| 菫青石の恋 〜 second season 〜 第二十九章 |
| 「すみません……私がジャンをあそこへ連れていかなければこんな事にはならなかった」 呆然とナイフを見つめるロイの耳にモーガンの声が聞こえる。ゆっくりと顔を上げれば、苦渋に満ちた男の顔が目に入った。 「私がジャンの面倒を見てきたのは、私が彼の後見人だったからです。でも、私はジャンが可愛かったし幸せになって欲しいと思っていた。ジャンが貴方と暮らすことにしたと言ってきた時は驚いたが、あんな嬉しそうなジャンの声は聞いたことがなくて……それなのに…ッ」 そう言ってモーガンは手のひらに顔を埋める。 「あの子が人殺しだなんて、天地がひっくり返ったってあり得ない。あんな優しい子が、人を殺すなんてそんな事…ッ」 モーガンは呻くように言って暫くの間身動き一つしなかった。だが、少しして手のひらから顔を上げると、パンッと両手で頬を叩く。ナイフを握ったまま、まだどこか呆然としているロイに言った。 「私はジャンを連れ戻そうと思っています。あの遺書は確かに本物かもしれないが、こんな人さらいのようなやり方、赦せる筈がない」 「モーガンさん」 「もし、私がジャンを連れ戻したら、その時は」 そこまで言って見つめてくるモーガンにロイも大きく息を吸って吐き出す。モーガンの瞳をしっかりと受け止めて言った。 「勿論その時はしっかりと抱き締めて離さない」 ロイはそう言ってナイフを鞘に納める。発火布の手袋を入れているポケットに滑り込ませると言った。 「私もこのままにするつもりはない。モーガンさん、最初にかけたという番号を教えてもらえますか?それ以外にも何か判ることがあれば」 「勿論です。では事務所の方へ行きましょう。行ったり来たりで申し訳ないが」 そう言ってすまなそうに頭を掻くモーガンにロイは笑みを浮かべて首を振る。二人は立ち上がると事務所に向かうべく急いでアパートを後にしたのだった。 「これが最初に連絡を取ったときの番号です。でも、後でモリスがかけ直したときにはもう使われなくなっていました」 モーガンはそう言いながら番号を書いた紙を差し出す。ロイは番号をじっと見つめてからなくさないよう手帳の間に畳んだ紙をしまった。 「最初に電話に出て、ジャンを車で連れ去った男はジェイコブと名乗りました。65、6…いや、もう少し年がいっているかもしれません。彼は“最後の砦”だと言った女性の使用人、執事か何かではないでしょうか。彼はその女性の事を“奥様”と呼んでいた。『奥様はご高齢だからここへは来られない』とも」 「その女性のことで何か覚えていることはありますか?」 自分が会った男の説明をするモーガンにロイが尋ねる。モーガンは記憶を探るように目を閉じていたが、やがて目を開いて言った。 「彼女はジャンが思いだしたと言ったのだろうと言っていました。それとジェイコブという男はジャンが思い出さなければ彼らはジャンの前に姿を現さなかっただろうと。どういう事かはまだ判りませんが、彼女達はジャンが万が一過去を思い出したとき、その過去からジャンを守る為に存在しているような、そんな感じに思えました」 「それで“最後の砦”か……」 モーガンの説明を聞いてロイは呟く。黙り込んでしまったロイにモーガンが言った。 「今のところ判っているのはそれくらいです。それと、ジェイコブと会ったのはヌスクという小さな町です。待ち合わせたレストランの名前はこれ」 モーガンは言ってメモに店の名前をしたためる。 「ありがとう。また何か思い出したことがあったらご連絡下さい」 「判りました」 ロイが言って立ち上がればモーガンも立ち上がった。見送るために出入口までついていけばロイが振り返って言った。 「モーガンさん、私は絶対にハボックを取り戻す。手荒な手段に訴えようが構わない。向こうがハボックを返さないと言うならたとえ燃やしてでも必ず取り戻すつもりだ」 「マスタング大佐」 イシュヴァールの英雄とまで言われた男の瞳に燃える恋情の焔にモーガンは息を飲む。返す言葉を見つけられないモーガンに、ロイはそれだけ言うとクルリと背を向け、足早に去っていった。 バンッと司令室の扉が開いて目を吊り上げたホークアイが入ってくる。出張明けだというのに氷点下の怒気をまとったホークアイに、ブレダが目を丸くしながらも言った。 