| 菫青石の恋 〜 second season 〜 第二十四章 |
| 締め切った部屋の中で目を閉じていたハボックは、ハッと弾かれたように顔を上げる。いつの間にか夢と現の間を行き来してたようで、脳裏に浮かんだ影を追い払うようにハボックは首を激しく振った。 「……は……ぅ…ッ」 一度思い出してしまえば記憶は後から後から止めどなく溢れてくる。まるで壊れてしまった蛇口から溢れる水のように次から次へと押し寄せてくる記憶の渦に巻き込まれて、ハボックは震えながら自分の体を抱き締めた。 「………」 口にしかけた名前を飲み込んでハボックは唇を噛む。車椅子を動かして戸棚に近づき抽斗を開けた。手前の物を取り出して一番奥にしまい込まれた包みを引っ張り出すと、ハボックは膝の上に載せたそれをそっと開いた。中から出てきたのはひと振りの小さなナイフでハボックは手に取るとそっと鞘を抜く。鈍く銀色に輝く刃をじっと見つめたハボックは、やがてナイフを元通り鞘に納めた。そうして膝に置いたナイフを握り締めて、ハボックはただ時が過ぎるのを待った。 事務所を飛び出したモーガンは車に乗り込むとグイとアクセルを踏み込む。飛び出すように走り出した車のハンドルを操りながらたった今話した相手の事を考えた。 (一体あの人は誰なんだ……) 声の調子からある程度年のいった人のように思える。ハボックの亡くなった祖父母の縁者かとも思ったが、はっきりとは判らなかった。 (だが、あの口振りはいつかこんな日が来ることを知っているかのようだった) ハボック自身すら忘れていた過去を知っている存在。それが一体なにを意味するのか、モーガンは答えを見つけられないまま車のハンドルを握り締めた。 「お疲れさまでした」 会議を終えて戻ってきたロイにホークアイが言う。それに肩を竦めて手にしたファイルを机に放り出すと、ロイはやれやれとばかりに椅子に腰を下ろした。 「コーヒーをお持ちします」 そう言って部屋を出ていくホークアイの背を見送ったロイは窓の外に広がる空を見上げて目を細める。戻した視線の先の電話に目を留めて、ロイは小首を傾げた。 (今朝電話をしたばかりじゃないか) 無性に声を聞きたい衝動に駆られてロイは心の中で思う。まるで初めて恋をした少年のように、恋する相手に会わずにいる時間が不安で仕方のない自分にロイは呆れてため息をついた。 (まったく、どうかしている) 愛していると言ってくれた。ロイがイーストシティに戻り次第一緒に暮らすことにも頷いてくれた。指輪を填めてやれば嬉しそうに笑ったハボックの顔がはっきりと思い出せるというのに。 (何がこんなに不安なんだろう……) 何かのデジャヴのように喪失の不安がつきまとって離れない。ロイは不安に駆られるまま受話器に向かって手を伸ばしたが、掴む寸前に手を握り締めるとその手を机に下ろした。 (馬鹿馬鹿しい。あと何日かで一緒に暮らせるんだ) その日が待ち遠しいばかりに会えない時間が不安になるのだ、ロイはそう自分に言い聞かせると一度目を瞑り息を吐き出す。次に目を開いた時にはすっかり気持ちを切り替えて、ロイは書類を手に取ると目の前の仕事に意識を集中した。 ハボックのアパートについたモーガンは車を停めて降りるとハボックの部屋に向かう。階段を上り扉をノックすれば少ししてハボックが顔を出した。 「ジャン」 そう声をかければヒタと見つめてきた空色の瞳が一つ瞬いてモーガンを中へと通す。モーガンは部屋の中程まで来るとハボックを振り返って言った。 「君のおじいさん達の関係の書類を調べていたらある番号が出てきたんだ。その番号に電話をかけてみると女性が出てきた。その女性は自分のことを君の“最後の砦”だと言っていた。何か心当たりはあるかい?」 「“最後の砦”……」 ハボックはモーガンが言った言葉を口の中で繰り返す。だが、ゆっくりと首を振って言った。 