菫青石の恋  第三十七章


「――ック、ハボック」
 己を呼ぶ声に意識がゆっくりと浮上し、ハボックは目を開く。心配そうに覗き込んでいる黒い瞳をハボックはぼんやりと見上げた。
「大丈夫か?」
 そう聞かれても咄嗟に自分が置かれた状況を理解できない。ぼんやりとしたまま答えないハボックにロイは不安になってその頬に触れた。
「気分はどうだ?痛むのか?」
「マスタングさん、オレ…」
 そう言ってようやくハボックは何をしていたかを思い出す。肘をついて体を起こそうとするハボックにロイが手を差し伸べてその体を支えてやった。
「焼印は…」
「消した。肌は完全に元通りとまでは行かないが出来るだけのことはしたつもりだ」
 そう言われてハボックは焼印があった箇所に触れる。以前は指先で感じられたその忌まわしい痕を探して何度も肌を撫でて、ハボックはロイを見つめた。
「鏡、貸してください」
「信じられないのか?」
 くすりと笑うロイにハボックは慌てて首を振る。
「自分の目でちゃんと見たいんです」
 そう言うハボックにロイは戸棚の引出しから手鏡を持ってくると渡した。ハボックは肩越しに鏡をかざすと焼印があった筈の場所を見る。うっすらと僅かに傷跡が残るだけの肌にハボックは空色の瞳を大きく見開いた。
「初めて扱う錬金術にしては我ながら上手く出来たと思ってるんだが」
 自慢げに言うロイの声を聞きながらハボックは暫く鏡の中の肌をじっと見つめていたが、突然その瞳からぽろりと涙が零れるのを見てロイが慌ててハボックの顔を覗き込む。
「どうしたっ?痛むのか?上手く出来たと思ったんだが、なにか拙いところが…っ」
 ポロポロと涙を零すハボックにロイはオロオロと話しかけた。ハボックは覗いていた鏡をベッドに置くと手の甲で涙を拭う。
「マスタングさん…」
「なんだ?」
「あ、りがとうござい…す」
 涙で途切れながらもそう言うハボックをロイは目を見開いて見つめた。何度も手で涙を拭ってはそう呟くハボックを見つめていたロイはギュッとその体を抱き締める。唇で涙を拭ってやると言った。
「愛してる、ハボック。今度こそ最初からちゃんと始めよう」
 そう言うロイにハボックは顔をくしゃくしゃにして笑うと自分から口付けていった。

