しているロイを、その姿が段々と鬼気迫ってくるにつれて町の住民は恐ろしげに見つめるようになっていた。軍の関係者らしいと言う事で手出しも出来ずにいたものの、それでも誰かが軍に問い合わせたらしい。その日、ロイがホテルに戻るとイーストシティのホークアイから電話がかかってきていた。 『大佐、一体何をなさっているか、自分でお判りになっているんですか?』 怒りを抑えて話す副官の声も、今のロイにはどこか遠いものにしか聞こえない。 「中尉、悪いが戻る気はないよ。ハボックと一緒でなければこの町を出る気はない」 『大佐ッ』 ロイはそれだけ言って電話を切ってしまう。フックに戻した受話器をじっと見つめていたロイは、ホテルを出ると再び屋敷へと向かった。 『何度来られても同じです。どうぞお帰りください』 もう一体どれだけこの言葉を聞いたのだろう。ロイはインターホンから聞こえる冷たい返事に黒い門扉を握り締める。この町に来てから一週間、その間どれほど頼み込んでもハボックどころかサナにすら会わせて貰えず、ロイの我慢も最早限界だった。ホークアイから電話がかかってきた事がロイを更に追いつめて、ロイは折れんばかりに門扉を握り締めると呻くように言った。 「何故だ?何故そこまで邪魔をする?私からハボックを奪う権利がお前にあるのかッ?!ハボックに会わせろッ!!さもなければお前の大事な主人ごとこの家を燃やしてやるッッ!!」 呻くような声はだんだんと大きくなり、最後は大声で怒鳴っていた。 「ハボックを返せッ!!返してくれッッ!!」 ロイは大声で怒鳴りながら黒い門扉を揺する。ロイの怒りと悲しみに答えるように握り締めた門扉が軋んだ音を立てて大きく揺れた。 いつもは必死に気持ちを抑えて冷静に頼み込んでいたロイの怒号が、インターホンから飛び出してくるのを聞いてジェイコブは息を飲む。このまま切ってしまおうスイッチに伸ばしたジェイコブの手をそっと押さえる手に慌てて振り向けば、サナがすぐそこに立っていた。 「奥様…っ」 「マスタング大佐ね?ジャンを追ってきたの?」 「今すぐお帰り頂きますからっ」 早口でそう言ってインターホンへ向き直るジェイコブをサナはグッと押し退ける。悲痛な怒声が零れるインターホンへ顔を寄せると口を開いた。 「マスタング大佐?私、サナ・ワイエスです。今、お通ししますからお待ちいただけますか?」 「奥様っ」 サナの言葉にロイの怒声が聞こえなくなる。少しして震える声がインターホンから零れた。 『会って……会って頂けるんですか…?』 「はい、どうぞお入りください」 そう答えればロイが吐き出すように「ありがとうございます」と言う声が聞こえて、サナは微かに微笑んだのだった。 |
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