菫青石の恋 〜 second season 〜  第二十八章


 ロイは紙に記された住所を頼りに辿りついたアパートを見上げる。階段を使って三階に上ると、一番端の部屋の扉を叩いた。ガンガンと叩いて少し待ってみたもののなかなか出てこない相手に苛立って、今度は長く叩く。力任せに叩けばすぐ隣の部屋の住人が顔を出したが、ロイの形相を見て何も言わずに扉を閉めた。
「早く出てこい。出てこないと燃やすぞ…ッ」
 冷静になればきっと大した時間はたっていないのだろう。だが、ロイにしてみればモーガンが出てくるまでの時間が永遠にも感じられて、苛立ちは募るばかりだった。


 遠くに聞こえる電話の音に、モーガンは眠りの淵から引き戻される。二日酔いの頭に電話のベルは酷くこたえてモーガンはブランケットの中で悪態をついた。
「クソッ、どこのバカ野郎だ……ッ」
 いつまでも鳴りやまない電話に、モーガンは仕方なしに手を伸ばすと電話をブランケットの中に引っ張り込んだ。
「………もしもしッ」
 あからさまに不機嫌な声で言う。そうすれば受話器の向こうから夕べ最後に会った男の声が聞こえた。
『リック?まだ寝てたか?』
「………ウィル」
 夕べ自棄のようになって酒を呷る自分に最後まで付き合ってくれた友人の名を、モーガンは呻くように言う。うんざりとしたため息をつけば、モリスが苦笑して言った。
『すまん、休んでるとは思ったんだが早く知らせておいた方がいいと思って』
「……なんだ?」
 モリスがわざわざそう言ってかけてくるのだ。大事な事なのだろうとモーガンは受話器を持ち直して耳に当てる。そのモーガンの耳に、モリスの声が流れ込んできた。
『マスタング大佐が来た。ハボックの行き先を知りたいそうだ』
「なんだってっ?」
 モリスの言葉にモーガンは跳ね起きる。その拍子にズキンと痛みの走った頭を抱えているとモリスが言った。
『俺が説明するよりお前に直接聞いた方がいいと思ってな、アパートの住所を教えたから間もなくつくだろう』
「お前、俺は二日酔いだぞ」
 まともな説明なんて出来るもんか、と不貞腐れればモリスが言う。
『深酒してのびてるとも言っておいたから』
「そこまで言うならついでに説明しておいてくれればいいのに」
 恨めしそうに言うモーガンにモリスが苦笑した。
『無茶言うな。ジャンと話したのも、直接先方と会ったのもお前だ。お前以外の誰が説明するんだ』
 モリスの言うことはもっともだ。だが、そうは言ってもハボックが消えた理由をどう説明するかという事を、モーガンはまだ決めかねていた。
「どうやって説明しろというんだ」
 電話を切ってモーガンは呟く。正直自分の中でもまだ事態を消化しきれていない。こんな状態でどうやってあのマスタング大佐に説明すればいいのか、ベッドに蹲ってモーガンが呻いた時、扉をガンガンと叩く音が聞こえた。
「………来た」
 来訪者はガンガンと思い切り扉を叩いたと思うと、殆ど間をおかずにガンガンガンガンと力任せに長く叩く。
「……二日酔いだって知ってんだろ?」
 朝からこれじゃ隣近所から後で絶対文句を言われるに違いない。モーガンは痛む頭を抱えながらのろのろと起き上がると、着替えは後回しにして玄関に向かった。
「今開けますから!叩かないで!」
 外に向かって張り上げた自分の声が頭に響いて、モーガンは玄関先で蹲る。それでも声が聞こえたのだろう、玄関を叩く音がやんだのにホッと息を吐いて、モーガンは立ち上がると扉を開けた。
「モーガンさん?私は───」
「マスタング大佐ですね、モリスから連絡がありました」
 扉を開けるなり聞こえた声をモーガンは片手を上げて遮る。げっそりとため息をつくと、モーガンは部屋の奥を指して言った。
「どうぞ、散らかってますが」
「ありがとう」
 モーガンに促されるままロイはアパートの中に入る。モーガンはリビングのソファーに座るようロイに言うと「着替えてくる」と奥の部屋に引っ込んだ。少ししてモーガンがコーヒーのカップを手に戻ってくる。ロイの前にカップを置いて向かいに座ると言った。
「失礼しました。まだ寝ていたものですから」
「お休みのところ申し訳ない。だが、どうしても話を伺いたくて」
「ジャンの事ですね」
 モーガンが言えばロイがズイと身を乗り出す。
「ハボックはどこです?今すぐ会いたいんです、教えてください」
 そう言ってじっと見つめてくるロイをモーガンは見返して尋ねた。
「ジャンは貴方になんと?」
 そう聞かれてロイはちょっと迷ってからポケットの手紙を取り出す。それをテーブルの上に置けば視線で尋ねてくるモーガンに頷いた。