 改めてハボックの体をベッドに横たえるとロイは着ていたシャツを脱ぎ捨てる。ゆっくりと圧し掛かるとその頬に手を添えた。
「愛している、ハボック」
「…オレも」
 囁くようにそう告げるハボックにロイが嬉しそうに笑う。その唇にチュッと口付け、それから深く唇を合わせた。舌を絡めて互いの唾液を混ぜあうように口中を弄れば、ハボックの腕がおずおずとロイの背に回される。それだけでたまらない愛しさがこみ上げてロイは絡めた舌をきつく吸い上げた。
「んっ…ぅん…っ」
 ハボックの唇から甘ったるい声が上がってロイは一度唇を離すとハボックの顔を見下ろす。僅かに目尻を染めてハボックはロイを見上げるとその黒髪に手を差し入れた。
「キスするの…スキ…」
 そう呟くハボックを尋ねるようにロイは見つめる。ハボックは瞳をそっと伏せると答えた。
「オレ、マスタングさんとしかキスしたことないっス…」
 その言葉にロイはハボックを見つめる。自分にとってハボックとのキスはごく自然な行為で意識してしたことなどなかった。愛しいと思う気持ちがこみ上げれば考えずとも唇を寄せていたし、ハボックにとってもそうだと思っていたのだ。今までハボックはそうと望まぬまま男達と肌を合わせていたが、ハボックを抱いてきた男達にとって彼は単なる己の性欲の捌け口でしかなく、そうであれば口付けを交わすなどという行為を誰一人としてハボックに求めなかったのは当然のことなのだろう。だからこそハボックにとって口付けを交わすことは好きな相手とだけの特別な行為であるに違いなかった。
「ハボック…」
 ロイは名前を呼んでは何度も口付ける。何度も何度も。それから今度はその口付けをハボックの唇以外へと降らせ始めた。頬から耳元へ、首筋から肩へと降らせて行けば、ハボックの体がピクンと震える。キュッときつく吸い上げればハボックの唇から短い悲鳴のような声が上がった。ふるふると首を振るハボックに構わず、ロイはハボックの白い肌に薄紅の花びらを散らしていく。逃げるように身を捩るハボックの体を引き戻して、ロイはぷくりと立ち上がった胸の果実へ舌を絡めた。
「…っ!」
 ビクンとハボックの体が大きく震えて息を飲む気配がする。片方を指でくりくりと捏ねたり摘んだりしながらもう片方を舌でねっとりとねぶる。呻くような声を洩らしてビクビクと体を震わせるハボックを、ロイは胸から顔を上げると見下ろした。
「お前…」
 見下ろしたハボックは腕で顔を隠して唇をギュッと噛み締めている。噛み締めた唇から血が滲んでいるのを見て、ロイはハボックの腕に触れた。
「ハボック」
 途端、ビクッと震えるハボックの腕を外させようとすれば、腕に力が入って外させまいとする。ロイは1つ息を吐くとハボックに言った。
「腕を外すんだ。それからそんなに唇を噛むんじゃない」
 だがハボックはふるふると首を振るばかりで腕を外そうとも唇を噛むのをやめようともしなかった。
「ハボック、私の言うことを聞きなさい」
 言い聞かせるようにそう言うと僅かに腕から力が抜ける。ロイは多少強引にハボックの顔から腕を引き剥がすとその唇に舌を這わせた。
「う…ヤ、ダ…っ」
 泣きそうな声でそう呟くハボックにロイが言う。
「こんなに噛んで…血が出てるじゃないか」
「だって…声が…っ」
 聞かれたくないと囁くように言うハボックにロイは聞いた。
「どうして?感じたら声がでるのは恥ずかしいことじゃないぞ。むしろ私はお前の声を聞きたいのに」
 だが、ハボックはロイの言葉に首を振る。再び噛み締めようとする唇を、ロイはさせまいと指を差し入れた。
「んっ?ぅんーっ!」
 いやいやと首を振るハボックにロイが言う。
「唇を噛むのをやめないならこうするしかないだろう」
 そう言えばボロボロと泣き出すハボックにロイはため息をついた。
「ハボック…」
「だって…っ、オレの声、い、イヤラシイって…っ」
 そう言うハボックにロイは目を見開く。
「男を強請る浅ましい声だって…っ」
 ごめんなさい、と泣くハボックをロイはじっと見つめた。ポロポロと涙を零すハボックの姿に胸を締め付けられる。本当にハボックは愛し合うという行為を知らないのだと改めて気付かされて、ロイはハボックの頬を優しく撫でた。
「ハボック、お前が今まで言われたことは全部忘れてしまうんだ。そんなもの、ただお前を支配したい馬鹿どもがお前を貶める為に言ったくだらん戯言に過ぎん」
 ロイがそう言えばハボックが涙に濡れた瞳でロイを見つめる。ロイは零れる涙をそっと指で拭うと言った。
「お前がこれまでしてきたセックスは本当のセックスじゃない。あれはただの暴力だ」
 そう言って何度もハボックの頬を撫でる。
「馬鹿なヤツらが自分達の欲望を満たすその為だけに、お前を貶め傷つけるのを目的とした暴力に過ぎん。それはお前を傷つけることは出来たかもしれんが決してお前を汚したりは出来ない。お前が自分を恥じる理由など何一つないんだ」
 ロイはそう言うと優しく微笑んだ。
「本当のセックスを…愛し合うということを私が教えてやる」
 ロイはそう言うとハボックに深く口付けていった。


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