| 菫青石の恋 第二十九章 |
| 「マスタングさん、これもチェックして、要らないものは捨てて下さい」 ハボックはそう言うとロイの前に書類の束を置く。ロイは段々と高くなっていく山を見つめてげっそりとため息をついた。 「まったく、どうやったらここまで散らかるんスか」 信じらんねぇ、とぼやきながらハボックは書斎の中に所狭しと積まれた本を片付けていく。書斎のあまりの惨状を目にした途端、何とかしなければいけないという使命感にかられたらしいハボックはロイが止めるのも聞かず書斎の片付けを始めてしまった。床に積まれた本を系統別に棚にしまいながら、あちこちに散らばった紙片をかき集めてはチェックして要らないものは処分するようロイの前に持ってくる。 「読み終わったらその都度本棚に戻す、要らなくなったメモはその場で捨てる。それだけするだけでも部屋は散らからないっスよ」 「あー、判ってはいるんだが…」 諭すようにそう言うハボックにロイはポリポリと顎を掻きながら答えた。判ってはいてもつい、後でと後回しにしてしまう。その結果がこの書斎なのだがハボックにはどうにもそれが理解できないようだった。 「大体他の部屋は結構きちんとしてるのに、どうしてこの部屋だけこんななんスか?」 棚の上の方に本を押し込みながらハボックが聞く。丸めた書類をゴミ箱に放り込んでロイが答えた。 「他の部屋はハウスキーパーを入れているからな。だがこの部屋は弄らないよう言ってあるんだ」 そう言うロイにハボックは手を止める。書類を見ているロイの方を振り向くと言った。 「ご、ごめんなさい、オレ…」 突然そんな風に謝るハボックにロイは書類から顔を上げると不思議層にハボックを見る。ハボックは視線を落とすと申し訳なさそうに言った。 「ごめんなさい、勝手に片付けなんて始めて…。迷惑だったっスよね。今すぐ出ますからっ」 ハボックはそう言うと逃げるように書斎から出て行こうとする。慌てて立ち上がったロイはハボックが出て行く寸前にその腕を掴んで引き止めた。 「迷惑だなんて、どうしてそんな風に思うんだ」 「だって、ハウスキーパーの人には弄らせなかったんでしょう?」 「お前はハウスキーパーじゃないだろう」 そう言われてハボックは目を見開く。ロイはハボックの頬を撫でて言った。 「こんな風にお前が片付けようとしてくれて、なんだかくすぐったいようで、でも凄く嬉しいんだ。こんなだらしないところを見て呆れられないかと心配でもあるが、お前が私の為にしてくれるのが嬉しいんだよ、ハボック」 ロイはそう言うとハボックを抱き締める。 「こんな風に思ったのはお前が初めてだ。もっとも今日一日で全部片付けようっていうのは勘弁して欲しいがね」 そう言えばハボックが小さく笑った。 「時間はあるんだから、毎日ゆっくり片付けるってことで妥協してもらいたいんだが」 情けない顔でそう言うロイにハボックが嬉しそうに笑う。その唇に軽くキスを落として、ロイはハボックの手を引いて書斎を出た。 「マスタングさん、まだ寝ないんスか?」 シャワーを浴びてきたハボックが髪を拭きながら聞く。ソファーに座って本を広げていたロイは顔を上げずに答えた。 「ああ、今面白いところなんだ。もう少し読んでから寝るから先に休んでなさい」 「…ここにいちゃダメっスか?」 そう聞かれてロイは本から顔を上げる。タオルを首に巻いたまま遠慮がちにそう言うハボックにロイは笑って答えた。 「構わないが寒くないようにな」 「はい」 ホッとしたように頷くとハボックは向かいの椅子に腰を下ろす。椅子の上に引き寄せるように膝を抱えると膝の上に頬を載せた。一心に本を読むロイを目を細めて見つめる。 (マスタングさん…) 心の中でそう呼べば心の中に愛しさが溢れた。