菫青石の恋  第三十章


「今日は少し外に出かけないか?」
 そう言われてハボックは食器を洗っていた手を止めてロイを見る。
「お前の体調がよければ、だが」
 そう付け足すロイにハボックはにっこりと笑うと言った。
「体調なら心配ないっスよ。お天気もいいし、出かけましょうか」
「そう遠くないところに公園があるんだ。ちょうど今時分咲く花もあるから行ってみないか?」
 ロイの言葉に頷くとハボックは残りの食器を手早く洗ってしまう。先に支度を始めていたロイのところへ行けばロイが大判のマフラーをハボックの首に巻いた。
「温かくしておかないとな」
 そう言って今度は厚手のコートをハボックの肩にかける。されるままになっていたハボックがくすくすと笑って言った。
「もう、子供じゃないんスから。自分でできますよ」
「いいからじっとしてろ」
 ロイはそう言ってハボックの身支度を整えてやるとハボックの両肩をポンポンと叩く。それからそっと引き寄せるとその頬に唇を寄せた。自分も手早くコートを着てしまうとハボックを連れて玄関へと向かう。外に出た途端手を取るロイにハボックが顔を赤らめた。
「どうしていっつも手、繋ぐんスか?」
 そう言って離そうとするハボックの手をロイがギュッと握り締める。
「お前は繋ぎたくないのか?」
「えっ、だって恥ずかしいじゃないっスか」
「好きな相手と手を繋いで歩くことが恥ずかしいとは思わない」
 キッパリとそう言うと握る手に力を込めるロイにハボックは紅くなって俯いた。グイと引かれて歩き出しながら、ハボックはロイを呼んだ。
「マスタングさんっ」
「何だ」
「手!」
 あくまで離そうとするハボックを目を細めて見るとロイは手を離す。ホッと息を吐いたハボックの体を引き寄せるとその腰に手を回した。
「…っっ!!」
「こうやって歩くのとどっちがいい?」
 そう聞かれてハボックは真っ赤になってロイを見つめたが、俯くと手を差し出す。ロイはくすりと笑うと差し出された手を握り締めて歩き出した。指と指を絡めて歩きながらハボックを見れば顔を赤らめながらも小さく微笑んでみせる。それに笑い返すとロイは繋いだ手を大きく振った。くすくすと笑う声が聞こえて更に大きく振れば、引っ張られるようにしてハボックの体がロイに触れる。
「愛してるよ、ハボック」
 その耳元に囁けばハボックが幸せそうに笑った。

 辿り着いた公園はキンと空気が冷たいもののあちこちに綻び始めた花が咲いて、公園の中を明るく見せていた。
「すげ…いい香り」
 ハボックは黄色い蝋のような花を見て目を輝かせる。伏せ目がちに花に顔を寄せて香りを嗅ぐとロイを振り向いて言った。
「マスタングさん、これ、凄い甘くていい香りっスね」
 ハボックの表情に見惚れていたロイはそう声をかけられて慌てて頷く。正直花の香りよりロイにはハボックの方が甘く感じられて、花の香りと相まってクラクラと眩暈がした。
「面白い花っスね、蝋細工で出来てるみたいだ」
 ハボックはそう言いながらそっと花弁を撫でる。花を愛でるハボックは一幅の絵のようでロイはうっとりとため息をついた。ハボックは暫くその花を眺めていたが、ふと視線をあげると目を細めて更に公園の奥へと足を進める。まるで踊るような軽い足取りで次から次へと花を見て歩くハボックを目で追っていたロイは、突然吹いて来た一陣の風に思わず腕で顔を覆った。風が吹き過ぎた後、腕を下ろしたロイはハボックの姿が消えている事に気付いて目を瞠る。慌ててあたりを見回してロイがハボックの姿を探した時。
「ワッ!」
「うわっ!」
 背後からいきなり肩を叩かれてロイが飛び上がる。振り向けばいたずらっ子のようにキラキラとその空色の瞳を輝かせたハボックがロイに言った。
「びっくりしました?」
「おま…っ、驚くだろうがっ」
「だってマスタングさん、ボーッとしてるから」
 くすくすと笑うハボックをロイが睨めばハボックが聞く。
「オレと一緒にいて楽しいっスか?」
「当たり前だろう」
「オレも、楽しいっス。マスタングさんと一緒にこうしていられてすげぇ嬉しい…」
 そう言ってロイの肩に額をコツンとつけるハボックから香る甘い香りに、ロイは己の欲望を揺さぶられてうろたえた。慌ててハボックから身を離すと離れたところで薄紅の花を咲かせている木を指差す。
「ほら、あそこにも咲いてる。行ってみよう」
 そう言って足早に歩いていくロイをハボックは暫く見つめていたが、1つ瞬きするとロイの後を追った。

