| 菫青石の恋 〜 second season 〜 第十五章 |
| ロイは送迎の警備兵に一言声をかけて車を降りる。玄関の灯りだけが灯された家の中に入り部屋の灯りをつければ、それを確認した警備兵が車を走らせて去っていった。 「ふう……」 昨日無理を言った為、今日のスケジュールはぎちぎちだった。それでも疲れも感じずすっきりとしている自分にロイは小さく笑った。 「まったく、人間なんていい加減なものだ」 気持ちの持ちようひとつでこうも変わるとは。ついこの間はこの世の終わりだと思えるほどに落ち込んでいた自分が、今日はこんなにも満ち足りて幸せだと思っている。その上でまだ欲しい物があることに気づいて苦笑した。 「人間の欲望はキリがない」 今までにも散々に実感させられてきた事実を、自分の事として感じるとは。それでも決して不快ではないそれに、ロイは肩を竦めて浴室へと向かった。 手早くシャワーを済ませると、ロイはタオルで髪を拭きながら書斎に入る。シャワーを浴びているときにふと思いついた錬成式を書き留めておこうと手帳の入った抽斗をあけたロイは、奥の方に入っている小さな箱に気づいて手を止めた。少し考えてから手帳ではなくその箱を抽斗から取り出す。そっと蓋を開ければ中には金にルビーをあしらったリングが入っていた。 「すっかり忘れていたな」 それはロイの祖母が生きていた頃渡してくれた物だった。 『貴方のおじいさまが私にプロポーズする時にくださったものよ』 いつかロイが生涯を共にしたいと願う相手に巡り会ったら、その時に渡すようにと言って祖母がくれた指輪をロイは抽斗の奥に突っ込んだまま忘れ去っていた。これまでいろんな女性と付き合う機会はあったものの、生涯を共にしたいなどと思った相手は一人たりともいはしなかったのだ。 「ハボックに」 これを渡したら彼はどんな顔をするだろう。真っ赤になって困ったように俯くだろうか。 愛しい相手の姿を思い描けば自然と笑みが浮かぶ。ロイは小箱の蓋を閉じるとそれを手に書斎を出ていった。 執務室で書類に目を通していたロイがノックの音に答えればホークアイが入ってくる。二、三書類にサインを要求したホークアイはファイルを開いて言った。 「それから大佐、先ほどセントラルのレインズ大佐から連絡がありました」 続きを聞けばロイのセントラル行きを乞う内容にロイは思い切り顔を顰める。 「まったくぐちゃぐちゃと煩い男だな」 「大佐」 口汚く相手を罵るロイを窘めてホークアイは苦笑した。ロイの気持ちも判らないではないが、だからと言って知らん顔をするわけにもいかない。 「出張の手配をいたします、大佐」 言外に“よろしいですね?”と念押しすればロイがしょうがないとばかりに肩を竦めた。 「判ったよ、中尉。君には逆らえない。でもなるべく短く頼むよ」 あからさまに不満のため息を漏らすロイにホークアイは苦笑する。そんなホークアイを見上げてロイは言った。 「出張は仕方ないとして、今夜は早くあがっても構わないか?出張に行く前に行っておきたいところがあるんだが」 口調は質問だがロイの中では決定事項であることに気づいて、ホークアイはピクリと眉を跳ね上げる。出張に行くならその前に片づけておいて欲しい書類もあるのだと言いたげに書類の山を見下ろせば、ロイが笑って言った。 「心配しなくてもちゃんと終わらせるよ」 その視線の意味を察してロイが言えばホークアイが笑みを浮かべる。 「ではよろしくお願いします」 色々と、と口には出さず一礼して、ホークアイは執務室を出ていった。 「では、明日は家から直接駅に向かうから」 「はい、ホームでお待ちしております」 宣言通りに書類を全て片づけてロイはホークアイに言う。できるなら最初からやって欲しいものだと思いながら答えたホークアイに頷いて、ロイは執務室を出た。司令部を出て車に乗り込むと家ではなくハボックのアパートへと向かう。洋菓子店の前で車を降りるとアパートではなく店に入ってケーキを買い求めた。それを手に通りを渡りアパートに向かう。階段を上がり鍵を開けるとハボックの部屋に入った。 「ハボック?」 いつもなら鍵を開ける音で顔を見せるハボックが姿を見せない事を訝しんで、ロイは奥へと入りながら声をかける。