菫青石の恋  第三章


「結構こういうとこ来る人っているんですねぇ」
 指定された時間に店に行くと最初に通された部屋でフュリーがきょろきょろと辺りを見回しながら言う。完全予約制の娼館は個々の客が顔を会わせない様配慮されていたが、それでも壁越しに聞こえる騒めきが大勢の客がここを訪れていることを知らせていた。ノックの音がして皆の視線が向いた扉が開き、最初にロイ達をこの部屋へ案内した黒ずくめの男が顔を出す。軽く会釈して促す男に導かれるまま部屋を出ると、エレベーターで上の階へと案内される。先ほどまでと違ってシンと静まり返った厚い絨毯が敷き詰められた廊下を通り、一番奥の部屋へと通された。
「すぐ参りますので」
 そう言って男が出て行ってしまうと、皆それぞれ適当な場所へ腰を下ろす。決して派手ではないが高級なものと知れる調度品に囲まれた部屋に誰かがため息をついた。
「よほど儲かってるんですなぁ…」
 感心したようにファルマンが言う。
「ここにはベッドの類はないんですね」
 とフュリーが言えば
「用件を聞かれたからな。話をしてみたいんだって言っといたから」
 それでいいんですよね、と言うブレダにロイは頷いた。
「話だけなのか、それともそれ以上を望むのかで金額が違うんだろう。そもそもこんな大勢で押しかけてセックスなんてことはあちらとしても承諾しないだろうしな」
「そういうのがスキって輩もいますけどね」
「そういう相手にはそういう相手なりの接待の仕方があるんだろう」
 なるほど、とブレダ達が頷いた時、コンコンと扉を叩く音がする。ロイが答えればゆっくりと扉が開いた。 部屋の全員が見つめる視線の先、開いた扉のところに立っていたのは背の高い金髪の青年だった。青年はそっと扉を閉じると数歩部屋の中へと脚を進める。ほんの一瞬、ロイの顔をヒタと見つめた空色の瞳が緩くほどけて青年はにっこりと微笑むと言った。
「ようこそ、ベアルファレスの館へ。ハボックと申します。以後、お見知りおきを」
 そう言って軽く一礼した青年はシンプルな白いシャツとスラックスを身につけていた。すらりと伸びた長身は綺麗な筋肉に包まれた若い獣のようなしなやかな体つきで、いわゆる色を売るという言葉とは似つかわしくないように見える。ハボックは少し首を傾げるとロイに向かって言った。
「何かお飲み物を?」
 その言葉にロイたちが口々に答えればハボックは電話で注文を通す。ロイに座るよう促されてハボックはロイの正面に腰を下ろした。
「なんとお呼びしたら宜しいでしょう?」
「私はロイ・マスタングだ」
 ハボックの問いにそう答えたロイをハボックが目を見開いて見つめる。問いかけるロイの視線に小さく笑うと言った。
「いえ、こういうところで本名を明かすお客様はあまりいらっしゃらないんで。地位のある方は特に」
「別に疚しいことをしているわけでなし、隠すこともないと思うが」
 ロイがそう言えばハボックが答える。
「確かに商売として成り立っているわけっスからね。悪いことじゃない。増してやマスタング大佐は独身ですし」
 ちょうどその時運ばれてきた酒を受け取ってハボックがロイに渡した。
「まあ、ちょっと意外っていうかビックリもしてるんスけどね。あのマスタング大佐が部下を引き連れてこんなところへ、って。どおりでさっき店の奥で騒いでるヤツらがいたわけだ」
 ロイは渡されたグラスに口をつけると答える。
「なに、刃傷沙汰を引き起こすほど人気の売子はどんなヤツなんだろうって話になってね。皆で顔を見に来たというわけだ」
「ああ、あれっスか」
 ロイの言葉にハボックが嫌そうに顔を顰めた。その時、「あのっ」と声を上げたフュリーの方にハボックが視線を向ける。
「俺のものになってくれ、とかって言われたんですよねっ?」
「嫌だな、そんなことまで知ってるんスか?」
 苦虫を噛み潰したような顔をするハボックにロイが言った。
「ちょうど私の部下の隊の者が通りかかったようなんだよ」
「うわ…見られてたんだ」
 参ったなと言う顔をしてハボックが言う。
「特にそのお客様に対して特別なことを言ったとか、そういうつもりはなかったんスけど…」
「えっと、でもっ、その、そういう関係にはあったわけですよね?」
「そりゃ、それがオレの仕事っスから。彼が特別というわけじゃないし」
「いい迷惑、というワケだ」
 ハボックはその言葉には苦笑しただけで何も言わなかった。
「そんな話より、もっと他の事を話しましょう。せっかく来られたんスから」
 ハボックはそう言うとブレダやファルマンにも話を振る。他愛無い噂話や流行の話、その他色んな話を如才なく皆に話をしたり、逆に話させたりするハボックの笑顔を、ロイはじっと見つめていたのだった。

