| 菫青石の恋 第五章 |
| 「大佐、マスタング大佐」 執務室の窓からぼんやりと外を眺めていたロイは、自分を呼ぶ声にハッとして振り向く。開いた扉のところで困ったように自分を見つめているホークアイと目が合って、ロイは決まり悪そうに咳払いすると椅子に腰を下ろした。 「何度かノックしたのですがお返事がなかったので…」 「すまなかった、考え事をしていたんだ」 申し訳なさそうに言うホークアイにそう答えてロイは先を促す。ホークアイもそれ以上聞くことはせず、すぐに仕事の話に入った。ロイはホークアイの言葉を聞きながら窓の外の空を見上げる。晴れ渡った空は綺麗な水色でハボックの瞳を思い起こさせた。 (どうかしている。どうしてこんなにアイツのことばかりが気になるんだ) この間一人でハボックに会いに行って以来、ロイは気がつけばハボックのことばかり考えている自分に気がついて酷く戸惑う。こんなに誰か一人のことばかり考えるなんてことは、ロイの人生の中でただの一度もありはしなかった。 ホークアイに指示を出して下がらせるとロイはため息をつく。暫くの間じっと見つめていた目の前の受話器にそっと手を伸ばすと、ダイヤルを回したのだった。 「マスタングさん」 ノックの音に返事をするかしないかのうちに扉が開いてハボックが入ってくる。椅子に座ったロイを見ると嬉しそうに笑った。 「今日は予約してくれたんスね。嬉しいっス」 「この間はあまり話が出来なかったからな」 飛び込むように椅子に座ったと思うと「やべ…」と呟いて腰を上げる。わたわたと慌てた様子にロイはくすりと笑って言った。 「気にするな。初めて会うわけじゃなし、いちいち許可を取る必要などいらんよ」 「…すみません」 目尻を染めてハボックはそう答えるとそっと腰を下ろす。その途端、今度は「あっ、酒っ」と叫んで立ち上がるハボックにロイは堪らず笑い出した。 「んな、笑わなくても…」 真っ赤になってぼやくハボックにロイは必死に笑いをおさめると言う。 「何をそんなに慌ててるんだ。少し落ち着け」 まだ笑いを含んだロイの声に、ハボックは恥ずかしそうに俯くと小声で答えた。 「だって、マスタングさんがオレを呼んでくれたって連絡貰って、すげぇ嬉しかったから…」 ハボックの言葉にロイは目を見開く。紅く染まったハボックの耳をじっと見つめると聞いた。 「嬉しかったって、どうして?」 「えっ?あ、だって、その…マスタングさんと話すの、楽しいし、それに…」 「それに?」 先を促されてハボックは困ったように口を噤む。俯いたまま唇を軽く噛んで、それから顔を上げるとにっこりと笑った。 「マスタングさん、色んなこと知ってて話してるととても為になって楽しいから…だからっスよ」 ハボックはそう言うと酒の注文を通す。ロイは「話してると楽しいから」というハボックの言葉を嬉しいと思う反面、何故だか物足りなく感じていることに気がついて内心首を振った。 (楽しいと思ってくれているならそれでいいじゃないか。それ以上どう言って欲しいというんだ) ハボックとにこやかに話しながらロイには自分の気持ちが判らない。自分が何を望んでいるのか判らないまま、それでもロイはハボックと楽しく話を続けていたのだった。 その日以来、ロイは2日と空けずにハボックのところへ通うようになっていた。会ってただ酒を交わしながら話をするだけ。時間も仕事の後ということもあり2時間、3時間になることもあれば30分にも満たないこともあった。それでもロイは時間の許す限りハボックに会いに通い続けていたし、ハボックもまたロイを待っていてくれるように思えた。その空色の瞳を見れば例えどんなに苛ついているときでも心は落ち着いたし、逆にどうしても時間が取れず、会えない日々が続けば苛々と周りにあたることが多くなった。 (一体どうしたと言うんだ、私は) 自分の気持ちの変化がわからずにロイは戸惑うしかなくて、いままで経験のしたことのない気持ちをなんと呼ぶのかわからないまま、それでもロイはハボックに会う日々を重ねていった。 突然振り出した雨にロイは慌てて近くの店の軒下に飛び込む。手にした本が短い軒から振り込む雨に濡れぬよう、ジャケットの中に抱き込むようにして持った。 「参ったな…」 久しぶりの休日、ロイは欲しかった本を探して古書店めぐりをしていた。3軒目に入った店でようやく目当ての本を探し当てて、さあ帰ろうと思った矢先、降り出した雨に雨宿りを余儀なくされたのだ。