菫青石の恋 〜 second season 〜  第三十二章


 夜の道を可能な限りの速さでロイは車を走らせる。スピードを落とさぬままカーブでハンドルを切れば、タイヤがギャギャギャと嫌な音を立てた。本来車で一時間半はかかる道のりをロイは十分縮めて目的の場所へ着く。ヌスクと町の名前が書かれた看板の脇を通り過ぎると、ロイは車のスピードを落としモーガンが教えてくれたレストランを探した。
「あそこか」
 柔らかい光が漏れる店を見つけてロイは車を寄せる。運転席から下りたロイが店の扉を開ければ、すぐさま出てきた店員が不安そうにロイを見た。
「ええと……お食事でしょうか?」
 青い軍服はアメストリスでは珍しいものではなかったが、こんな小さな町のレストランに来る事は滅多になかった。ロイの知的な顔にいきなり力を誇示する輩ではないと見てそう尋ねる店員に、店の中をぐるりと見回していたロイは視線を向けて言った。
「尋ねたい事がある。この店を使った客の事なんだが」
 ロイがそう言えば店員はロイを奥へと通す。今日は誰も使っていない個室に案内して待つように言って、店員はロイを置いて部屋を出ていった。気が急いているせいでやたらと長く待たされたように感じたものの、実際にはさほど時間はたっていないのであろう。少しして現れた店長と思しき男は心配そうにロイを見て言った。
「うちの店を使われたお客様のことでお見えになったそうですが」
 この店にもこの町にも、軍に敵対するような人間はいないと言うような事を必死に並べ立てようとする男に、ロイは手を挙げて遮って言う。
「軍は関係ない。私が尋ねたいのはごくプライベートな事に関してだ。数日前、ここにジェイコブと名乗る男が来ただろう?個室を予約して、その男を尋ねて後から二人来たはずだ。車椅子に乗った青年と三十後半の男と。覚えているか?」
 ロイの言葉をじっと聞いていた男は、車椅子の件(くだり)になって「ああ」という顔をする。ロイが話し終えたと見て口を開いた。
「確かに数日前この個室を予約された方がいらっしゃいました。車椅子のお客様ともうお一方、後から来られましたよ。お帰りは個室を予約された方が車椅子のお客様を連れて帰られたみたいでしたけど」
「その予約をしたという男の事を聞きたい。予約を受けたときに連絡先を聞いてないか?」
 男の言葉にハボックがこの店から連れていかれたのだと確信してロイは尋ねる。男はちょっと待ってくれと言うと、店の奥から予約台帳を持って戻ってきた。
「ええと……個室の予約……」
 男はそう呟きながら指で名前を追っていく。ロイも一緒に台帳を覗き込んでいれば、男の指がある名前で止まった。
「ああ、この人です。一応連絡先も聞いてますね」
「本当かっ?」
「あっ、ちょっと!」
 ロイは台帳を引ったくるとJacobと書かれた横に記された電話番号を手帳に書き移す。グッと拳を握り締めて息を吐き出したロイは、台帳を返しながら言った。
「ありがとう、本当に感謝する…っ」
 真剣なロイの声に男は目を丸くしながらモゴモゴと答えを返す。だが、その時にはロイはもうレストランを飛び出していた。キョロキョロと辺りを見回し公衆電話を探す。数ブロック先にそれらしき影を見つけるともの凄い勢いで走っていった。ボックスの中に入ろうと扉に手をかけたロイは、先客が電話をかけていることに気づく。チッと舌打ちしたものの仕方なしに電話があくのを待っていたが、何時までたっても終わる気配のない電話に、我慢の限界を感じて乱暴に扉を開けた。
「おいっ」
 突然開いた扉に電話をかけていた男がムッとして振り返る。だが、ロイの形相にギョッとすると、電話の相手に一言叫んで受話器をフックに戻した。
「ごっ、ごめんなさいッッ」
 叫ぶように謝罪の言葉を口にして、男は逃げるように駆け去っていく。ロイはフンッと鼻を鳴らして男の背を睨みつけると、受話器を取ってコインを投げ込んだ。普段あまり使いはしないが長年馴染みのある番号を回して相手が出るのを待つ。鳴り響くコール音に出かけているのかとロイが思い始めた時、漸くフックが上がる音がした。
『もしもし』
「私だ」
『ああ、大佐。ご無沙汰してます。相変わらずご活躍のようで』
 ロイの声を聞いて情報屋の男が言う。ロイはそれには答えず用件を切り出した。
「調べて欲しい番号があるんだ。この番号の場所に行きたい」
 ロイはそう言ってメモした電話番号を読み上げる。情報屋が繰り返して確認するのに頷いてロイは尋ねた。
「今出先なんだ。こちらからまた連絡する。何分あれば判る?」
『そうですね、これ、軍関係とかそう言った番号ではないんですか?』
「いや、一般の家の番号だと思う」
『だったら十五分もあれば』
「判った。では二十分したら電話する」
 そう言ってロイは一度受話器をフックに戻す。そのままボックスの中で待っていると、電話をかけようと男がやってきたが、ロイに睨まれて慌てて逃げていった。
「くそっ、まだか…っ?」
 ロイは苛々としながら何度も何度も懐中時計を覗き込む。遅々として進まぬ針に時計が壊れているのではないかと、ロイは表面を覆うガラスを叩いた。
「ああ、くそッッ!!」
 苛々しても仕方がないのは判っている。だが、もうすぐハボックの行方が判るかもしれないと思えば、逸る心を抑えることは出来なかった。
 漸くのろのろと時計の針が進んで二十分経った事を告げる。ロイは乱暴に受話器を取り上げると情報屋の男に電話をかけた。
『大佐、判りましたよ』
 電話が繋がった途端聞こえた声にロイは目を瞠る。
「どこだ?」
 短く問えば情報屋が告げる住所を、ロイは震える手で書き留めたのだった。


