菫青石の恋  第四十三章


 結局そのあと夕方まで眠り続けたハボックは夕食も朝のスープの残りを少し口にしただけで済ませてしまった。
「ずっと眠ってたんスもん。腹も減りませんよ」
 そう言って苦笑するハボックにロイは唇を尖らせる。
「せっかく腕を振るってやろうと思ったのに」
「次の機会にお願いします」
 不満げなロイにハボックはそう言うとロイを見つめた。
「ねぇ、マスタングさん。オレ、もう少しして体調が戻ったら仕事探そうと思うんスよ」
「そんな必要ないだろう。お前を養っていけるだけの稼ぎならあるぞ」
 実際、国家錬金術師でアメストリス軍大佐であるロイには二人で暮らしても十分どころか、余るほどの収入がある。ハボックが働かなくても支障はなかったし、それに何よりロイはハボックを外に出したくなかった。だが、ハボックはロイの言葉に眉を顰めて言う。
「そういうの、嫌なんス」
「どうして?」
 ロイがそう聞けばハボックはロイを見つめて答えた。
「オレ、できることならマスタングさんの役に立てるような仕事に尽きたいっス。今更軍人はムリでしょうけど、探せば他にも何か役に立てるような仕事があるでしょう?」
「ハボック…」
 ロイはそう言う空色の瞳を驚いて見つめた。ハボックはロイの視線に顔を赤らめると続ける。
「そりゃ、オレじゃ大した役には立てないかもしれませんし、対等の立場に立とうなんて大それた事は考えてないっスけど、少しでもアンタに近づけるように、ちゃんとついていけるようになりたいっス」
 そう言って恥ずかしそうに笑うハボックをロイは眩しいものを見るように見つめた。少しずつではあるが、ハボックは前へ進もうとしているのだ。子供っぽい独占欲で彼を外へ出したくないなどという我が儘を言ってはいけないのだ。
「それじゃ司書なんかどうだ?資格をとって。私は色々と調べ物が多いし、資料を探すプロが手伝ってくれたら嬉しい。そうだ、軍の情報部とかでもいいじゃないか。あそこなら一緒に勤めに行ける。朝、一緒に出て帰りも一緒だ。顔が見たくなったらいつでも会いに行ける」
 それがいい、そうしろ、と顔を輝かせて言うロイにハボックはクスクスと笑い出す。
「アンタ、何しに仕事行くつもりっスか」
 呆れたように言えばロイがムッと顔を顰めた。
「私は真面目に言ってるんだ。お前は仕事が出来て私はやる気が起きる。中尉も喜ぶ」
 ロイがそう言った途端、ハボックが声を上げて笑う。ひとしきり笑った後、涙の滲む目をこすりながら言った。
「よっぽどホークアイ中尉が怖いんスね。あんなに優しそうな人なのに」
「お前は中尉の怖さを知らんからそんな事を言うんだ」
 唇を尖らせてそう言いながら、だが、楽しそうに笑うハボックにロイはそれだけで嬉しくなる。こんな風に笑うハボックを見たのは初めてだ。これからもたくさんたくさん見られたらいい。
「マスタングさん?」
 黙り込んでしまったロイをハボックが不思議そうに呼ぶ。ロイはハボックを引き寄せるとその金色の髪をわしわしとかき混ぜた。
「ちょっ…何するんスか。」
「ハボック、明日はピクニックに行こう。サンドイッチ作ってコーヒー持って…。そうだ、隣の犬も一緒に」
 突然そんなことを言うロイにハボックが目を見開く。それから嬉しそうに笑うと答えた。
「はい、マスタングさん」
 ロイはそんなハボックに幸せそうに笑うともう一度その金髪をくしゃりとかき混ぜたのだった。

