| 菫青石の恋 〜 second season 〜 第二十五章 |
| なるべくゆっくりと車を走らせながらモーガンはハボックをチラチラと見る。まっすぐに前を見つめる思い詰めたような横顔に向かって言った。 「あの女性は君に会って何を話すつもりなんだろう。……君に覚えはないんだね?ジャン」 そう尋ねればハボックがゆっくりと首を振る。モーガンは夜がすぐそこまで迫っている空を睨みながらハンドルを切って言った。 「どんな話をするにせよ話を聞いたらすぐに戻ろう。彼女から話を聞けばこれからどうすればいいか判るだろうし、急いで戻れば夜中までには戻れるだろう」 「リック」 これからの予定を告げるモーガンをハボックが呼ぶ。なんだいと答えればハボックが言った。 「その人がどういうつもりでオレを連れてきてくれと言ったのか判らないっスけど、オレ、戻る気はないっス」 「ジャン?」 「あそこにはもう戻りません。リック、アパートの事は全部貴方に任せます。売っぱらっちまっても管理人の夫婦に譲っちまってもいい。オレにはもう、必要ないっスから」 その言葉を聞いてモーガンは急ブレーキを踏む。車を止めると体ごとハボックの方を向いて言った。 「何を言い出すんだ。あそこを手放してどうする気だ?確かに売れば金も入るしその金で住む場所を探す事も出来るだろう。だが、あそこ以上に住むにしろ収入の面にしろ君にとっていい場所はないじゃないか」 いろんな面を考えてハボックの祖父母は彼のためにアパートを遺したに違いない。そう思って言うモーガンにハボックはだが前をじっと見つめたきり何も答えなかった。 「……とにかく馬鹿なことを考えるんじゃない。今から行くのは彼女が一体どこの誰かはっきりさせる為だ。それが済んだらアパートに戻る。どうして もアパートに住みたくないならアパートはそのままにして君がいいと言うところに住む場所を探そう。いいね、ジャン」 モーガンはそう言ってハンドルを握ると再び車を走らせる。 (それじゃ駄目なんだ、それじゃ……) 膝の上のナイフを握り締めて心の中でそう呟くハボックを乗せて、車は約束の場所目指して走り続けた。 「今夜はこのあと会食か」 会議から戻ってきたロイはうんざりとため息をつく。窓の外へ目をやれば綺麗な空色だった空がゆっくりと暗さを増し、夜に浸食されていくのを見てロイは眉を顰めた。机の上の電話に目をやり少し迷ってから今度は受話器を取る。そうして番号を回すと相手が出るのを待った。 「……出ない」 いくら待ってもむなしく呼び出し音が鳴るばかりの電話にロイは呟く。あまりない事ではあるがどこかに出かけているのだろうか。それとも。 「ハボック」 その身になにかあったのではとロイの中に不安が沸き上がる。その時、扉がノックされてホークアイが顔を出した。 「大佐、そろそろ出ませんと」 「中尉」 受話器を握ったまま振り向くロイの様子がいつもと違う事に気づいてホークアイが聞く。 「どうかなさいましたか?大佐」 「……いや」 一瞬の逡巡の後、ロイは呼び出し音が鳴り続ける受話器を置いた。 「なんでもない」 ロイはそう言って不安を断ち切るように部屋を出ていった。 二時間ほども車を走らせてモーガンは小さな町に入っていく。おそらくはここがこの町のメインストリートなのだろうという細い通りをゆっくりと走らせて、モーガンは指定されたレストランに車をつけた。 「ジャン、着いたよ」 モーガンは傍らの青年にそう声をかけると車から降りる。後部座席から下ろした車椅子を広げると助手席に座るハボックを抱き上げそっと座らせた。見上げてくる空色の瞳に頷いてモーガンは車椅子を押してレストランへと入っていく。そうすればあらかじめ連絡が入っていたのだろう、出てきた店員がすぐに二人を奥へと通した。一つきりの小さな個室の前でモーガンは一度車椅子を止める。明らかに緊張した様子のハボックを見下ろして言った。 「大丈夫かい?ジャン。少し休んでからの方がよければ───」 「平気っス。早く中へ」 モーガンの言葉を遮ってハボックが言う。