 ロイは走らせていた車を道端に寄せて停めると、ヌスクで買った地図を広げる。目的の場所へ向かう道を確かめ、ロイは再びハンドルを握ると車を走らせた。
(ハボック……)
 暗い夜道を話し相手もないままに車を走らせれば、心に浮かぶのは愛しい相手の事ばかりだ。ロイはモーガンから渡されたナイフの入ったポケットをそっと手で押さえた。
 ハボックの過去に何があったのか、今のロイには判らない。だが例えそれがどんなに残酷な過去であろうと、ロイにはハボックごと受け入れる覚悟があった。
(失いたくない……絶対に、どんな事をしても取り返してみせる)
 その為には全てを失っても構わない。ロイはそう心に誓って、ハボックへと続く道をひたすらに車を走らせ続けた。


「あそこか」
 真夜中を過ぎて、ロイは漸く目的の場所に辿り着く。僅かな月明かりの下、黒々とそびえ立つ屋敷をロイは睨みつけるように見上げた。
 時計の針は深夜を指して、屋敷は常夜灯の灯りを除いては暗く静まり返っている。一刻も早くハボックに会いたいのは山々だったが、初めての家を訪れるに適した時間でないことは流石に判って、ロイは仕方なしに車に戻ると夜が明けるのを待った。


 電話番号の住所を調べるのにかかった時間の比ではない、気が遠くなるほど長い時間をまんじりともせずに過ごしたロイは、漸く白んできた空にホッと息を吐く。車から下りると強張った体を解し、屋敷の周りを見て回った。
 暗い時には判らなかったが、大きな屋敷は古いとはいえ立派なものだ。住んでいるのも相応の人だろうと考えながら、ロイは屋敷から少し離れた場所にある少し開けた通りへと向かった。まだ早い時間ではあったが、少しずつ動き始めた町を見ながらロイは通りを歩いていく。開店の準備をしているパン屋と思しき女性に、ロイは声をかけた。
「おはようございます、もうパンは焼き上がってますか?」
 そう尋ねる声に振り向いた女性はロイの顔を見て顔を赤らめる。まだ焼けていないと申し訳なさそうに答える女性に、ロイは言った。
「大変申し訳ないのですが、電話をお借りできませんか?至急連絡を取りたいのです」
 そう言って頼むロイに女性は快く頷く。店の奥にある電話を使うようロイを案内すると、外の掃除をすると言って出ていった。
 ロイは受話器を取って番号を回して相手が出るのを待つ。少しして夜勤明けの疲れを滲ませたブレダの声が聞こえた。
「少尉?私だ。夜勤、ご苦労だったな」
『あれ?大佐ですか?おはようございます。どうしたんです?こんなに朝早くから』
 何事かあったのだろうかと身構えるブレダにロイは言った。
「すまないが今日は司令部に行けないと中尉に伝えてくれるか?」
『休みですか?風邪でも引いたんですか、大佐』
 そう聞かれてロイは一瞬迷ったものの正直に答えた。
「いや、ちょっとプライベートで問題があってね。もしかしたら明日も休むかもしれない」
『えっ?明日も?ちょっと待ってください、昨日、大佐が帰った後、中尉もの凄く怒ってましたぜ?プライベートで休みなんて言ったらどうなるか』
 吹き荒れるであろうブリザードを予想してブレダが言う。その言葉にロイは夕べのホークアイとの会話を思い出して苦く笑った。
「悪いがよく謝っておいてくれ、じゃあ」
『ちょっと、大佐っ?今何処にいるんですかっ?大』
 喚くブレダに構わずロイは電話を切ってしまう。少し考えてから夕べ回した番号にもう一度かけた。
「私だ」
 受話器が上がった途端言えば情報屋が答える。
『ああ、かかってくると思いましたよ、大佐。電話番号のヌシがどういった人物か知りたいんでしょう?調べておきましたよ』
「……ありがとう」
 ロイは一瞬目を瞠ったが、息を吐き出して礼を言った。ロイは情報屋が調べた内容を頭に入れると、店を出て屋敷へと向かったのだった。


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