菫青石の恋  第二十七章


 家につくとロイはハボックを中へと通す。大きくて立派な構えの家に通されて、ハボックは気おされたようににあたりを見回した。
「ここに一人で住んでるんスか?」
「佐官用に宛がわれた家なんだ。一人で住むには広いが本を置くスペースに不自由しないのは助かってる」
 そう言ってからロイは「もっとも」と続ける。
「これからはお前も一緒だからな」
 優しく笑う黒い瞳にハボックは紅くなって俯いた。ロイはそんなハボックの手を取ると2階へと連れて行く。幾つか並んだ部屋の中から一部屋を選ぶと扉を開けた。
「ここを好きにつかってくれ」
 ハボックはロイに促されるまま部屋の中へと入る。大きな窓を開ければ綺麗な庭と更にその向こうに明るい空が広がっているのが見えた。
「いいんスか?オレ、別にこんな立派な部屋じゃなくても…」
「気に入らないのか?」
「そういうわけじゃないっスけど」
 なんだか立派過ぎて落ち着かない、と呟くハボックを引き寄せるとロイが言う。
「すぐに慣れるさ。それよりまず、必要なものを用意しないとな。服やらなにやら」
 ロイはそう言うと楽しそうに笑った。
「本当は今すぐ一緒に買いに出かけたいところだがお前も疲れてるだろう。とりあえず馴染みの店に言って何着か持ってこさせよう」
 そう言えばハボックが目を丸くして言う。
「いいっスよ、そんなわざわざ。アンタの服、貸してくれれば。その間にこの服洗えばいいんだし」
「私の服じゃサイズが合わんだろう。大体その破けた服をまだ着る気なのか?」
「ちょっと縫えば――」
「ふざけるな」
 正直シュトフが破いた服など今すぐ剥ぎ取ってしまいたいほどだ。ロイはハボックを睨んで言った。
「とにかくすぐ持ってこさせるからな。まずはシャワーを浴びてきなさい。埃だらけだ」
 そうは言ったものの、本音はハボックが例え僅かでもシュトフに触れられたままでいることが赦せなかった。ロイはハボックを浴室に連れて行くとバスローブやらタオルやらを出してやる。ほんの少し不安そうな顔をしたハボックが中へと消えるとすぐに電話をかけて当座必要なものを注文した。ロイはソファーに腰を下ろすと深いため息を吐く。
「こんなに自分が嫉妬深いとは知らなかった…」
 シュトフがハボックに触れたことが赦せなかった。ハボックがホークアイと楽しそうに笑っていたことが、ブレダと仲睦まじく思い出話に興じているたことが、ロイの心を波立たせ、苛立ちを湧き起こす。
「参った…」
 ロイはそう呟くと頭をかきむしったのだった。

 ハボックは温かいシャワーを浴びながらそっと息を吐く。ハボックには恐らくロイがシュトフが自分に触れた事に腹を立てているのだろうと判っていた。柔らかな滴を体に受けながらハボックは忌まわしい印の刻まれた肩にそっと触れる。
 もし、ロイがこれを見たらなんと言うのだろう。例えそのとき抗う術を持たなかったにせよ、自分以外の男の所有の印を刻まれた体を見たらどう思うだろうか。
(違う、それだけじゃない…)
 ハボックはシュトフに投げつけられた言葉を思い出して唇を噛み締める。自分がどれ程汚れているのかを思い起こさせるに十分なそれにハボックは自分の体を抱き締めた。ホークアイと話をして、ブレダと再会を喜んで確かにハボックは嬉しかった。ロイに「お前の家に案内する」と言われて本当に嬉しかったのだ。だが、ロイの嫉妬を見ると不安になる。やはり傍にいてはいけないのではないかと、そんな思いが頭をもたげて来てしまうのだ。
(でも、もう一人になんかなれない…)
 ロイの手を取ったら二度と離せないことは判っていた。もしロイが汚れた自分などやはり要らないと言ったら、その時はもう、命を絶つしか離れる方法はないだろう。
(好き…マスタングさんが好きだ…)
 ずっとずっと抱きしめてきた想いだった。一度解き放ってしまえばもう押さえる術など見つけることはできなくて。
 ハボックは不安に押しつぶされそうになりながら震える体を抱きしめていたのだった。

