菫青石の恋  第二十四章


「ハボック」
 列車の揺れに身を任せてうとうととまどろむハボックをロイは申し訳なさそうに起こした。ゆっくりと開かれた空色の瞳を覗き込むようにして言う。
「もうすぐイーストシティだ。起きられるか?」
 そう言えばハボックは数度瞬きして体を起こした。
「大丈夫っスよ」
 ハボックはそう言うと窓の外へと目をやる。段々と近づいてくる街並みを懐かしそうに見つめて言った。
「あそこを出てきたのがもう何年も前のことみたいに思えますよ」
「私にしてみればお前が姿を消していた間は、何十年、何百年に思えた」
 唇を突き出して言うロイの顔が拗ねた子供のように見えてハボックがくすくすと笑えばロイにジロリと睨まれる。慌てて笑いを引っ込めると上目遣いでロイを見た。ロイは優しく微笑むとハボックの髪を撫でる。その柔らかな感触を楽しみながら言った。
「いいさ。こうして一緒に戻ってくることが出来た。もう、どこへも行くんじゃないぞ」
 そう言って笑う黒い瞳にハボックは「はい」と答えるとロイの手に頬を寄せる。甘えるようなその仕草にロイは嬉しそうに笑うとハボックの体を抱き締めた。

 ようやくイーストシティの駅に降り立ってさすがのロイもホッと息を吐く。横から聞こえたため息にハボックを見れば疲れた顔をしてぼんやりと立っていた。
「大丈夫か?家に帰ればゆっくり休めるから」
 そう言うロイにハボックが小さく笑う。ロイはハボックの手を取ると改札に向かって歩き出した。改札を出て、車を回してもらおうとロイが思った矢先、ロイを大声で呼ぶ声がする。
「大佐!」
 声のする方を見ればブレダが駆け寄ってくるところだった。
「よかった、結構早かったですね」
 そう言ってブレダはハボックを見ると片手を上げる。軽く会釈をするハボックに笑うとロイに言った。
「大佐。申し訳ないんですが――」
「やっぱりか。そうじゃないかと思ったんだ」
 元々ハボックの体調も考えてもっとゆっくり帰ってくるつもりだった。それなのにタイミングよくブレダが駅にいたのはいつ帰ってきても捉まえられる様、待ち構えていたということだろう。
「中尉も申し訳ないとは言ってたんですけど…」
「そう思うなら遠慮したらどうなんだ」
 ボリボリと頭を掻きながら言うブレダにロイは思い切り顔を顰めた。それでもそんなことは慣れっことでもいうようにブレダはロイを見て言う。
「至急の案件が2つほどあるんです。時間はとらせませんからちょっとだけ司令部に寄って下さい」
「私は今すぐ帰ってハボックを休ませてやりたいんだ」
「いや、気持ちは判りますけどね、大佐」
 すっかり恋する男に成り下がってしまった上司に、それでも挫けずブレダが説得しようとした時、ハボックが言った。
「マスタングさん、オレのことなら大丈夫っスから。近くの喫茶店でても待ってますよ」
「ハボック」
「甘いものでも食べたら疲れもとれるでしょうし。だから行ってきて下さい」
 ね、と宥めるように言うハボックと渋々と頷くロイの姿を見ながらブレダは人というのは変わるものだなと思う。ハボックにまるで弱い今のロイの姿は、以前のロイを知っているものなら幻滅してしまうものかもしれない。だが、正直ブレダから見れば、誰に対してもそつのないスマートな振る舞いをしていたロイよりも、今のロイの方がずっと好感が持てる様に思えた。
「それじゃあ司令部の近くに私が気に入りの洋菓子店があるからそこで待っていてくれるか?」
「はい。マスタングさんのおススメ、教えてくださいね」
 にっこりと笑ったハボックがそう言えば破顔するロイにブレダはこっそりとため息をつく。それでも二人を車の後部座席に乗せると司令部目指して車を走らせた。