 公園で花を見て歩く間も、帰りの道すがらもロイはハボックの手を取らなかった。傷ついたハボックの心が癒されるまで己の欲望をハボックに向けるのはやめようと決めたはずだったのに、ハボックの艶やかな部分を見せ付けられるたび決心が揺らぎそうになる。
(決めたはずだろうが。グラグラするなんて情けない、しっかりしろっ)
 家に帰る間中錬金術の公式を唱え続けていたロイは鍵を開けて中へと入るとハボックに声をかけようとして後ろを振り向いた。名を呼ぼうとして玄関で不安そうな顔をしたまま俯いているハボックの姿に気付く。ロイは慌ててハボックの傍に寄るとその冷たくなった頬を両手で挟んだ。
「大丈夫か?疲れた?」
「いえ…大丈夫っス」
 小さく微笑むハボックに軽く口付けるとその体をギュッと抱き締める。
「寒かったろう、コーヒーを入れるから」
「オレがやりますよ」
「いいからお前は座っていろ」
 ロイはそう言ってキッチンへと入っていく。
(よし、触っても大丈夫だったな)
 とりあえず欲望を押さえ込む事に成功したことにロイは安堵のため息を付いたのだった。

 ロイに言われてソファーに腰を下ろしたハボックはそっと手を握り締める。カチャカチャとロイがたてる食器の音を聞きながら目を閉じた。
(マスタングさんは本当はオレのことどう思ってるんだろう…)
 抱きしめてキスをしてくれて「愛している」と何度も言ってくれるロイ。でもそれ以上は決してしかけてこようとしない。
(さっきだって、あれ、絶対逃げた)
 一緒にいられて嬉しいと言って身を寄せたハボックから明らかに逃げたロイを思い出してハボックは唇を噛み締める。
(オレから触れられるのはイヤなのかもしれない。オレは…汚れてるから)
 そんな考えがふと頭を掠めてハボックは僅かに目を見開いた。
(酷い目に会ってたオレを助けてくれるうちに、同情を愛情だと錯覚してるのかもしれない。初めてオレを抱いたのが自分だと知って責任を感じてるのかも)
 そんなことを考えながらハボックが震える拳を握り締めた時。
「ハボック?」
「っっ!!」
 突然近くで声がして、ハボックは驚いて顔を上げる。カップを持ったロイが不思議そうな顔をして立っているのをハボックは目を見開いて見つめた。
「どうかしたのか?」
「い、いいえ、なんでも…」
 心配して聞くロイにハボックは首を振る。
「ちょっとうとうとしちゃって…」
 ハボックはそう言うとカップを受け取った。向かいの席に腰を下ろすロイに言う。
「やっぱりちょっと疲れたみたいっス。少し寝てもいいっスか?食事はいりませんから」
「大丈夫か?ムリをさせたのなら悪かった」
 そう言って手を伸ばしてくるロイに小さく笑うとハボックはカップを置いて立ち上がった。
「大丈夫っスから。その…ごめんなさい」
 ハボックはそう言うと逃げるようにリビングから出て行った。


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