「いいえ、その女性にも彼女が言った言葉にも覚えはないっス」 「その女性はこちらから言う前に君が“思い出した”と言ったからこの番号にかけてきたんだろうと言っていたんだが」 そう言えばハボックの瞳が僅かに見開く。それでもハボックは再び首を横に振った。 「そうか」 ハボックからは女性の事は判らなさそうだと察してモーガンは一つため息をつく。それから少し考えて言った。 「実はその女性から君を連れてきて欲しいと頼まれてる」 「オレを?」 驚いたように見開く空色の瞳を見つめながらモーガンは頷く。 「彼女は何度聞いても自分の名も君との関係も話そうとしなかった。正直そんな相手のところに君を連れていっていいものか悩んでいる」 連れていくと言いはしたもののハボックが嫌だと言えば連れていく気はなかった。むしろそう言ってくれることをモーガンは期待していたのかもしれない。だが。 「連れていってください、リック」 「ジャン」 「オレを連れてきてくれって言ったんでしょう?だったらオレを連れていって下さい」 「だが、誰かも判らない相手だぞ」 「構いません」 きっぱりと言うハボックにモーガンは目を瞠る。ハボックはそんなモーガンににっこりと笑って言った。 「ここから出られるならどこだって構いません。いっそそこが地獄の果てだったらいい」 「ジャンっ!」 そんな事を言うハボックにモーガンは首を振る。苛々と部屋の中を歩き回って言った。 「やはりこの話は断ろう。誰だか判らない相手のところへ君を連れていくなんてしていい筈がない。ここから出たいだけならモリスが今すむ場所を探して───」 「リック」 うろうろと歩き回りながら言うモーガンの言葉をハボックが遮る。その声に足を止めてモーガンがハボックを見ればハボックが笑みを浮かべて言った。 「オレをその人のところへ連れていって、リック。───お願い」 そう言ってじっと見つめてくる空色の瞳にモーガンは何も言えなくなる。深いため息をついて首を振ると言った。 「馬鹿だった。何故あの時断らなかったんだ、何故君にこの話をした」 よく考えれば馬鹿正直にハボックにこの話をする必要などなかったのだ。片手で目を覆って呻くモーガンにハボックは言った。 「あなたは悪くない、リック。悪いのはいつだってオレだから」 「ジャン」 「連れていって下さい、リック」 そう言って見上げてくる瞳に、モーガンは目を瞑ると「判った」と呟いた。 「今からジャンを連れていくから」 『そうか』 「そっちは?何か判ったか?」 期待を滲ませてそう尋ねたモーガンに、モリスはすまなそうに答える。 『いや、あの番号だがな、もう使えなくなっていた』 「なんだって?」 『お前と連絡をとって、もう必要ないと判断したんだろう。最初に電話を切ってすぐに調べるべきだった』 悔しそうに言うモリスの声を聞きながらモーガンも唇を噛んだ。 「とにかく行ってくる。直接会えば判ることもあるだろう」 『ああ、気をつけてな』 そう言うモリスに頷いてモーガンは電話を切る。ブラインドが降りたままの窓辺に座っているハボックを振り返って言った。 「待たせたね、用意が出来たなら行こうか」 「オレならいつでも出られます」 言って見上げてくるハボックをモーガンはまだどこか迷って顔で見返す。それでもひとつため息をついて軽く首を振ると、ハボックの車椅子を押して部屋を出た。車のところまで来るとハボックを助手席に乗せ車椅子を後部座席に放り込む。運転席に回りハンドルを握ったモーガンはハボックをチラリと見て言った。 「じゃあ行こうか」 「はい」 まっすぐ前を向いたまま頷くハボックの思い詰めたような表情に、モーガンはグッと口を引き結んでアクセルを踏み込んだ。 |
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