菫青石の恋 〜 second season 〜  第十六章


 深くふかく合わせた唇を漸く離してロイはハボックを見つめる。
「ハボック……ハボック」
 何度目かに呼べばゆっくりと現れた空色にロイは嬉しそうに笑った。
「お前がそんな風に言ってくれるなんて、本当に嬉しい」
「マスタングさん……」
 ロイは言ってハボックの頬を何度も撫でる。擽ったそうに目を細めて見上げてくるハボックにロイは言った。
「お前に渡したいものがあるんだ」
「オレに?」
 不思議そうに尋ねるハボックにロイは頷いてポケットを探る。中から小さな箱を取り出してハボックに差し出した。
「これは?」
 ロイはハボックの目の前で小箱の蓋を開けてみせる。現れた金色のリングを見て、ハボックが目を丸くした。
「綺麗っスね。どうしたんスか?これ」
「これは私の祖父が祖母にプロポーズする時に渡したものだ。それを祖母が私にくれたんだよ。生涯を共にしたいと思う相手に出会ったら渡せと言って」
 ロイはそう言ってハボックを見つめる。その手を取って言った。
「受け取って貰えないだろうか、ハボック」
「……え?」
「お前にこの指輪を受け取って貰いたいんだ」
 ロイの言葉にハボックがポカンとする。どうやらよく意味が飲み込めていないらしいハボックに、ロイは苦笑して言った。
「一生私の傍にいてくれ、ハボック。……私が言っている事が判るか?プロポーズだよ、これは」
 そう言われて空色の瞳が大きく見開く。何も答えないハボックに、ロイがもう一度繰り返そうとした時、ハボックが激しく首を振った。
「そんなの無理っス!プロポーズって、なんでオレにっ?」
「お前を愛しているから」
 その言葉にハボックが大きく目を見開く。ロイを食い入るように見つめて言った。
「オレには判らないっス。どうしてオレなんスか?オレはアンタがオレにしてくれた事の十分の一も返す事ができないのに。オレはいつだって貰うばっかりでアンタに何もしてあげられない」
「ハボック」
 唇を噛んで俯くハボックにロイは手を伸ばす。ハボックの顎を掬って揺れる空色を覗き込んで言った。
「お前は本当に判ってないな……どれほどお前という存在が私を慰め満たしてくれているか」
「マスタングさん……」
 ロイはハボックの髪をそっと撫でながら続ける。
「一つ聞いてもいいか?ハボック。お前にとって私はどんな存在なんだろう。会えなくて淋しいと言うのはどう言うことなんだろうな」
 そう聞かれてハボックは目を見開いた。それからひとつ瞬いて視線を落とす。膝の上の己の手をじっと見つめて言った。
「最初は何の気なしに眺めてたんス。アンタみたいな人が仕事サボってお菓子買いに来るなんて面白いなぁって。でも、毎日毎日眺めてるうちに目が離せなくなって……。色んな事想像してた……もしオレがアンタの部下だったらどうしてるだろうって……楽しかったけど、哀しかった」
「ハボック」
「アンタがオレの事を助けてくれて、家に来るようになって、嬉しかったけど怖かった。これ以上好きになったらどうしよう、って。マスタングさんがオレのところに来るのはどうせ一時の気紛れなんだから好きになったら駄目だって……でもアンタはオレの事が好きだって」
 ハボックはそこまで言ってロイの顔を見る。見つめてくる黒い瞳を真っ直ぐに見返して続けた。
「嬉しくて、でも怖くていつだって気持ちはぐちゃぐちゃだった。マスタングさんの事好きになればなるほど一人でいられなくなって、今だってアンタに傍にいて欲しいって思って……そんなわがまま言っちゃいけないのに…ッ!」
「ハボック」
 悲鳴のように上擦った声でハボックが叫ぶ。ロイは髪を撫でていた手を背に回してハボックを抱き締めた。震える体を抱き締めてその耳元に囁く。
「好きな相手に傍にいて欲しいと思うのはわがままなのか?だとしたら私のわがままは相当なものだな」
「マスタングさん……」
「私は自分のわがままを直す気もないし、そんなわがままならお前にも幾らでも言って欲しい。なあ、ハボック、一つ提案なんだが」
 ロイはそう言ってハボックの顔を覗き込んだ。
「私がイーストシティに戻ったら一緒に暮らそう。そうしたらわがままがわがままでなくなると思わないか?」
「マスタングさん」
「好きだ、ハボック、一緒にいたい」
 まっすぐにそう告げる黒い瞳に。
「マスタングさん…ッ」
 もうそれ以上拒むことなどハボックには出来なかった。