天気予報など見ていないからこれが単なる通り雨なのか、それともこれからどんどん酷くなっていくのかが判らない。これ以上酷くなってジャケットで包むくらいでは本を護れなくなる前に走って帰ろうかと思ったとき、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。 「マスタングさん?」 声のした方を振り向けばハボックが紙袋を抱えて傘を手に立っている。こんな昼日中に会うことなど初めてで、ロイは返す言葉を見つけられずにハボックを見つめていた。 「傘、ないんスか?うち、近いんでよかったら来ませんか?」 ハボックはそう言うと手にした傘を差し出す。ロイが戸惑っているとにっこり笑って言った。 「天気予報見てないデショ。今日はこれから一日雨っスよ。雨宿りしててもやみません」 だからほら、と言うハボックにロイは仕方なしにハボックの差し出す傘の下に入る。 「なるべくくっついてくださいね」 そうは言うもののあまりくっつくのもはばかられて離れる様にして歩けば、ハボックがロイの上に傘を差し出した。5分程歩いた頃だろうか、「こっちっス」と路地に入っていくハボックについていけばいくつもの古いアパートがひしめき合って建っている。ハボックはその中の1つに向かうと外階段をギシギシと音を立てて上り始めた。 「濡れてると滑るんで気をつけてくださいね」 そう言って3階まで上ると一番端の部屋まで行く。鍵を開けるとロイを中へと促した。 「狭いしちらかってますけど、どうぞ」 そう言われて玄関をくぐればハボックはロイを小さなリビング兼ダイニングへと案内する。すぐに奥からタオルを持ってくるとロイに差し出した。 「お宝、濡れませんでしたか?」 そう聞かれてキョトンとするロイにハボックがくすりと笑う。 「何か、濡れたら困る大事なもの持ってるんでしょう?大丈夫でしたか?」 ハボックが自分のジャケットを指差しているのを見て、ロイはようやく自分が本を持っていることを思い出した。 「ああ、おかげで無事だよ、助かった」 「それはよかった」 そう言うハボックが差し出すタオルを受け取りながらロイはハボックの肩から袖がびっしょりと濡れている事に気づく。タオルを受け取った自分の方は殆んど濡れていないことでハボックが気にして傘を差しかけてくれていたのだと察した。 「びしょ濡れじゃないか。すまない、随分気を使ってくれたんだな」 「大丈夫ですよ。服は濡れても着替えればいいだけですし。気にせんでください」 ハボックはそう言うと「ちょっと着替えてきます」と奥の部屋へと入っていく。暫くして戻ってくるとロイに言った。 「コーヒーくらいしかありませんけど、それでいいっスか?」 「すぐ帰るから気にしないでくれ」 「オレが飲みたいんで付き合ってもらえませんか?」 ハボックはソファーに座っててと言ってキッチンに行く。暫くすると部屋にいい香りが満ちてきてロイはホッと息を吐いてソファーに身を預けた。 「マスタングさん、砂糖とミルクは?」 「お前は?」 「オレはブラックですけど、ちゃんと砂糖とミルクもありますよ。入れます?」 「んー…じゃあ、両方少し入れてくれ」 躊躇うように言うロイにハボックはくすくすと笑う。 「マスタングさん、ホントはどっちもたっぷりが好きでしょう?」 「えっ、あ、そっ、そんなことはっ」 「たっぷり入れときますね」 見透かされたようにそう言われてロイが慌てる間にもハボックはミルクをたっぷりのコーヒーを淹れるとロイのところへ持ってくる。 「…ありがとう」 不貞腐れたように唇を尖らせて、それでもカップを受け取るロイにハボックは優しく笑うとダイニングの椅子を引いてくる。椅子の背に腕を乗せて反対向きに座るとロイに聞いた。 「何を買ったんスか?」 「ん?ああ、古書をな」 ロイはそう言ってソファーの上に置いていた袋を取り上げる。中から古い本を取り出すとパラパラとページを捲った。 「ずっと欲しかったんだがなかなか探す暇がなくてね。やっと見つけたんだ」 「そう言えば今日は仕事は休みっスか?」 「やっと休みを貰えたんだよ。人使いが荒いんだ、うちの副官どのは」 そう言ってため息をつくロイにハボックが笑う。ロイはコーヒーを飲むと部屋の中を見渡して言った。 「きちんと片付いた部屋だな。一人暮らしか?」 「一人っスよ。どうせ寝に帰ってくるだけの部屋だから何も置いてませんしね、散らかりようがない」 「ご両親は?何処の出身なんだ?」 そう聞いてしまってからロイは後悔する。そんなプライベートなことを話すような間柄でもないのに。 