| 菫青石の恋 〜 second season 〜 第十四章 |
| 「イヤアあああッッ!!」 自分があげた悲鳴にハボックは目を見開く。ハアハアと息を弾ませて見上げた先は薄闇に沈んだ寝室の天井だった。 「……ゆ、め…?」 そう呟いた声はカラカラに乾いて掠れている。恐怖のあまりベットリと汗をかいた体からゆっくりと力が抜けて、ハボックはベッドに沈み込んだ。 「あ……は……」 夢だと判ってハボックは両手で顔を覆う。夢で聞こえた声がロイに抱かれようとした時聞こえた声だと気づいて、ハボックはゾクリと震えた。 「誰…?誰の声なんだ……?」 あれほどまでの恐怖を引き起こす声に聞き覚えがないのはおかしい。だが、それ以上考えるのも恐ろしくてハボックがその声を頭から閉め出そうとした時、外から言い争うような声がしてハボックは身を強張らせた。息をつめて聞いていれば、それが単なる酔っぱらいの声だと気づいてハボックは詰めていた息を吐き出す。そっと目を閉じれば途端にあの黒い男の陰が瞼に浮かんで、ハボックは慌てて目を開いた。 「怖い……」 訳の判らない恐怖に心臓を鷲掴まれて、ハボックは震えながらまんじりともせずに夜を過ごしたのだった。 「おはようございます、大佐」 開いた扉から入ってくるロイに向かってフュリーはそう声をかける。そうすればロイが満面の笑みで答えた。 「おはよう、フュリー曹長。いい朝だな」 「……そうですね」 昨日とはうって変わって上機嫌のロイにフュリーは目を丸くする。鼻歌すら歌い出しそうなロイにフュリーは尋ねた。 「悩み事は解決したんですか?大佐」 「ん?ああ、おかげさまでね。ありがとう、曹長」 「いえ、僕は何もしてませんし」 にっこり笑って言うロイにフュリーも笑って返す。スキップするような足取りで執務室に入るロイを見送ってフュリーは感心したようなため息をついた。 「すごいなぁ、大佐。一晩で悩みを解決しちゃうなんて」 流石、と何度もうなずくフュリーだった。 明るい気分で腰を下ろし、少ししたところでホークアイがやってくる。ロイの顔を見て僅かに眉を跳ね上げて言った。 「その様子だと上手くいったようですね、大佐」 「ああ、何もかも君のおかげだよ、中尉」 ありがとう、と言うロイにホークアイは苦笑する。正直自分は彼のために時間を作ってやっただけで何もしていないのだが、あえてそれは言わずにファイルを広げた。 「昨日先延ばしにした会議が三十分後に始まります。昼を挟んで会議が続きますけれどど、大佐」 「判ってるとも!最初から最後まできっちり参加してくるよ」 暗にサボるなという意味を込めて見つめれば、そう答えてにっこりと笑うロイにホークアイは思わず眉を顰める。 (どこまでこれがもつのかしら) とりあえず一週間はこの調子でいて欲しいとこっそりと思うホークアイだった。 午前中の会議を終えて執務室に戻ったロイは電話に手を伸ばす。今日は躊躇いなく受話器を取ると番号を回し相手が出るのを待った。 『……はい』 受話器の向こうから聞こえた愛しい声にロイは目を細める。窓の向こうの空を見上げて、それと同じ色の瞳を持つ相手に言った。 「夕べは遅くまですまなかった。あの後はすぐ寝られたか?」 『……はい。マスタングさんこそ疲れてないっスか?あんまり寝る時間なかったんじゃ……』 気遣ってくれる気持ちが嬉しい。ロイはうっすらと笑みを浮かべて答えた。 「私なら大丈夫だ。お前の顔を見られたからな、それだけで疲れなんて吹っ飛んだよ。それに」 キスもたくさんしたから、と悪戯っぽく囁けば責めるように名を呼ばれる。きっと電話の向こうで真っ赤になって受話器を握り締めているであろう相手を思い描いて、ロイは楽しそうに言った。 「元気そうで安心した。今日はちょっと行けそうにないが、明日か明後日には行くから」 『忙しいんでしょう?無理しなくていいっスよ、オレなら大丈夫っスから』 「ハボック」 返ってきた返事にロイは不満そうにハボックを呼ぶ。そうすれば黙ってしまう受話器の向こうの相手にロイは言った。 