「拝見します」
 モーガンは言って手紙を開くと目を通す。別れを告げる短い手紙に眉を顰めるモーガンにロイは言った。
「正直何がどうしたのか私にはさっぱり判らない。私が仕事でイーストシティを離れる前は、ハボックには何も変わったところはなかった。私が戻って来たらすぐにも一緒に住む約束だってしていた。なのに帰ってみたらハボックはいなくなって代わりにこれが残されていた。これは一体どう言うことなんですッ?!」
 だんだんと声高になりながらロイは言う。怒りと混乱に大声で喚きたくなるのを必死にこらえながら、ロイは続けた。
「夕べ貴方がハボックをアパートから連れ出したと聞きました。貴方なら訳をご存じ何でしょう?」
 そう尋ねるロイの瞳は一切の誤魔化しは赦さないと告げている。モーガンは眉間を揉んで深く息を吐き出しながら言った。
「正直私にもまだよく判っていないんです」
 モーガンは少しでも楽なように頭をソファーの背に預ける。二日酔いの頭を少しでもシャンとさせようと、コーヒーを一口飲んで言った。
「何日か前、ジャンから貴方と暮らすことにしたという連絡がありました。どういう経緯からそう言った話になったのか、詳しい説明はありませんでしたがマスタング大佐なら身元もはっきりしてますし、ジャンがそうしたいというならそれもいいだろうと思っていたんです。ところが数日してかかってきた電話で“一緒に住むのはやめた。アパートを出たいから住む場所を探してくれ”と言ってきましてね」
「ハボックが一緒に住むのをやめたと言ってきたんですか?何故?」
 驚いて尋ねてくるロイにモーガンは首を振る。
「その時には理由は言いませんでした。とにかく今すぐ住む場所を探してくれないなら飛び降りるとまで言うので慌ててジャンのところへ行ったんです。何とか宥めて理由を尋ねたら自分は“薄汚い人殺し”だと言うんです。同じ夢を繰り返し見ているうち、自分が人殺しだと思い出したと。どういう意味か尋ねてもそれ以上は言わずにただアパートから出たいの一点張りで。仕方ないので詳しい話は後回しにして、住む場所を探す傍らジャンがそんな事を言い出した理由を探して昔の書類を調べていたんです。そうしたら電話番号をみつけまして」
「電話番号?誰のです?」
 そう聞かれてモーガンは首を振る。
「判りません。その番号に電話してみると最初は男が出ました。ジャンのことだと言うとこちらの番号を聞いて今度は女性がかけなおしてきました。 その女性は自分をジャンの最後の砦だと言った上でジャンをある場所までつれてきて欲しいと言ったんです」
「連れていったんですか?ハボックを」
「今考えればバカなことをしたと思っています」
 モーガンは緩く頭を降りながら言った。
「指定されたのはここから車でゆっくり走って二時間弱の小さな町でした。そこのレストランにジャンを連れていくと最初に電話に出た男が待っていて、ジャンだけを女性のところへ案内すると言うのです。誰かも判らない相手にジャンを渡せないと言う私に、男は一通の書類を見せました。ジャンの祖父、サミュエル・ハボックの遺書です。遺書にはこの遺書を持つものがジャンの保護者になる者だと書かれていました」
「ハボックの保護者?だが、祖父母が亡くなってハボックに身内は残っていないと言っていたぞ」
「私もそう思っていました。実際祖母が亡くなったときに調べた限りでは身内なんて存在しなかったんです」
「じゃあ、そいつは誰なんだ?!」
 バンッとソファーの座面を叩いてロイが声を張り上げる。モーガンは首を振って答えた。
「判りません。でも遺書は正式なものだったし偽造の痕もなかった。それでも訳が判らないままジャンを行かせるのは嫌でしたし何とか引き留めようとしたんですが」
 モーガンはそう言って立ち上がると戸棚の抽斗からナイフを持って戻ってくる。テーブルの上に置いたそれをロイの方へ押し出して言った。
「ジャンが貴方に渡してくれと。これは自分の罪の証だと言っていました。貴方にごめんなさいと伝えてくれと言うので、自分で伝えろと言ったんですが………ジャンは行ってしまった。どうしても引き留められなかった…ッ」
 膝の上で手を握り締めてモーガンは呻くように言う。ロイはテーブルの上のナイフを取るとそっと鞘から引き抜いた。
「ハボック……」
 震える声で呟いて、ロイは赤黒く変色した血痕を呆然として見つめたのだった。


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