 翌日はとてもよい天気だった。ハボックの瞳の色と同じ空には雲ひとつなく、明るい陽射しが降り注いでいる。ロイとハボックは朝早くから起きると二人でサンドイッチを作った。ハボックが好きだと言うベーコンとレタスとトマトの入ったサンドイッチと、ロイが好きなマヨネーズをたっぷりと和えた卵のサンドイッチ。
「オレ、フルーツサンドって食ってみたかったんスよ」
 ハボックがそう言うので生クリームと苺をたっぷり挟んだサンドイッチも作った。ポットには温かいカフェオレを入れてそれから隣の犬を誘いに行く。なかなか広い場所で遊ばせてやれないから誘ってくれて嬉しいと、優しい老婦人は喜んで犬を遊びに出してくれた。
 2人と1匹はいつかロイとハボックが出かけた公園へと向かう。あの頃はまだ風も冷たかったが、今では色とりどりの花が咲き乱れる園内では柔らかい風が吹いていた。
「すっげぇ、花盛り!!」
 ハボックは荷物を綺麗な薄桃色の花びらをつけている木の下に置くと犬と一緒に駆けていく。途中で短い木の枝を拾うとポーンと高く放り投げた。
「ウォン!」
 その枝を追って犬は走るとジャンプする。枝が落ちる方角へ少し首を捻って宙で器用に受け止めると一直線にハボックのところへと帰ってきた。ハボックは膝をついて犬を迎えるとその頭を抱いて撫でてやる。顔中を犬に舐められて笑っているハボックを見ながらロイは木の下に腰を下ろした。ロイは後ろに手をつくと頭上を見上げる。綺麗に晴れ渡った空をバックに咲き誇る花はそれは見事だった。ハボックは犬と一緒に花を覗いて回っている。チューリップの花からふわりと飛んだ蝶を追ってぴょんぴょんと跳ねる犬の姿にハボックが笑った。そうしてひとしきり遊んで満足するとハボックはロイのところへと戻ってくる。隣に腰を下ろしてうーんと伸びをするハボックをロイは微笑んで見つめた。
「あっちの方に花時計があるみたいっスよ。あとで見に行きましょうよ」
「そうだな」
「チューリップって凄いいろんな色があるんスね。マスタングさん、知ってました?」
「どうだろうな」
 ただハボックの顔を見つめたまま相槌を打つばかりのロイにハボックが居心地悪そうに身じろぐ。上目遣いにロイを見つめると聞いた。
「マスタングさん、どうかしたんスか?」
「別に。お前を見てただけだ」
「なんスか、それ」
 まっすぐに見つめてくる黒曜石の瞳にハボックは頬を染めると目を逸らす。困ったようにぽすんと芝生の上に寝転がったハボックは頭上に広がる薄桃色に目を瞠った。
「うわ…すげぇ」
 霞むように空を覆いつくす花からはらはらと花びらが散ってくる。ハボックは暫くの間黙って花びらを見上げていたがやがてゆっくりと目を閉じた。ロイは目を閉じたハボックの顔をじっと見つめていたが手を伸ばしてその金色の髪に舞い落ちた花びらを摘む。ハボックの前髪をかき上げればハボックが目を開いた。見上げてくる空色の瞳に己の顔が映っているのが見えて、その事に喜びを感じる。ただ黙ったまま見詰め合っているとハボックが小さく微笑んだ。
「ねぇ、マスタングさん」
「なんだ?」
「オレ、今すごく幸せっス」
 そう呟くハボックにロイは僅かに目を見開く。
「こんな風に穏やかに過ごせる日が来るなんて思ってもみなかった。こんな風に素直にアンタを好きだと思えて、素直に幸せだと言える日が来るなんて夢にも思って見なかったっス」
「ハボック…」
 ロイはハボックの髪を梳きながら言った。
「これからはずっとこんな日が続いていくんだ」
「こんな日が?」
「そうだ。こうして春も夏も秋も冬も、ずっと」
 そうロイが言えばハボックが幸せそうに微笑む。
「素敵っスね」
「ああ」
 ハボックはロイに向かって手を伸ばすとその頬を両手で包んだ。大切なものに触れるように何度もそっと撫でると言う。
「アンタが好きです」
「私もお前が好きだ」
 ロイは答えてハボックの上に圧し掛かった。その空色の瞳にキスを落として囁く。
「好きだ。これまでも今もそしてこれから先もずっと…」
「オレも…。ずっとずっとアンタだけ。アンタだけがスキ」
 ロイの言葉がハボックの胸に染み入り、ハボックの言葉がロイの心を温かくする。二人は互いの髪に手を差し入れるとどちらともなく引き寄せる。そうしてギュッと抱き締めあうとはらはらと花びらが降り注ぐ中、何度も何度も口づけ合ったのだった。


2008/4/7


第四十二章 ←



拍手リクで頂きました「娼婦ハボ」です。実はこのリク内容、本当は「ハボが娼婦!?してて通りすがりのロイに“俺の事買わない ?”みたいなのお願いできますか?」だったんですよ。…全然リクと違うじゃないかっ!!最初に「娼婦」で思い浮かんだのが冒頭のシーンで一度浮かんでしまったらどうしてもそこから離れられず…。結局リク主様にお許しを頂いてあんな形で始まってしまいました。なんかもうリクとは「娼婦」以外全くかけ離れた内容で大変心苦しくはあったのですが、私的には大変楽しく書かせて頂きました。普段のうちのロイハボからは思いっきりかけ離れた二人ではありましたがたまにはこういうのも新鮮かな、と(苦笑)
タイトルの「菫青石」はアイオライトという宝石の和名です。日光が当たる角度によって色が変化して見えるそうで、この特性を生かして、かつてバイキングが航海の際にアイオライトを羅針盤代わりに使用して、太陽にかざして青色が鮮明に見える方向に船を進めたのだとか。宝石言葉は「初めての愛」。ロイとハボにとって初めての、そしてたった一つの愛だと思っております。
リクとは随分とかけ離れた内容になってしまいましたが、お話を書くきっかけをくださったリク主様にお礼申し上げます。少しでもお楽しみいただけたら嬉しいです。


この先に「Another ending」なるものが存在します。拍手コメントをきっかけに書きました所謂「死にネタ」になります。作品のトップに書いてあります注意書きをお読みの上、ご興味ありましたらごらんくださいませ。
→ 「菫青石の恋 〜 Another ending 〜