| 菫青石の恋 第四十二章 |
| 「ほら」 「…ありがとうございます」 ハボックはロイが差し出したカップを受け取ると身を縮める。そっとカップに口をつければ流れ込んでくるホットココアが枯れてしまった喉を優しく潤した。ホッと息を吐き出せばそれを見つめていたロイが聞く。 「何か食べられそうか?」 そう聞かれてハボックは困ったように首を傾げた。 「腹がすいてるんだかすいてないだか、よく判んないっス」 言われてみればすいているような気もするが積極的に食べたいわけでもない。ココアだけでもいいや、とハボックが熱い液体を啜りながらそう思ったとき、ロイがため息をついた。 「お前、ここのところろくに食べてないだろう?大半は私のせいだろうがそのでかいナリであれっぽっちじゃ体が持たん」 ロイはそう言うとハボックを見る。夕べ無我夢中で抱いた時には気付かなかったが、朝の光の中で改めてよく見ればその体はハボックをイーストシティに連れ戻した時から更に痩せているように思えた。 「スープでも持ってこよう。確か缶詰のがあったはずだからちょっと手を加えれば簡単に出来るだろう」 「マスタングさん、腹減ってるんスか?オレがやりますよ?」 そう言ってカップをテーブルに置くと気だるい体をベッドから下ろそうとするハボックの額をロイは人差し指でピンと弾く。 「いてっ!」 痛みに思わず手を当てて涙目で見つめてくる空色の瞳にロイはため息をついた。 「私が腹が減ってるかどうかじゃなくて、お前に食べた方がいいと言ってるんだ」 「だったら尚のこと自分でやるっスよ」 「だーかーらーっ!」 訳が判らんという顔をするハボックの肩に手を置いてロイは「はあ」と息を吐き出す。その瞳を覗き込むようにして言った。 「いいからお前は休んでなさい。…返事は?」 「…ハイ」 黒い瞳に気圧されるように頷けばロイはその額にチュッとキスを落として部屋を出て行く。パタンと閉まった扉を見つめてハボックはひとつ息を吐くとベッドヘッドに寄りかかった。まだブランケットにくるまっただけの自分の体を見下ろして目尻を紅く染める。ギュッと自分の体を抱きしめて愛しい男の名を呼んだ。 「マスタングさん…」 初めて会ったときから忘れられず、ずっと想いを重ねてきた。たった一晩の出来事だけが自分が生きていく支えだった。そうして数え切れないほどの日々を過ごしてロイと再会し、想いは更に深まっていった。言葉を交わすだけのささやかな時間が愛しくて、それでもやはり自分には遠い存在なのだと言い聞かせてきた。ようやく想いを通じ合わせてからも不安に押しつぶされそうになった挙句逃げ出そうとした自分をロイが抱きしめてくれて、そうしてやっと身も心もひとつになれた幸せが今ハボックを包んでいる。 「……」 ハボックは窓の向こうの青空を目を細めて見つめると、幸せそうに微笑んだのだった。 「あった」 ロイは棚の中から缶詰を引っ張り出すと鍋に空ける。冷蔵庫から野菜をいくつか取り出すと小さく切り分け皿に載せてラップをかけてレンジに放り込んだ。チンという音とともに柔らかくなったそれらを鍋の中に入れる。暫くしてコトコトと言い出したスープをかき混ぜながらロイは空色の瞳を思い浮かべた。 ハボックの全てが愛しくて仕方がない。誰かを愛することなど決して出来ないと思っていたが、そう思ったことが嘘のようにハボックに溺れている自分に気づいてロイは苦笑した。もしかすると自分も初めてハボックを抱いた時から彼のことが好きだったのかもしれない。ただあの時は気付くことが出来なかっただけで。 「ハボック…」 ロイはコトコトと泡を立てるスープをかき混ぜながら笑みを浮かべる。心も体もハボックへの温かい気持ちで満たされてロイは生まれて初めて幸せというものを知ったのだと気付いた。 「ハボック?」 部屋の扉をそっとあけるとロイは声をかける。ベッドの方を見やればハボックがベッドヘッドに寄りかかって目を閉じているのが目に入った。ロイはスープを載せた皿をサイドテーブルに置くとハボックの顔を覗き込む。