「じゃあ、毎日連絡する」
「無理しないでいいっスよ。オレなら大丈夫っスから」
「……本当に?ハボック」
 そう聞かれてハボックは目を瞠る。瞳を伏せてキュッと唇を噛むハボックをロイは呼んだ。
「……ついていきたいっス」
「ハボック」
「脚が動いたら、こっそりついていくのに…ッ」
 言って腕を伸ばしてくるハボックをロイはギュッと抱き締める。
「すぐ帰ってくるから」
 そう囁けばロイの背をかき抱くハボックの指でリングがキラリと光った。


 窓から降り注ぐ陽射しを見上げてハボックは微笑む。陽の光を受けてキラリと光るリングにハボックは唇を寄せた。
「マスタングさん……」
 夕べは前日散々に夢でうなされたのが嘘のようによく眠れた。無理に押し込めようとしたロイへの気持ちがあんな形になって現れたのだろうか。
「大好き」
 それでもやっと自分の気持ちと正面から向き合うことが出来たのだとしたら、あの恐ろしい夢も意味があったのかもしれない。
 ハボックは幸せそうに微笑むとリングをはめた手をギュッと胸元に抱き締めたのだった。


「まったく、どうしてこう会議というのは無駄に長いんだ」
 ロイはそう言いながらドサリと椅子に身を投げ出す。ファイルを抱えたホークアイが苦笑して言った。
「次の会議まで三十分あります。コーヒーをお持ちしましょうか?」
「頼むよ」
 ロイの言葉に頷いてホークアイが出張の間あてがわれた部屋から出ていく。ロイは少し考えて受話器に手を伸ばすと番号を回した。コールが鳴り出したと思う間もなく受話器が上がる音がする。
『マスタングさん?』
 名乗るより先にそう言う声が聞こえて、ロイは思わず目を瞠った。次の瞬間プッと吹き出してロイが言う。
「私じゃなかったらどうするつもりだったんだ?」
『絶対マスタングさんだと思ったっスもん』
 そう言う声にロイは疲れも吹き飛ぶような気がする。
「どうだ?ちゃんと眠れてるか?」
『はい、大丈夫っス』
 もっとたくさん話したい、もっとたくさん話して欲しい、そう思っているのになかなか言葉が出てこない。そうこうしているうちにノックの音が聞こえて、ロイはため息をついた。
「すまん、ハボック。もっと話していたいんだが」
『声聞けたから十分っス』
 そう答える声にロイは微かに笑みを浮かべる。
『会議、サボっちゃ駄目っスよ』
 甘い言葉を期待したその瞬間そう言う声が聞こえてロイは目を見開いた。
「判ったよ、お前に叱られないようにちゃんと出る」
 笑いをこらえてそう言うと名残惜しくはあったが受話器を置く。
「ハボック……」
 離れていても気持ちが通じていればこんなに満たされるものなのか。窓から見える空を見上げてロイは幸せそうに微笑んだ。


 ロイが出張に出て三日ほどが過ぎた。約束通り日に一度はかかってくる電話がなによりも待ち遠しく思っている自分に気づいて、ハボックは苦笑した。なんと言っても忙しいロイだ。電話をかけてきてくれても元気で過ごしていることと、あと二言も話せば時間になってしまう。それでもその僅かな時間が愛しくてハボックは生まれて初めて満たされるとはこういうものなのだと知った。
『私がイーストシティに戻ったら一緒に暮らそう』
 ハボックはリングを見ながらロイが言ったことを思い出す。
「なんだか嘘みたいだ」
 いつだって自分は世界の外から眺めていることしかできないと思っていたのに。満ち足りた笑みを浮かべてハボックは棚の時計を見る。
「もう、こんな時間」
 そろそろ休もうと、ハボックは車椅子を操って寝室へと入っていった。


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