菫青石の恋  第六章


 そんなことがあった後もロイは数日置きにハボックに会いに店に通っていた。ハボックは相変わらず笑ってロイを迎えたし、ロイもごく自然にハボックと話をした。今までどおり、酒を飲みながら他愛もない話を交わすだけ、それ以上を求めることも求められることもありはしなかった。ただ、ハボックの話を聞いて以来その空色の瞳を見るたび何か記憶の泉を震わせるものがあることと、時折ハボックが見せる表情にザワザワと心をかき乱されることでロイの中に説明のつかない感情がせり上がってくるのを、ロイは必死になって押し留めていたのだった。

「ロイ、わりぃけど先、店に行っててくれるか?」
 ヒューズが受話器の通話口を押さえながら言う。ロイは片手を上げると「ゆっくり来い」と言い置いて部屋を出た。昨日から1週間の予定でロイはセントラルに出張に来ていた。今夜はヒューズと2人で、出張のたび必ず行くバーに飲みに行く約束をしているのだが、出掛けにヒューズのところに電話がかかってきてしまい、ヒューズはロイに先にいくよう言ったのだった。
 ロイはよく知った道を店に向かって歩いていく。司令部を出た途端、頭に浮んだのはやはりハボックのことだった。先日ハボックに1週間ほど出張に行くのだと告げたとき、ハボックが酷く淋しそうな顔をしていたのを思い出す。
『あ、でも、オレもちょっと仕事の関係で4、5日出かけなきゃいけないから、かえってちょうどよかったかもしれないっス』
 そう言って無理に笑った顔が胸に痛くて、抱きしめたくなる衝動をロイは必死に抑えたのだった。
(少し離れる時間があってよかったのかもしれない)
 どうして抱きしめたいなどと思ったのか、何度考えても判らず、ロイはそんなことを考えながら道を歩いていく。その時、ふと視界を掠めた金色にロイは思わず足を止めた。振り向いてその金色が何なのか確かめた途端、考える間もなく名前が口をついて出る。
「ハボック?!」
 呼ばれて振り向いた瞳が大きく見開かれて、次の瞬間嬉しそうに細められた。確かめるようにちょっと後ろを振り向いて、それからロイのところまで走ってくるとハボックは言った。
「出張ってセントラルだったんスか」
「そう言うお前こそ仕事で出かけるってセントラルだったのか。何の用事なんだ?」
 驚いて言うロイにハボックは困ったように笑う。
「ええ、まあ、その…。お客さんのお供っていうか…」
 そう言うハボックにロイは何故だかムッとして言った。
「お供?そんなことまでしてるのか?」
「…今回は特別。何度も断ったんスけどどうしてもって言われて、店のほうでも断りきれなかったみたいで」
「だからって、店のルールがあるだろう?」
「懇意にしてくれてるお客さんだし、それに…随分金も積まれたみたいだから」
 ハボックの言葉にロイは目を見開く。ハボックはそんなロイを悲しそうに見つめて言った。
「オレがいるところはそういうところなんです。だから…すみません」
 何に対して謝ったのか、ハボックはそう言うと無理矢理に笑う。
「向こう帰ったら、また店に会いに来てもらえませんか。オレ、待ってますんで」
縋るように見つめたハボックが尚も何か言おうとした時、大声で呼ぶ声が聞こえてハボックは体を震わせる。
「ごめんなさい、もう行かないと」
 それだけ行って走り去ったハボックがロイの視線の先で恰幅のいい軍人に話しかけるのが見えた。二言三言ハボックが話した後、振り向いた男がロイを見て僅かに目を瞠り、それからうっすらと笑ってハボックの腰を引き寄せるのを見た時、ロイの中で何か得体の知れぬものが膨れ上がる。その得体の知れぬ何かが命じるままロイが一歩踏み出そうとしたその時、グイとロイの肩を引く者があった。
「ロイ?」
 ギッと睨みつけるようにして確かめればヒューズが驚いた顔をして立っている。
「お前、まだこんなところで――」
「ヒューズ、アイツを知っているかっ?!」
「へ?アイツ?」
「あそこの、金髪の男の隣りにいる軍人だっ!」
 噛み付くように言われてヒューズは慌ててロイの指差す方を見た。ロイ達を見ていた顔を前方に戻して歩き始めるその一瞬の間に顔を確認していたヒューズが、宙を睨みつけるようにして記憶を探る。苛々と待っていたロイが、ヒューズが思い出す前に追いかけるように歩き出そうとしたその腕を掴んでヒューズが言った。
「思い出した。シュトフだ。ヴァルター・シュトフ。一年くらい前にお前んトコに移ったやつだろうが。知らんのか?」
「いちいちそんなの覚えてられるか。クズの名前なぞ見たって忘れる」
「クズって…一応お前と同じ大佐だぜ?そんなことより、どこ行くんだよ、そっちじゃないだろう」
「ハボックを連れてた」
「ハボック?誰だよそれ、おい、ロイっ」
「ああ、くそっ、見えなくなったじゃないかっ!」
 尚もヒューズの腕を振りほどいて追いかけようとするロイをヒューズはなんとか引き止める。
「どうしたんだよ、ロイ。お前、おかしいぞ」
 ヒューズが腕を掴む手にグッと力を込めれば驚いたように振り向いた顔が困惑したように歪み、ロイの体から力が抜ける。もうそのまま走っていきそうな、ワケのわからない衝動のようなものがロイから消えたことを確認して、ヒューズはロイの腕から手を離した。
「…大丈夫か?」
「…ああ、すまん」
 ロイはそう言うと額に手を当てる。目を瞑ると力なく呟いた。
「今日の予定、キャンセルしてもいいか?」
「別にかまわねぇけど…大丈夫か、ロイ」
 そう聞かれて浮かべたロイの笑顔が酷く痛々しくて、ヒューズは何も言えずに歩き去るロイの背を見つめていたのだった。