「本当は今日だって会いたいんだ、ハボック」 『マスタングさん……』 オレも、という答えを期待したがハボックは困ったようにロイを呼んだきり何も言わなかった。その事にほんの少し不満を感じながらもロイは言った。 「明日はそっちに行く」 『……はい、でも、無理しないでくださいね』 「じゃあ。……愛してるよ、ハボック」 『………………レ、もっ』 なかなか返ってこない返事に諦めて受話器を置こうと思った時、聞こえた囁くような声にロイは笑みを浮かべる。受話器にチュツとキスをするとそっと受話器をフックに戻した。 「まったく……」 焦れったいほど遠慮がちなハボックにロイはそう呟く。だが、それでも返ってきたたった一言に胸を熱くして、ロイは幸せそうに空を見上げた。 受話器をフックに戻してハボックはため息をつく。ロイのまっすぐな愛情はとても嬉しかったが、同じように素直に愛情を示すことは自分には到底無理な相談だった。 「マスタングさんみたいにはいかないもん……」 どんな時でも自信に満ち溢れたロイと自分ではまるで違う。ハボックはそう思いながら切った電話をじっと見つめた。 「嘘ついちゃった……」 ロイが帰った後、すぐにベッドに入ったのは本当だった。眠りもあっと言う間に訪れはしたのだ。だが。 「……ッ」 ハボックはブルリと震える己の体を両腕で抱き締める。悪夢に魘されて目覚めた後、結局一睡もすることが出来なかった。眠ればまた同じ夢を見そうで、怖くてたまらなかったのだ。だが、それをロイに言えばきっと心配すると思って口にすることは出来なかった。 「どうしてあんな夢……」 考えたくないと思えば思うほど、思考は夢の中の男へと向かってしまう。ハボックはふるふると首を振ると車椅子を操ってキッチンへと向かった。冷蔵庫を開け、残しておいたケーキに手を伸ばす。皿もフォークも使わず手掴みでケーキを口に運んだ。 「マスタングさん……」 まるでそれが恐怖から逃れるおまじないでもあるかのように、ハボックはロイの名を呟きながら甘いケーキを頬ばった。 気がつけば夜もだいぶ更けていた。結局昼過ぎにケーキを口にしただけだったが、ハボックはまるで空腹を感じていなかった。何もしていないのにもかかわらず疲れきってしまっている。ハボックは少し迷ったものの寝室には行かずに窓辺に車椅子を寄せた。窓から外を見下ろせば通りを挟んで洋菓子店が見える。もうとっくに営業時間は終わって店の灯りは落とされていたが、それでもじっと見つめていれば店からロイが出てくるような気がした。 「マスタングさん……」 訳の判らない不安に押し潰されそうでハボックはロイを呼ぶ。今すぐに来て欲しくてチラリと電話に目をやったものの、慌てて首を振った。 「夢が怖いから側にいて欲しいなんて」 そんな子供じみたことをあのロイ・マスタング相手に言える筈もない。ハボックはただ縋るように闇の中にぼんやりと浮かび上がる店のシルエットを見つめ続けた。 ハッと気づいた時にはベッドの上だった。そんな記憶もないのにと、ハボックは不安に駆られて辺りを見回す。だが、ベッドの周りは闇に沈んで、いつもならうっすらと見える天井すら見えなかった。 「………」 自分の浅い呼吸だけが闇の中で聞こえる。そんな状態にハボックの精神の糸が切れそうになった時、低い笑い声と一緒にあの声が聞こえた。 「ジャン」 「……ッッ!!」 荒い息遣いと低く笑う声にハボックは声にならない悲鳴を上げる。逃げだそうにもだが、鉛のような足がハボックの動きを封じていた。それでも逃げようともがくハボックの足を男の手が掴む。 「ヒィィィッッ!!」 その強い力に唇から迸った悲鳴に、ハボックはハッと目を開いた。 「あ……ああ……」 ハアハアと肩で息をしながらハボックは自分が変わらず車椅子に座ったまま窓辺にいることに気づく。いつの間にか寝入ってしまっていたのだと判って、がっくりと車椅子に沈み込んだ。 「マスタングさん……」 怖くて怖くてたまらない。今すぐにロイに抱き締めて欲しくて、ハボックは己の体を掻き抱いて啜り泣いた。 |
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