菫青石の恋 〜 second season 〜  第二章


 ロイは執務室の扉をそっと開ける。そうすればこちらを向いて立っているブレダとバッチリ目が合ってしまった。
「大佐、またですか?」
 恰幅のよい部下はそう言ってロイをジロリと睨む。ロイは女性なら一発で参ってしまいそうな極上の笑みを浮かべて言った。
「在庫が切れてしまってね。朝からあれを食べないとどうにもやる気が起きないんだ」
「いったいどんだけ食べてるんですか、大佐」
 半ば呆れて半ばうんざりしてブレダが言う。自分も相当に菓子は好きだがこの上司のはいささか度が過ぎているのではないだろうか。
「で?今から買いに行く気ですか?」
「昼休みでもいいがそうなるとそれまでの間は開店休業だ」
 平気な顔でそう言い放つ上司にブレダはがっくりと肩を落とす。もう何度この会話を繰り返しただろう。以前はもう少しまともだったような気がするが最近とみに酷いと思うのは気のせいではない筈だ。
「判りました。車出しますからさっさと買っちゃってください。中尉が帰ってくる前に戻りますからねッ」
「勿論だとも」
 ホークアイは丁度今、総務の方へ所用があって席を外している。そうでなければロイもこんな事は言わないのだが、言い出したら自分ではどうしようもないのが判っていて、ブレダは自分に可能な最善の方法で即行処理しようとしていた。
「車、回しますからすぐ来てください」
「ありがとう、少尉」
 にっこりと笑うその顔はあくまで対女性用だ。
(俺にはマイナスなだけだからやらんでくれ)
 ブレダは内心そう思いながら司令室を足早に出たのだった。


「大佐、早くしてくださいね!」
「判っている」
 車から降りようとするロイの背中に運転席のブレダが言う。お気に入りの洋菓子店の前につけた車からロイは降り立つと背後を振り返った。
(よかった、今日もいた)
 そう思いながらロイが見上げたのは洋菓子店と通りを挟んで向かいに建っているアパートの一室だった。アパートの二階の窓辺に座る青年の姿に気づいたのはいつだったろう。くどくどと文句を並べ立てるブレダの言葉にうんざりして、視線を巡らせたその先にその青年はいた。まるで夢見るように空を見上げたその瞳は、見上げた空を映したような綺麗な空色だった。
(もっと近くで見てみたい)
 それがロイが最初に思ったことだ。ロイが見ているのを知っているのかいないのか、窓辺に座った青年は夢見るように通りを行き交う人々を見つめる。
(私のことも見ているんだろうか)
 そう思ってじっと見つめてみたものの、距離があるせいだろう、青年はロイが自分を見ているとは思っていないようだ。時折楽しそうに細められる瞳は、決して見つめる人々を嘲っているのではなく、むしろ大切に抱き締めているかのように見える。見つめれば見つめるだけ会って話をしてみたくて、ロイは時間の許す限り洋菓子店に通うフリをしながらこの場所に通っていた。
(一度くらい出てきたところに当たってもいいものだが)
 これだけ足繁く通っているにもかかわらず、ロイが見るのはいつも窓辺に座っている姿だけだ。この時間は外へは出ない事に決めているのだろうかと、通う時間を変えることも考えたが、正直忙しい身としては午前中早いこの時間が一番抜け出しやすいのも事実だった。
(訪ねてみるか……?)
 さっぱり埒があかないことに苛立ってそう思ったことも一度や二度ではない。だが見も知らぬ男が、いきなり「会って話をしてみたかった」と言って家を訪ねたりしたら、警戒されることは判りきっている。下手をすれば不審者だと通報されかねない。
(くそ…っ)
 ロイは内心自分の腑甲斐なさに苛々しながら店に入る。にこやかな笑みを浮かべていつもの菓子を買うと袋を手に外へと出た。
(一度でいい、頼むから外へ出てきてくれ)
 そう願いを込めてロイは窓を見上げる。
「大佐っ、早く乗ってくださいッ!」
 ロイの心の内など知りもしないブレダがそう喚くのにため息をついて、ロイは車に乗り込んだのだった。