「さっきのヤツ、もしかしてマスタングだったんじゃないのか?」
「マスタング?って、あの焔の錬金術師の、っスか?」
 聞かれてそう答えるハボックにシュトフは目を細める。
「知らないで話をしてたのか?」
「道を…道を聞かれたんスよ。でもオレはここに住んでるわけじゃないから判らないって答えましたけど」
 そう言うハボックをシュトフは疑わしげに見つめていたがひとつ息をつくと言う。
「まあいい、時間は限られてるんだ。余計な事にこだわってる暇はないからな」
 そう言って歩き出すシュトフにハボックはホッと息を吐いた。シュトフはハボックの腰を抱いたまま少し行くと緑の茂る公園へと入っていく。てっきりホテルに戻るものとばかり思っていたハボックは不安そうにシュトフを呼んだ。
「あの…ホテルに帰るんじゃ…」
「今日はここでお前を抱いてやる」
 ニタリと笑って言うシュトフにハボックは思わず足を止める。大きく見開いた目でシュトフを見つめると震える声で言った。
「冗談はやめてください、シュトフ大佐」
「冗談?私は冗談など言った覚えはないぞ。大体何の為にお前をセントラルまで連れてきてると思っているんだ。流石にイーストシティでは人目があるからな。ここなら多少誰かに見られたところで噂になることもない」
 シュトフはそう言うとハボックの腕を乱暴に引いて芝生の上に押し倒す。ハボックは押さえ込まれる前にと身を捩り、這うようにしてシュトフの腕から逃れようとした。だが、その前にシュトフの手が伸びてきてハボックの脚を掴むと引き摺り戻してしまう。シュトフはもがくハボックを押さえつけるとその顎をギュッと掴んだ。
「私はな、丸々4日分、お前を買うのに大枚をはたいてるんだ。丸四日、朝から晩までな。お前に拒否する権利などないんだよ。お前は男娼で私はその客だ。自分の立場をよく考えてみるんだな」
 シュトフの言葉をハボックは目を見開いて聞いていた。唇が浅い呼吸を洩らし、微かに震える。その綺麗な空色の瞳が絶望に染まりゆっくりと体から力が抜けていく様子を、シュトフは舌なめずりをしながら見下ろしていた。ハボックの体からすっかりと抵抗の意思がなくなったのを見て取ると低く笑う。
「そうだ、そうやってお前は私の求めるまま脚をひらけばいい。可愛く啼いて私を存分に楽しませるんだ」
 シュトフはそう言うと嬲るかのようにわざとゆっくりとハボックのシャツのボタンを外していった。シュトフの手が肌を這い回るのを感じながらハボックはそっと目を閉じた。


→ 第七章
第五章 ←