睨みつけように扉を見つめるハボックに一つため息をついてモーガンは個室へと車椅子を押して入った。 中に入れば既に来ていた人物がすぐさま立ち上がる。テーブルを挟んだ向こうに立つ男はハボックを見て言った。 「ジャンさま」 そう呼ばれてもハボックは目を見開いて男を見つめたきりなにも答えない。モーガンは部屋の中を見回して他に誰もいないことを確認して言った。 「貴方は最初に応対された方ですね?電話の女性はどこにおられるんです?彼女が来るとばかり思っていましたが」 ハボックをじっと見つめていた男はそう言うモーガンに視線を向ける。軽く頭を下げて言った。 「失礼いたしました、私はジェイコブと申します。奥様はご高齢ですのでここへは来られませんが、ジャン様のことをご案内するよう申しつかっております」 「案内するってどこへ?我々はお話を伺ったらすぐにイーストシティに戻るつもりでいますのであまり遠くへは行けません」 「リック」 モーガンの言葉に不服そうに名を呼ぶハボックに軽く首を振ってモーガンはジェイコブと名乗った男を見る。ジェイコブはハボックを見、モーガンを見て言った。 「ここからは私がジャン様を奥様のところへお連れします。モーガン様はここでお引き取り下さい」 「な…っ?」 そんな事を言い出すジェイコブにモーガンは目を見開く。キッと男を睨みつけて言った。 「どこの誰かも判らないあなた方にジャンを渡して私一人戻れと?そんな事聞けるわけないでしょう!」 モーガンはそう言うと車椅子を今入ってきた扉の方へ向ける。 「申し訳ないがこれ以上話をする事もジャンを渡すわけにもいかない。話があるならあなた方が事務所の方へ来て下さい」 「リック!待ってっ!」 それだけ言って部屋から出ようとするモーガンを肩越しに振り返ってハボックが声を張り上げた。 「待って!オレ、その人がオレを連れていくっていうならそうして貰う。オレの“最後の砦”だっていう女性に会いに行くから!」 「駄目だ、ジャン!」 声を張り上げるハボックにモーガンも大声を上げる。チラリと男を振り返って言った。 「私は君の後見人としてろくに誰かも判らない相手に君を渡すわけにはいかない。私には君を保護する義務があるんだ」 「リックっ!」 悲痛なハボックの声を無視してモーガンは男をまっすぐに見る。 「そう言うわけです。私たちはイーストシティに戻ります。ジャンと話をしたいなら身分を明かした上で私の事務所で話をするというのであればお受けしましょう」 「でも、ジャン様は私と一緒に行かれる事を望んでおられるようですが」 「ジャンの保護者は私です。彼はまだ十九だ、私は彼を守らなければならない」 十五の時からずっと見守ってきた。仕事ではあったがそれでもモーガンなりに幼くして独りきりになってしまった少年を大切にしてきたのだ。モーガンはジェイコブにきっぱりと言って今度こそ部屋を出ようとする。だが、そのモーガンの背にジェイコブが言った。 「お見せしたいものがあります、モーガン様」 その声に振り向くモーガンにジェイコブはブリーフケースから白い封筒を取り出しテーブルの上に置く。モーガンは封筒とジェイコブを見比べると車椅子はそのままにテーブルに歩み寄り封筒を手に取った。封を開けば中にもう一通封筒が入っている。それを取り出したモーガンは封筒を見て目を見開いた。 「これは……遺書?」 手にした封筒は公証事務所で作成された正式な遺書だった。モーガンは店員に鋏を持ってこさせると丁寧に封を開ける。中から取り出した書類を広げて目を通したモーガンは驚きに絶句した。何も言えずに食い入るように紙面を見つめるモーガンの腕を、車椅子を動かして傍に寄ってきたハボックが掴む。グイとモーガンの腕を引いて彼が手に持つ書類を覗き込んだ。 「これ、おじいさんの……?」 サミュエル・ハボックの署名が記されたその遺書には、この遺書を持つ者こそがハボックの保護者であると告げられていた。 |
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