「おはようございます、大佐。朝から視察とはご熱心ですね」
 司令部に帰ればホークアイが実に綺麗な笑顔で迎えてくれる。その笑顔の中で鳶色の瞳だけが笑っていない事に、ブレダは内心冷汗をかいたが、笑顔を向けられたロイの方は至って平気なものだった。
「ああ、中尉、おはよう。今日もイーストシティは平穏無事のようだよ」
 にっこりと笑ってロイは答える。だが、今日も明日も明後日もイーストシティが平穏とはほど遠い街である事は誰もがよっく知っていた。
「そうですか、それではその平穏を守るためにもキリキリ働いて頂きましょう」
 そう言って執務室に入っていくホークアイの後に続きながら、ロイはげんなりと肩を落とした。


「店に可愛いお嬢さんでもいるんですか?」
「え?」
 ロイの前に容赦なく書類の山を築きながらホークアイが言う。見開いて見つめてくる黒曜石の瞳に、ホークアイは笑みを浮かべて言った。
「毎日毎日同じ時間に同じ場所へ。幾ら何でも気付きますわ」
 そう言われてロイは僅かに目尻を染める。女性に関しては百戦錬磨の男の、少年のような反応にホークアイは「あら」と思った。
(冗談のつもりだったのだけど、寝た子を起こしてしまったかしら)
 余計なことを言って業務に支障をきたしては拙いと、ホークアイはその話を打ち切って殊更事務的に仕事の話を始めたのだった。


(可愛いお嬢さん……いるのはお嬢さんではないが)
 ホークアイが書類を抱えて出ていってしまうと、ロイは頬杖をついて考え込む。
『毎日毎日同じ時間に同じ場所へ。幾ら何でも気付きますわ』
(気付く?何に?)
 ロイがそう考えれば、ホークアイが口にしなかった言葉が聞こえてきた。
『そのお嬢さんに恋してるんですのね』
 ホークアイの声で浮かんできた考えにロイは暫し凍り付く。次の瞬間ガタンと椅子を蹴立てて立ち上がったロイは上げそうになった大声をすんでのところで飲み込んだ。
「恋?名前も知らない相手だぞ」
 だが、そう言葉にしてしまえばむしろ自分の気持ちがはっきりとして、ロイは呆然としてストンと椅子に腰を下ろした。
「恋…私が彼に……」
 そう呟けば窓辺に座る青年の姿が浮かぶ。執務室の窓から見える空を見上げて、ロイはあの空色を間近で見たいと強く思った。


「では中尉、行ってくるよ」
 執務室から出てきてそう言うロイにホークアイは思い切りため息をつく。綺麗な眉を寄せてロイを睨むと言った。
「私は店に可愛いお嬢さんがいるのですか?と聞いただけで、会いにいってもいいと言った覚えはありません」
「会いたいのは店のお嬢さんじゃないがね」
 ロイの答えにホークアイは思わず目を瞠る。だが、ここで相手は誰かと尋ねてしまったらロイの思うつぼだと一つ咳払いして言った。
「相手が誰だろうが関係ありません。今は仕事中───」
「恋の前には仕事なんてクソ食らえだよ、中尉」
「大佐!」
 ロイはにこやかに笑って言うと手を振って司令室を出ていってしまう。眉間に手を当てて呼吸を整えていたホークアイは、二度三度大きく息を吐いて言った。
「ブレダ少尉」
「はいっ」
 自席で息を潜めて事の成り行きを見守っていたブレダは、ホークアイのご指名に飛び上がって気をつけをする。直立不動で目だけキョロキョロとさまよわせるブレダを睨んで、ホークアイは言った。
「大佐についていって余計な寄り道をしないよう、しっかり見張っていてちょうだい」
「アイ、マァム!」
 ピシッと敬礼をすると、ブレダは逃げ出すように司令室を飛び出していく。
「先が思いやられるわ……」
 その背中を見送りながら、ホークアイはうんざりとため息をついたのだった。


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