菫青石の恋 〜 second season 〜  第十三章


 長い、全てを奪うような口づけの後、ロイは漸くハボックを離す。ハアハアと息を弾ませ、とろんと蕩けた瞳で見つめてくるハボックの表情にロイはゾクリと身を震わせた。
「マスタングさん……」
 キスで温度の上がった息を吐き出しながらハボックがロイを呼ぶ。その声に下肢にドッと血が集まるようで、ロイは慌てて立ち上がるとテーブルの上に置きっぱなしだったケーキの箱を取った。
「ほら、ご注文のケーキだ」
 じっと見上げてくる空色の瞳に箱を掲げて見せてロイは言う。
「飲み物は紅茶でいいだろう?」
 綺麗な瞳で見つめられればそれだけでゾクゾクして、ロイは逃げるようにキッチンへと飛び込んだ。
(まったく、ガキか、私はっ!)
 こみ上げてくる激情を軽く首を振って押さえ込んでヤカンを火にかけるロイに、ハボックがキッチンの入口から声をかける。
「オレ、やるっスよ、マスタングさん。疲れてるっしょ?座っててください」
 そう言う声にロイは振り向かずに答えた。
「いや、大丈夫だ。そっちで待っててくれ」
 言って、心の動揺を誤魔化すように大きな音を立ててカップを出す。ハボックはそんなロイを暫く見つめていたが、小さく「はい」と頷いてダイニングテーブルの方へ行ってしまった。ロイはハボックの視線が途切れた事でホッと息を吐き出す。両手でパンパンと自分の頬を叩いて大きく深呼吸すると、手早く用意をしていった。
「おまちどうさま」
 少しして、トレイに紅茶のカップとティーポット、ケーキを食べる為の皿とフォークを載せてロイが戻ってくる。トレイの上のものをテーブルに置き、ケーキの箱を開けてハボックの前に差し出した。
「ほら、好きなのをどうぞ」
 そう言えば、ハボックが箱を覗き込む。色とりどりのケーキにパッと顔を輝かせた。
「美味しそう」
 そう言ってロイを見上げニコッと笑う。それから再び視線をケーキに戻して困ったように首を傾げた。
「どうしよう、どれも旨そうで決められないっス」
「それなら全部食べたらいい」
「太っちまいますよ」
 ロイの言葉にチラリとロイを見て、ハボックは悩みながらケーキに手を伸ばす。うろうろと指先をさまよわせて、結局イチゴやラズベリーに飾られたムース系のケーキを取り出した。
「これにしよう。……いいっスか?」
「勿論」
 伺うように見上げてくる瞳に頷いてロイはケーキを皿に載せてやる。自分はチョコレートのケーキを取ってハボックに食べるよう促した。
「いただきます」
 ハボックは両手を合わせて言うと、フォークを手に取る。そのワクワクとした子供のような表情をロイは目を細めて見つめた。
「おいしい」
 ふふ、と笑って言うそんな表情すら愛しくてたまらない。ロイはテーブルから乗り出すようにしてハボックの頭を引き寄せると、ハボックの唇を塞いだ。チュッと音を立てて吸い着けば食べたばかりのムースの味がする。ペロリとハボックの唇を舐めてもう一息ムースを味わうと、ロイはハボックを離した。
「確かに美味しいケーキだな」
「マスタングさん……」
 そう言えばハボックが赤い顔で睨んでくる。その顔を見つめながら自分のケーキを口にしたロイは、ニヤリと笑って言った。
「こっちも食べてみるか?」
「いりません」
 皿の上のケーキでなく自分の唇を指さして言えばハボックがプイと顔を背ける。赤い顔でケーキをつつくハボックをじっと見つめるロイに、ハボックが困ったように言った。
「あんまり見ないでください」
「見ていたいんだ」
「マスタングさん」
 目尻を染めて睨んでくる空色の視線を受け止めてロイは言う。
「見ていたんだ、これからもずっと」
 真剣な声音にハボックが目を見開けばロイが続けた。
「これからもずっと……。いいだろうか、ハボック」
 優しい笑みを浮かべて言うロイをじっと見つめていたハボックは、やがて小さく頷いた。恥ずかしそうに俯くハボックの顎をロイは手を伸ばして掬う。
「ありがとう」
 そう言ってもう一度身を乗り出して交わした口づけは、甘いチョコとイチゴの味がした。