「すまん、立ち入ったことだな」 「いえ、構わないっスよ」 ハボックはそう答えるとコーヒーを一口飲んで続ける。 「東部のね、すげぇ田舎なとこ。見渡す限り畑しかないようなとこっスよ。親兄弟は…まだそこにいるのかな」 「連絡を取ってないのか?」 思わずそう聞いてしまってロイは慌てて口を噤む。どうしてこう、ハボックのことだと聞きたくなるのだろう。普段なら相手の出身やら親兄弟の話など、殆んど聞いたことなどない自分だというのに。自分の反応に戸惑っているロイをハボックは暫く見つめていたがゆっくりと話し出した。 「連絡はとってないっスね。つか、向こうも連絡なんてして欲しくないだろうし。オレのことなんてきっとない事にしたいと思ってるでしょうから」 「そんなことは…仮にも親なんだから」 ロイが辛うじてそう言えばハボックが苦く笑う。 「オレ、親の借金の形でこの世界に入ったんスよ。親父が性質の悪いのに金借りて返せなくなって…」 ハボックの言葉にロイは言葉を失ってハボックを見つめた。 「兄弟姉妹は田舎ってこともあってたくさんいた。年頃の姉貴もいましたけどね、親父はオレを差し出した。オレだけがあそこの家では毛色が違ってたから」 「毛色?」 「オレんち、親父もお袋も兄弟達もみんな茶色っぽい髪に茶色の瞳だったんスけど、オレだけこんなナリで。しょっちゅうケンカしてましたよ、その事で。親父が“浮気したんだろう”ってお袋を責めて、お袋は泣いて否定してましたけど。だから子供を寄越せって言われた時、親父は迷わずオレを差し出した。厄介払い出来ると思ったんでしょう」 ロイはハボックの話になんと言っていいかわからず睨みつける様にカップの中のコーヒーを見つめる。ハボックは椅子から立ち上がると窓の外を眺めながら言った。 「別に親を恨んだことはないです。あそこにいてもオレの居場所はなかったし、むしろこうなった方がよかったのかもしれないって」 「ハボック…」 「でもね、最初の客をとるまでは大変だったな。しゃぶり方と解し方だけ教えられて客とって来いって放り出されて。なかなか“買ってくれ”なんて言えなくて、でもいい加減にしないとお前の家を燃やすぞって言われて」 ハボックはそう言うとロイの顔を見る。不思議に揺れる空色の瞳にロイは何も言えずにハボックを見つめた。 「やっとの思いで声をかけた若い男に買ってもらったんス。まともに何も出来ないオレを酷い目に合わすことだって出来たのにその人はそうはしなかった。むしろ優しいくらいで…その人がその時オレに言ってくれたことがオレがここでやっていく支えになってるんです」 そう言って小さく笑うとハボックはまた窓の外へと視線を戻す。ロイはその横顔を見つめながらハボックを最初に抱いた男に対して何かドロドロと黒いものが湧き上がってくるのを感じていた。ロイが何か言おうと口を開くより先にハボックが振り向いて言う。 「雨、小降りになってるみたいっス。今ならそんなに濡れずに帰れますよ」 ハボックはそう言ってビニールの袋を持ってくるとロイの本を丁寧に包んだ。 「こうしておけば多少濡れても大丈夫っスから」 「…ありがとう」 ロイは本を受け取るとハボックを見つめる。ハボックはロイの視線に気づくと苦笑して言った。 「今日は変な話を聞かせちゃってスミマセンでした」 「いや、私の方こそ言いたくない話をさせてしまったようだ、すまなかった」 そう答えてロイは玄関の方へと歩いて行く。その背に向かってハボックが言った。 「マスタングさんはオレを買おうとは思わないんスか?オレを買ってくれないんスか?」 ハボックの言葉にロイは驚いて振り返る。じっと見つめてくる空色の瞳に耐え切れず、目を逸らすと言った。 「悪いが私は男を抱く趣味はないんだ」 「そうっスか…。マスタングさん、いい男だからちょっとシテみたかったんスけど」 ハボックはそう言って笑うとロイに傘を差し出す。 「変なこと言ってすみませんでした。話だけでいいんでまた店に来てください」 「ああ、また寄らせてもらう」 ロイはそう言って玄関のドアを開けて傘を開いた。「ありがとう」と言って歩き出すロイにハボックが言う。 「傘は返さなくていいっスから」 その声に振り向いて見たハボックの顔は影になってよく見えなかった。ロイはギシギシと音を立てて階段を下りると小雨の中を傘を差して家へと帰っていった。 |
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