薄い瞼は瞳の色を透かしているかのように青みがかって人形のように見えた。どこからか吹きぬけた風がハボックの前髪を揺らす。その風がハボックの呼吸すら奪ってしまったかのように思えて、ロイはゾクリと体を震わせると乱暴にハボックの肩を掴んだ。 「ハボック」 グイと力を込めて肩を揺すればハボックがハッとして目を開ける。自分を凝視する黒い瞳を驚いたように見つめると小さく微笑んだ。 「あ…マスタングさん?」 ハボックの唇から言葉が零れたのを聞いて、ロイは詰めていた息を吐き出す。不思議そうな顔をしているハボックに軽く首を振って見せればハボックが言った。 「いい匂いがする」 そう言われてロイは自分がスープを持ってきたことを思い出した。椅子をベッドサイドに引いてくるとテーブルから皿を取ると言う。 「出来合いに野菜を放り込んだだけだがな。ちゃんとした食事はまた後で」 そう言ってスプーンで掬って差し出せばハボックが苦笑した。 「自分で食べられるっスよ」 「いいじゃないか、食べさせたいんだ」 「恥ずかしいからヤです」 ハボックがキッパリとそう言えばロイが唇を突き出して皿を引っ込めてしまう。宥めるように名を呼んでもそっぽを向いたきりスープを寄越してくれないロイにハボックは諦めて一つ息を吐いた。閉じた目の目元を僅かに染めながら強請るように口を開けばロイがパッと顔を輝かせていそいそとその口へとスプーンを運んだ。 「ん…おいし…」 口の中に入ってきたものをゆっくりと噛んで飲み込むと、ハボックはロイを見て微笑む。同じように微笑んだロイが再びスプーンを差し出せば、ハボックは一瞬躊躇ったものの口を開いた。そうして何度か同じことを繰り返して皿の中のスープを半分ほども食べると、ハボックはもういいと言うように手を上げる。 「もうおしまいか?」 「腹いっぱいっスから」 そう言えば不満そうな顔をするロイにハボックが言った。 「スープなら温め返せばまた後で食えるっスよね?後でまた貰いますから」 「じゃあ、後でまた食わせてやる」 「今度は自分で食います」 子供のようにワクワクとした顔で言うロイにハボックが今度こそとばかりに言う。思い切り不満そうな顔をするロイに苦笑した。 「マジ恥ずかしいんで、勘弁して下さい」 「…どうしてお前はそう、なんでもかんでも恥ずかしがるんだ」 「どうしてって…」 「スープを食べさせてもらうのなんて子供頃にやってもらったろう?大人になってもこういう時には子供に戻って甘えればいいんだ」 そう言われてハボックは困ったように黙り込む。クッと唇を噛む仕草にロイはハボックの瞳を覗きこんで尋ねた。 「どうした?」 「いえ、なんでもないっス」 答えて微笑むハボックの笑みがどことなく硬いのが気になってロイは促すようにその腕を掴む。ハボックは迷うように視線を彷徨わせたが自分の手に視線を落とすと答えた。 「オレ、そういう経験、ないっス。食事は物心ついたときには一人で食ってましたし。風邪引いて熱出したときも、薬と粥だけ与えられてほっとかれてました」 そう言ってハボックは困ったようにロイを見つめる。 「マスタングさん、オレに甘えろって言ってくれるけど、正直どうしたらいいか判らないんス。オレにはもうこれで十分過ぎるし…甘えるってよく判んねぇ…」 心底困りきった様子でそう呟くハボックの姿にロイは唇を噛み締めた。もし、最初に出会ったあの時、ハボックを自分の手元に引き取っていたならどうなっていたのだろう。彼があの細い暖かい腕で抱きしめてくれたことで自分の心が砕け散らずに済んだ事に気付いて、あの時ハボックを引き取っていたなら。 「マスタングさん?」 ハボックの腕を掴んだきり黙ってしまったロイをハボックが不安そうに見る。ロイは綺麗に澄んだ空色の瞳を見つめるとハボックを引き寄せそっと口付けたのだった。 |
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