 結局二人で二つずつケーキを食べて、たわいないおしゃべりをして、そろそろ時計の針が日付を跨ぐ頃になって漸くロイは席を立つ。後は自分でするからというハボックを押し留めて片づけを済ませてしまうと、ロイはコートを手に玄関へと向かった。後からついてきたハボックを振り返ってロイはにっこりと笑う。見上げてくる空色の瞳を見つめて言った。
「遅くまですまなかったな」
「いいえ、オレの方こそ引き留めちゃって」
 本当はもっともっと一緒にいたい。互いにそう思いながらも口には出来ず、ロイはハボックの頬に手を伸ばした。
「また連絡する。出来るだけ早く来られるようにするから」
 そう言えば笑みを浮かべる空色に、ロイはたまらず口づける。チュッチュッと啄むような口づけを交わして、ロイはクスリと笑った。
「マスタングさん?」
「キリがないな、全く」
 不思議そうな声にロイは苦笑混じりに言って、ハボックを抱き締める。もう一度だけキスをして、ロイはハボックの髪をかき上げた。
「おやすみ、ハボック」
「おやすみなさい、マスタングさん」
 見上げてくるハボックにそう言って名残惜しげに手を離すと、ロイは部屋を出ていった。


 鍵が閉まり遠ざかる靴音を聞いていたハボックは、靴音が聞こえなくなると大きなため息をつく。
「今日はいっぱいキスしちゃった……」
 そっと唇に指で触れればロイの唇の感触が蘇る気がして、ハボックは慌てて首を振ると中へと取って返した。暖まった部屋はロイの体温が残っているようで、それだけで幸せな気持ちになる。ハボックはキッチンに行くと冷蔵庫を開けて二つばかり残ったケーキを見て笑みを浮かべた。
 ケーキを食べたいと言った自分の為に、洋菓子店に連絡を入れて閉店後にケーキを買えるようにしておいたと言う。そんな心遣いが嬉しくて、ハボックは笑みを深めてケーキに手を伸ばした。指先でクリームを掬ってペロリと舐めて、ふふ、と笑う。
「マスタングさん……」
(大好き)
 と心の中で呟いてハボックはそっと目を閉じた。少ししてピーピーと長時間開けていた冷蔵庫が不満げに警告音を鳴らすのを耳にして、慌てて冷蔵庫の扉を閉める。はあ、と息を吐いて軽く首を振るとキッチンを出た。
「もう寝よう……」
 今眠れば夢でまたロイと会えるかもしれない。そんな事を考えながらハボックは寝室に向かった。


 家に戻ったロイは急いでシャワーを浴びるとベッドに潜り込む。目を閉じれば自分を見上げてくるハボックの白い顔が浮かんで、ロイは笑みを浮かべた。
 夕べは後悔とショックで寝付けなかったが、今日は感動と興奮で眠れそうにない。ロイは閉じていた目を開けると闇に沈んだ天井を見上げた。
「ハボック……」
 好きだと告げれば、オレも、と返る答えが嬉しかった。互いに想いあっているのだから焦らずともいつか本当に結ばれる日がくるだろう。ハボックはすぐそこにいて、自分が行くのを待っていてくれるのだから。
「好きだ……誰よりも」
 瞼に浮かぶハボックにそう囁いて、ロイは幸せな眠りに落ちていった。


 疲れていたのだろうか、瞬く間に訪れた眠りの縁にハボックはあっと言う間に引き込まれる。穏やかな寝息をたてていたハボックは、自分を呼ぶ声にふと目を開いた。
「マスタングさん?」
 目を開ければほの明るい部屋の中、横たわる自分を覗き込むロイの顔がすぐ目の前にある。ハボックは圧し掛かる男の陰に上げそうになった悲鳴を慌てて飲み込んだ。
(ここで叫んだらこの間と同じになっちゃう)
 ハボックはそう思ってロイを見上げるとにっこりと笑ってみせる。そうすれば同じように笑ったロイが口づけてきた。何度も何度も繰り返される口づけに目を閉じたハボックが熱い吐息を零した時。
「ジャン」
 聞こえた声にハボックはギクリと身を震わせる。恐る恐る目を開ければ、さっきまで互いの姿形が判るまでに明るかった部屋の中は真っ暗な闇に包まれていた。見上げるロイの顔も闇に沈んで目鼻立ちすら判らない。ハボックはこみ上げてくる恐怖に何度も唾を飲み込んで、やっとのことロイを掠れた声で呼んだ。
「マスタングさん……?」
 そう呼べば男が笑う気配がする。伸びてきた手がハボックの頬をするりと撫でた。その感触にビクリと震えたハボックの耳に男の声が飛び込んでくる。
「ジャン」
「……ッッ」
 ロイではない知らない筈の男の声にハボックは声にならない悲鳴を上げた。圧し掛かる男を突き飛ばし、ベッドの上を這って逃げようとする。だが、鉛のように重い足はハボックの体をベッドに縛り付け、ほんの数センチすら動くことが出来なかった。
「ジャン」
 三たび呼ぶ声がして男の手が肩にかかった瞬間。
「イヤあああッッ!!」
 ハボックの唇から悲鳴が迸った。


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