菫青石の恋  第二章


「刃傷沙汰だぜ、たいしたもんだよな」
 昼休みも終わりを告げる頃、司令室に戻ってきたロイはブレダがそう言っているのを耳に留めた。
「刃傷沙汰?穏やかじゃないな、なんの話だ?」
 ロイがそう聞けばフュリーとファルマン相手に話をしていたブレダが答える。
「ああ、大佐。ほら、西地区の歓楽街にいくつも娼館があるでしょう?あそこにすげぇ人気の売子がいるんですけど、ソイツがらみで夕べ、殺すのなんのって大騒ぎだったらしいんですよ」
「俺のものになってくれなかったら殺してやるって言ったんでしょう?すごいですよね」
「売子に俺のものもなにもないもんだと思いますが」
 口々に言う部下達にちょっと興味を覚えてロイが聞いた。
「ほう、よっぽどの美人なのか?」
「いや、うちの隊のヤツがちょうど騒ぎの時に通りかかったらしいんですけどね、金髪碧眼でイイ男らしんですけど、でもカワイコちゃんって感じじゃないみたいですよ。むしろ柄も大きくて男らしい感じだったって言ってましたけどね」
 ブレダがそう言えばフュリーが顔を顰める。
「男らしい、ですか?そういう人とエッチしたいって思うんですかねぇ」
「人の好みは人それぞれですからな。そういう相手がいいという人もいるんでしょう」
 ファルマンの言葉にフュリーが「僕ならカワイイ女の子がイイなぁ」と呟き、ファルマンも「同感です」と頷いた。それを聞いていたロイが面白そうに言う。
「なんだったら、一度その人気の売子って言うのを見に行ってみるか?」
「ええっ?大佐、その人とエッチするんですかっ?!」
「バカ、んなことあからさまに聞くなよっ」
 フュリーが叫べばブレダがその頭をゴツンと小突いた。ロイは声をあげて笑いながら言う。
「みんなで話をしに行ってみないかと言ってるんだ。男娼相手にセックスではなくて愚痴を言いに行く輩もいるそうだから別に構わないだろう」
「そりゃまあ、顔を見てみたい気もしますけど…でも、かなりイイらしいですよ?」
 とブレダが指で丸をつくって見せた。
「いくらぐらいするもんなんですか?」
 フュリーが聞けばブレダが首を傾げる。
「さあな、聞いたところによると相場の5倍とか10倍とか…」
「ぼってますなぁ」
「それだけ人気があるということなんだろう。別に構わないさ。ブレダ少尉、適当な日で店に話を通しておいてくれ」
「うわ、ホントに行くんですね…」
 怖いような、会いたいような、とギャイギャイ騒ぐ部下達を置いて、ロイは執務室へと入っていった。

 椅子に腰を下ろすとロイは指で眉間を揉む。深い息を吐いて、先ほど会食で一緒になった市議の言葉を思い出した。
『イシュヴァールの英雄、焔の錬金術師マスタング大佐とお会いできるなんて光栄ですなぁ。実は私の姪がちょうどマスタング大佐と年齢的に近くて…』
「煩わしい…」
 ロイはそう呟くと、その市議から無理矢理渡された写真をゴミ箱に放り込む。イシュヴァール殲滅戦から数年、大佐になったロイの元へはそういったお見合いやらなにやらの類の話が嫌と言うほど持ち込まれるようになっていた。若くして地位もあり見た目も麗しい独身の男と言えば、若い女性やその親であればお近づきになりたいと思っても不思議はないだろう。だが、ロイにとってはそんなものはただ煩わしいだけだった。勿論、男として性的欲求が全くないわけではなかったが、そういう時ははなからそういうことを生業とする女か、もしくは遊びと割り切れる女性とだけ付き合うようにしていた。ロイにとっては誰かを好きになるということ、ましてや結婚などはるか遠い対岸の出来事でしかなかった。誰の事も好きになることなど出来ない、そんな自分をロイはあのイシュヴァールの土地で何かを置いてきてしまったのだと、そう思うことしか出来なかった。

「大佐、例の件、今度の金曜日になりましたんで」
「例の件?」
 言われてキョトンとするロイにブレダが思い切り顔を顰める。
「ヤダなぁ、忘れたなんて言わないでくださいよ。スポンサーなんですから。ほら、あの売子の顔見に行くって話ですよ」
「ああ、あれか」
「うわ、マジ忘れてたんすか?今更キャンセルできませんからね」
 慌てたように言うブレダにロイは苦笑した。
「随分ふっかけられたのか?」
「男買う相場なんて知りませんけど、女の子と遊ぶこと考えたら結構な値段だと思いますね。どうします?これですんげぇマッチョなお兄ちゃんとか出てきたら」
「その時はボディビルダーショーでも見せてもらうんだな」
「げぇ、そんなもん見たくないですよ…」
 ブレダが本気で嫌そうな顔をした時、ノックの音がしてホークアイが入ってくる。
「楽しそうですね、何のお話ですか?」
「男の遊びの話だよ、中尉」
 にこやかに笑って言うロイにホークアイが答えた。
「遊びも結構ですが、書類の処理もお願いいたします」
 そう言って容赦なく未処理の山を高くするホークアイにロイが眉を顰める。とばっちりが来る前にとブレダがそそくさと執務室から出て行った。
「中尉、処理しても処理しても書類が減らない気がするんだが」
「気のせいですわ。減らない書類なんてありませんから」
 そう言うとホークアイは処理済の箱から書類を取り出す。
「あと1時間したら取りに伺います」
 そう言って出て行くホークアイの背中を見送ってロイは呟いた。
「つまりコレだけの書類を1時間で終わらせろと言うことか…」
 まいったな、とため息をつくとロイはペンを取り上げたのだった。

「いよいよ今夜ですよねっ、僕、朝からすっごいドキドキしてるんですけどっ」
「おい、まさかソイツ相手に筆下ろししたいとか言うんじゃないだろうな」
 興奮に顔を紅くして言うフュリーをブレダがからかう。「セクハラですよっ!」と喚きあっているところに司令室へと入ってきたホークアイが言った。
「夜遊びもいいけど仕事が終わらなければ残業よ」
 その言葉に妥協は赦さない響きを感じ取って、ブレダたちは慌てて書類に向き合う。ホークアイはひとつため息をつくと執務室の扉をノックした。返事を待って扉を開ければロイが真面目に机に向かう姿が目に飛び込んでくる。思わず「珍しいこと」と呟けばそれを聞きとがめたロイが言った。
「仕事が終わらなければ残業なんだろう?」
「よほどその売子とやらにご興味がおありなんですのね」
 そう言われてロイが答える。
「部下達の楽しみを取っては可哀相だろう。私が行かなければスポンサーがいないのだから」
「お金だけ出して後は好きに楽しんで来い、という選択もあると思いますが」
「せっかく高い金を出すなら自分も楽しみたいんだがね」
 ホークアイの言葉に顔を顰めるロイにホークアイはくすりと笑った。
「高いお金を出して大ハズレでないことをお祈りしておきますわ」
「私としては部下の誰かがハマってしまわないことを祈ってるよ」
「刃傷沙汰を引き起こすほどの人気だそうですからね」
「そうなんだよ」
 心配だろう、とちっともそう思っていない顔で笑うロイにホークアイはため息をつく。
「ともかく!仕事が終わらなければどなたも遊びには行かれませんから」
 開け放たれた扉の向こうの連中にも聞こえるよう、ピシリと言うとホークアイは決済済みの書類を提出すべく部屋を出て行った。


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