 ハボックがシャワーを浴びて出てきたときには着ていた服は片付けられてしまっていた。ハボックはタオルで丁寧に体を拭うとバスローブを羽織って浴室を出る。部屋を覗いてロイがいないことを確かめると階下へと下りた。漏れ聞こえてくる話し声にそちらへ行けば、若い男がロイのところへ服を一山届けに来ているところだった。
「マスタングさん」
 扉のところからそう声をかければ二人の視線がハボックへと向く。仕立て屋の男の目がハボックに吸い付けられる様に釘付けになり、ロイの目が見開かれた。ロイはあからさまに舌打ちすると立ち上がりハボックのところへと足早にやってくる。
「何してるんだ、お前はっ」
「え?」
 目を丸くするハボックにロイはもう一度舌打ちすると乱暴にその腕を取った。自分の体でハボックの姿を隠すようにしながらハボックをキッチンへと追いやる。
「ちょっとそこで待ってろ」
 それだけ言うとリビングへと戻っていった。まるで怒鳴りつけるように仕立て屋の男と言葉を交わしたかと思うと、叩き出す同然に追い返してしまう。ロイは1つ息を吐いて頭を振るとキッチンへと取って返し、不安げに立っているハボックを睨んだ。
「なんて格好で出てくるんだっ」
「ごめんなさい。でも、着るものなかったし、それに男同士だから別に…」
 そう言うハボックの髪はまだ湿り気を帯びて頬や首筋に絡みつき、体からはほのかに石鹸の香りがした。温まった肌は上気して普段は白いそれが桜色に染まっているのは例えその気がないものから見ても、十分誘うものだった。
「頼むから私以外の人間の前でそんな無防備な格好を晒すな」
 はあ、とため息をついて、ロイはハボックの頬を撫でる。それからその手を取るとハボックをリビングへと連れて行った。
「一通り服を用意した。これを着て、それから食事はデリバリーを取ろう。何か食べたいものがあるか?」
 ロイがそう聞けばハボックは小さく首を振る。
「あんまり腹減ってないんで、マスタングさんの好きなものとってください。それ、分けてもらえば十分だから」
 そう言ってハボックは山の中から服を一式取り出した。そのまま2階へ上がっていこうとするハボックをロイが引き止める。
「上は寒いだろう。ここなら暖まっているしここで着替えてしまえばいい」
 ロイの言葉をポカンとして聞いていたハボックは次の瞬間真っ赤になった。
「ヤですっ」
 そう言うと服をギュッと抱きしめて逃げるように2階へと駆け上がっていってしまう。そんなハボックを目を丸くして見送ったロイは、パチパチと数度瞬きして呟いた。
「男同士とか言ったのはそっちだろうが…」
 ロイはそう言うと頭を振ってデリバリーを頼もうと電話に手を伸ばしたのだった。

 着替えを済ませてハボックがリビングに戻ってくるとロイはソファーで本を広げていた。ロイは自分の傍まで来て立ち止まったハボックに手を伸ばすとその頬を撫でる。何も言わずに見下ろしてくる空色の瞳に、ロイは微笑むと髪の中に差し入れた手でハボックの頭を引き寄せそっと口付けた。啄ばむように唇を合わせてハボックを離す。ロイは立ち上がると幾つも瓶の並んだ棚に近づきながら言った。
「少し飲むか?」
「いえ…今日はやめときます」
「じゃあ、一口だけ付き合ってくれ」
 ロイはそう言うとボトルとグラスをふたつ手にして戻ってくるとソファーに腰を下ろす。ハボックがその向かいに腰を下ろすと酒を注いだグラスを差し出した。軽い音を立ててグラスを合わせるとロイはグイと喉へと流し込む。対照的にほんの少しだけ口にしたハボックは琥珀色の液体を見つめて呟いた。
「いい酒っスね」
 苦笑して顔を上げずに言う。
「酒の味だけは判るようになりましたよ」
 ハボックはそう言って唇を噛み締めた。
「オレ、これから何したらいいんでしょう。アンタの役に立つこと、できるのかな」
 そう呟くハボックにロイが口を開こうとした時、チャイムの音がしてロイは小さく舌打ちすると玄関へと出て行く。少ししてデリバリーの箱をいくつも抱えて戻ってきたロイにハボックは慌てて立ち上がるとロイを手伝ってテーブルの上に並べていった。ロイに言われるまま皿を出し、保温用のポットからスープを注いでいたハボックの手が止まる。不審に思ったロイがハボックを見ればその手が僅かに震えていた。
「ハボック?どうかしたのか?」
 具合でも悪いのかと覗き込めばハボックが顔を逸らす。その反応にムッとしてロイが何か言おうとした時、ハボックがポツリと言った。
「オレ、アンタの傍にいて、いいんでしょうか」
「ハボック?」
「オレ、ホントにアンタの傍にいても…」
 不安に揺れる空色の瞳にロイは驚いて目を瞠ったが、優しく微笑むとその体を抱き締める。
「馬鹿だな、お前は。何度も言ったろう、もう離さないと。ここはお前の家でこれからずっと私と一緒に暮らすんだ。ずっとずっと一緒に」
 そう言って抱きしめてくるロイの力強く温かい腕に、ハボックはホッと息を吐いた。おずおずとまわされる腕にロイは笑うとハボックの頬に口付ける。
「さあ、食事にしよう。しっかり食べて早く体調を戻さないとな」
 微笑んでそう言うロイにハボックも少し安心したように笑うと、ロイに背を押されるまま食卓へとついたのだった。


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