「あ……と、お帰りなさい、中尉。大佐と一緒じゃないなんて珍しいですね」 「大佐から連絡は?」 「大佐なら執務室にいますけど」 「帰ってるのっ?」 カッカッと靴音も荒く司令室を横切って執務室の扉に向かっていたホークアイが足を止める。驚いたような鳶色の瞳で見つめられて、ブレダがドギマギしながら答えた。 「はあ、朝少し遅れてきて、その後は執務室にこもってますよ」 そう言えばホークアイが目を見開く。キッと更に目を吊り上げるとノックもそこそこに執務室に入っていった。 「あんなに怒ってる中尉、久しぶりですね」 「だな。もしかして大佐、中尉おいて先に帰ってきちまったのか?」 「もしそうならかなり拙いんじゃないですか?」 ホークアイが執務室に消えて多少なりともその冷気から離れる事が出来ると、ブレダ達はそっと顔を見合わせる。どんな理由があったのか判らないが、これから執務室で繰り広げられる阿鼻叫喚を想像して、当分の間は執務室に近づくまいと思う三人だった。 「大佐」 執務室に入るなりホークアイは怒りのこもった声でロイを呼ぶ。丁度電話中だったロイは片手を上げると二言三言電話の相手に言って受話器を置いた。 「中尉」 「どう言うことでしょう、予定では午前の列車で帰る事になっていた筈ですが」 会食後、ホテルに戻ったホークアイは、連絡事項を一つ忘れていた事に気づきロイの部屋を訪ねた。だが、ロイの姿は部屋になく、いつまで待っても戻ってこない事を不審に思ったホークアイがフロントに確認すればチェックアウトしたという。慌てて駅に向かったものの最終の列車は出た後で、為す術もなく夜を過ごしたホークアイは朝一番の列車に飛び乗ってイーストシティに戻ってきたのだった。 「私に一言もなく戻られるなんて、何かあったらどうするおつもりなんです?」 相手は焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐だ。そう簡単にやられる事はないと判っていても、副官であり護衛も務める身としては黙っているわけにはいかなかった。 「黙って先に帰ってきてしまったことは謝る。だが、どうしても戻らない訳にはいかなかった」 「どう言うことです?大佐」 秀麗な顔に浮かぶ焦燥の色。普段のロイなら絶対に見せることのない表情に気づいてホークアイが尋ねる。 「ハボックがいなくなった」 「いなくなった?何か事件に巻き込まれたんですか?」 ロイの関係者だと言うことでその身に何か危険が迫っているのだろうか。そう思って尋ねたホークアイにロイは首を振った。 「いや、自分から姿を消したんだ」 「姿を?でも戻ったら一緒に暮らすことになっていたのでしょう?」 「そうだ。さっぱり訳が判らない」 そう言ってロイは両手に顔を埋めてため息をつく。疲れきってすっかり元気をなくした様子に、ホークアイは目を丸くした。 「大佐」 何か言おうとすれば、ロイが不意に立ち上がる。ギョッとして見つめてくるホークアイにロイは言った。 「私はこれからヌスクに行ってくる」 「大佐?ですが仕事は───」 「日中済ませた。もう定時だ、これ以上の仕事は明日にしてくれ」 ロイはそう言い捨てて執務室を出る。 「大佐っ、まだ話は終わっていません!」 慌てて追いかけてくるホークアイを肩越しに睨んで言った。 「言っておくが中尉、私はなによりハボックが大事だ。仕事なんてクソ食らえだ」 「大佐ッ?!」 驚き目を見開くホークアイを置き去りにロイは足早に執務室を出ていく。昼間、仕事の合間にモーガンから知り得た情報をロイも自身で調べてみた。だが、手がかりになりそうな新たな情報に繋がるものがなく、ロイは実際にヌスクに行くことで得られるものがないかと考えたのだった。正直なところじっとしていられないというのが本当のところではあったが。 「こんな形で私の前から消えるなんて、赦さないぞ、ハボック」 『マスタングさん』 呻くように呟けば恥ずかしそうに笑うハボックの姿が浮かぶ。ロイを好きだと言いながらも、いつもいつも怯えるようにロイの気持ちからも自分自身の気持ちからも逃げたがっているように見えたハボック。 「必ず取り戻す……ッ」 言ってロイは司令部を後にしたのだった。 |
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