「またいつでもお越しください。お待ちしておりますので」
 そう言って礼をするハボックを部屋に残して、ロイ達は黒ずくめの男に案内されて娼館を後にした。外に出た途端、フュリーが「ひゃー」だか「ふぇー」だか変な声を上げる。
「なんか、イメージ、思ってたのと全然違いましたよ。僕、もっとナヨッとした感じの人かと思ってました」
「確かに、太陽の下でスポーツでもしてる方が似合ってる感じでしたな」
「でも、会話なんか誰も飽きさせないようにさり気なく気配りしてて、やっぱ物慣れてる感じはしたな。ただちょっと…」
「ちょっと、なんです?」
「何となくどっかで会ったことがあるような…いや、気のせいだな。そんなことあるわけないし」
 そう言って歩きながらブレダはロイに聞いた。
「大佐はどうでした?どんな印象でした?」
「そうだな…」
 そう聞かれてロイはハボックの姿を思い浮かべる。そこにいる全ての人間にそつなく話しかけながら、時折ロイを見つめる視線が何か言いたげだったような気がして、ロイはそんな突拍子もない考えに首を振った。
「居心地のいい空間を提供できる男だったな」
「ああ、それは言えますね。俺、男娼相手に何話したらいいのかさっぱりだったんですけど、気がついたら色々喋ってましたよ」
「いろんなこと知ってましたよね。もっと色々聞いてみたかったなぁ」
 そういうフュリーにブレダがニヤニヤと笑って言う。
「通うなよ、あっという間に借金で首が回らなくなるぞ」
「通いませんよ。って、あれでどれくらい払ったんですか?」
 そう言ってブレダとロイの顔を見比べるフュリーにブレダが顔を顰めた。
「聞くな。真面目に働くのがバカらしくなるから」
「そんなに凄い金額なんですか?」
「だから聞くなって」
 絶対に答えようとしないブレダにフュリーとファルマンが顔を見合わせる。
「そんなに凄い金額なんですね…」
「話をしただけでしょう?もしそれ以上って言ったら…」
 顔を見合わせて首を竦める2人にロイが笑った。
「これで気がすんだろう。もっとよく知りたいと思うんだったら後は各自でやってくれ」
「うわ、それって嫌味っすよ、大佐」
 そう言って顔を顰めるブレダに皆が笑う。
「どうします?どこかで飲みなおしますか?」
 まだもう一軒くらいなら、と言うブレダにロイは首を振る。
「いや、悪いが私はもう帰るよ。みんなでどこかに行くなら私に請求を回してくれたらいい」
 そう言えば皆が「やった!」と声をあげるのに手を上げて、ロイは一人家への道を辿っていった。

 ロイたちが帰った後、部屋に残されたハボックはどさりと腰を下ろす。テーブルの上のロイが飲んでいたグラスに手を伸ばすとそれを手にした。僅かに残された液体を灯りに透かして見ていたが、大事そうに口をつけるとグラスを傾け口の中へ微かに流れ込んでくるそれを味わう。小さく息を吐いたハボックは暫くの間手の中のグラスを優しく握り締めていたが、やがてそれをそっとテーブルに戻した。そのままぼんやりと座っているとガチャリと音がして扉が開き黒ずくめの男が顔を出す。
「おい、ハボック。ぐずぐずするな。あと15分で次の予約だぞ」
「うん、判ってる」
 ハボックはそう答えると男の横をすり抜けるようにして部屋を出て行った。


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