そうすれば窓辺に車椅子を寄せて小さく身を縮めるようにしているハボックを見つけて、ロイは慌てて駆け寄った。 「ハボック!どうした?具合でも悪いのか?」 その声にビクリと震えてハボックが顔を上げる。目の前にロイがいるのを見て、ホッとしたように笑った。 「マスタングさん、来てくれたんスね」 「どうした?顔色が悪いな」 ロイはそう言ってハボックの頬を撫でる。その手の温かさにハボックは安心したように目を閉じた。 「よく眠れなくて……」 息と同時に言葉を吐き出してハボックが言う。手に頬を擦り寄せるその幼い表情にロイはたまらずハボックを抱き締めた。 「調子が悪いのか?それとも何か気になることでもあるのか?」 心配そうに顔を覗き込んでくるロイをハボックはじっと見つめる。それからロイの胸に頬を寄せて言った。 「疲れてんのかな……風邪のひき始めかもしれないっス」 「大丈夫か?食事は?」 「あんまり食欲なくて」 そう答えるハボックにロイは眉を顰める。胸に顔を埋めるハボックの顎を捉えて言った。 「調子が悪いなら尚の事栄養をとらないと駄目だろう?」 「大丈夫、少しは食べてるから」 ハボックはそう言ってテーブルの上のケーキの箱に目をやる。 「ケーキ!買ってきてくれたんスね。食べましょう」 「何か食事になるものを買ってくればよかったな」 にっこりと笑うハボックにロイはため息をついて言った。それでもハーブティーを淹れるとテーブルについたハボックの前に箱を開けて置いた。それぞれにケーキを選んで食べ始める。ハボックはロイが食べているケーキを見て言った。 「それも食べてみたいっス」 「ん?ああ、いいとも」 ロイは言ってハボックの方へ皿を押し出す。だが、ハボックは皿ではなくロイの腕を掴んでグイと引いた。 「ハボック?」 一瞬ハボックが何したいのか判らずロイはハボックの顔を見る。強請るような視線に、ロイはこの間ケーキを食べた時の事を思い出して目を瞠った。 「ハボック……」 クスリと笑ってロイは腰を浮かすとテーブルの向こうのハボックに口づける。唇を離すと目を閉じているハボックの頬を撫でて言った。 「旨いか?」 「……はい」 ハボックはそう答えて頷く。目を開ければ自分を見つめる黒い瞳に、ハボックはゆっくりと不安が消えていくのを感じていた。 ソファーに寄り添って座れば自分に寄りかかってうつらうつらし始めたハボックをロイは優しく抱き締めていたが、戸棚の上の時計を見てため息をつく。微かに罪悪感を感じながらハボックの肩を揺すった。 「ハボック」 名を呼べばハボックがうっすらと目を開く。ぼんやりと宙を見つめるハボックを覗き込んで言った。 「すまん、ハボック。もう帰らないと」 そう言えばハボックがロイを見る。ハッとして体を起こすと頬を染めて言った。 「ご、ごめんなさいっ、せっかく来てくれたのに、オレ…っ」 「構わないよ、眠れてないと言っていたからな。本当はもっと寝かせてやりたいんだが、明日から出張でね。用意もしないとならない」 「えっ?出張っスか?」 出張と聞いてハボックが驚いたように目を瞠る。ロイはうんざりとしたため息をついて言った。 「本当は行きたくないんだが、なかなかそうもいかない」 そう言うロイをハボックは目を見開いて見つめる。ロイは苦笑してハボックの頭を撫でると言った。 「顔は見れないが毎日電話するから」 言ってロイはそう言ったところでまた「大丈夫だから」とやんわり断られるかと思ったが、黙り込んでしまったハボックに眉を顰める。 「ハボック?」 「……あっ、……あ、その、気をつけて行ってきて下さいね」 呼べば慌てて答えるハボックにロイは眉間の皺を深めてハボックの顎を掬った。揺れる空色を見つめれば薄い瞼が瞳を覆ってしまう。 「ハボック」 少しきつい口調で名を呼べばハボックが瞳を閉じたまま答えた。 「……淋しいっス」 囁くような声にロイは目を見開く。次の瞬間噛みつくように口づけて、きつく抱き締めるとその耳元に囁いた。 「連絡する。なるべく早く帰るから」 その声に縋るようにハボックはロイの背に回した手に力を込めた。 |
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