ロイが自分を大切に思ってかけてくれる些細な一言が堪らなく嬉しい。 (大好き) 心の中でそっと囁いてハボックは目を閉じた。 カチカチと時計が時を刻む音と、時折ページを捲る音だけが部屋の中を支配する。一心に集中して本を読んでいたロイはふぅと息を吐くと本から顔を上げた。 「もう、こんな時間か」 壁の時計を見てそう呟いてから向かいのソファーを見てロイは目を丸くする。待ちくたびれたハボックが膝を抱えてスウスウと寝息を立てているのを見て、ため息をつくとロイは立ち上がった。 「こんなところで寝てたら風邪を引くぞ」 ロイはそう言うと起こそうとしてハボックの肩に手をかける。その途端、ふわりと鼻腔を掠めた香りにピタリとその手を止めた。 「あ…」 ロイの鼻腔を掠めたのはハボックの香り。それはたまらないほど甘く、ロイの中枢を刺激する。そのまま押し倒したい衝動にかられて、ロイは慌てて手を引っ込めた。 「何を考えているんだ、私は」 大切にしてやりたいと思う。抱きしめて、その体中にキスを降らせ、自分のものにしてしまいたい欲求がないと言ったらウソになる。それでも、これまで散々辛い思いをしてきたハボックを大切に大切にしてやりたいと思う気持ちがあるのも本当だった。 「そんなに無防備な顔を見せるな…」 抑えが利かなくなるだろう、ロイはそう囁くとハボックの唇にそっとキスを降らせたのだった。 「ん…」 ハボックはふと感じたうそ寒さにゆっくりと目を開く。自分がロイの肩にもたれるようにして眠っていた事に気付くと慌てて体を起こした。よく見れば自分の体にはしっかりとブランケットが巻きつけられ、一方ロイはと言えば軍服の上着を肩にかけているだけだ。ハボックはソファーに寄りかかって眠るロイの顔をじっと見つめていたが、そっと手を伸ばすとロイの頬に手を触れた。 「マスタングさん…」 指先から伝わるロイの体温にぞくりと体を震わせる。もっとロイの熱を感じたいと思っている自分に気付いて慌てて首を振った。 「何考えてるんだろ、オレってば」 ハボックはそう呟くとロイの肩に頬を寄せる。 「でも、オレ…マスタングさんに…」 思わず呟いたハボックは心に浮んだ考えを締め出すように目をギュッと閉じるとロイのシャツを握り締めたのだった。 肩に加わる重みにロイは目を開いた。頬をくすぐる金色の髪から香るあの甘い香りにロイは静かに息を吐き出す。自分を信じ切って寄り添う温もりを感じてロイは唇を噛み締めた。 ハボックは恐らく愛されると言うことを知らずに育ってきたのだろう。ロイが示す愛情と優しさに酷く戸惑いながら、それでも嬉しそうに笑うハボックが愛しくてたまらない。ハボックがこれまで負ってきた傷を癒してやらなくてはとロイは思う。本来なら無条件で愛してくれる筈の親から散々に疎まれた挙句彼らが作った借金の肩代わりにと売り飛ばされた。愛すると言うことすらまだよく判らぬうちに男達の汚い欲望のはけ口にされて、その傷はどれほど深かったことだろう。 (私が守ってやるから…) もう、誰にもハボックを傷つけさせたりしない。それは自分自身でも同じことだ。ハボックの傷が癒えるまでは自分の欲望をハボックに向けることはしないようにしなくては。たとえ時間がかかろうと、ハボックは自分の傍にいるのだしハボックを大切に思うのであれば尚のこと。 「ん…」 僅かに身を捩ったハボックの肩からずり落ちたブランケットの影から覗く肌から目を逸らすと、ロイは大きく息を吐き出す。 (たった今思ったばかりだろう、ロイ・マスタング!) ロイはブランケットをかけなおしてやると新しい錬金術の構成式を必死に考えたのだった。 |
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