 程なくして着いた洋菓子店の喫茶コーナーにロイはハボックを連れて行く。自分のお気に入りのケーキと紅茶を注文してやるとハボックに言った。
「とっとと済ませて戻ってくる。精々1時間かそこらだろうから待っていてくれ」
「はい。ちゃんと待ってるっスからきちんと仕事してきてくださいね。いい加減にしちゃダメっスよ」
 しっかりと釘を刺されてむぅと唇を突き出すロイにブレダがくすりと笑えば途端に睨まれる。慌てて目を逸らすブレダに舌打ちすると、ロイはハボックに笑いかけた。
「いい加減にするつもりはないが1時間で戻ってくる。だから――」
「はい。絶対ここにいるっスから」
 何度も同じ事を繰り返すロイにハボックはクスクスと笑う。愛しい空色の瞳に軽く口付けたロイは、ブレダに急かされて店を出て行った。その背を見送って椅子に腰掛けなおしたハボックは、自分達をじっと見つめていた瞳があったことにまだ気付いてはいなかった。

「大佐!」
「マスタング大佐っ」
 司令室に入った途端フュリー達が満面の笑みで迎えてくれる。「よかったですね」と口々に言うのに手を上げて礼を言うとロイは執務室へと入っていった。
「大佐」
 中へ入れば書類に目を通していたホークアイが視線を上げる。ロイはホークアイに頷くと机を回り椅子に腰掛けた。
「色々すまなかったな、中尉。君には感謝してもしきれない」
 そう言えば鳶色の瞳が優しく微笑む。
「あのままでは腑抜けていて使い物になりませんでしたから」
 そんな言い方をしながらも慈愛に満ちた微笑みにロイが「ありがとう」と呟けば、ホークアイは早速とばかりに書類を差し出す。
「こちらとこちら、それからこれも、至急目を通してください。それから――」
「おい。ブレダ少尉は至急の案件が2件と言っていたぞ」
 随分多いじゃないか、と文句を言うロイにホークアイが言った。
「全部すんだら大佐には1週間の休暇申請が許可される事になっています。それとも2件だけ済ませて、後は明日に回されますか?」
 澄まして言うホークアイをロイは軽く睨む。
「随分と意地が悪いな、中尉」
 それでもそう言って苦笑すればホークアイが笑った。
「色々大変でしたから。多少の意趣返しは赦されるかと」
「確かに君にはその権利があるな」
 降参とばかりに手を上げると、ロイはホークアイに笑い返したのだった。

「は…」
 ハボックはロイが選んでくれたケーキを口に運ぶとホッと息を吐く。ケーキの上品な甘さは疲れた体にじんわりと染み入るようで、ハボックはゆっくりとケーキと紅茶を口に運んだ。こうしてロイの気に入りの喫茶店でロイの選んだケーキを食べてロイを待っているということが、ハボックには正直信じられなかった。
(ウソみたいだ、こうしてマスタングさんを待っているなんて)
 想うことすら赦されないと、そう思っていた時もあったのに。そう考えてほんの少し目を細めた時、不意にテーブルに落ちた影に視線を上げたハボックはその先に捕らえた姿に目を見開いた。ギラギラと怒りに目を輝かせた男の顔は。
「シュトフ大佐…」
 驚愕に掠れた声でそう呟くハボックにシュトフは銃を突きつける。それを目にした女性客が悲鳴を上げるのに、シュトフは窓ガラスに向けて銃を一発発射した。
「きゃあああっっ!!」
 ガシャーーンッッ!!と音を立てて割れるガラスに店内が騒然となる。シュトフは窓に向けていた銃を再びハボックに突きつけると言った。
「立て」
「どうしてここに…。逮捕されたって…」
「立てぇっっ!!」
 大声を上げるシュトフにビクリと体を震わせるとハボックはゆっくりと立ち上がる。シュトフはハボックの背に銃を突きつけると、恐怖と驚きに凍りつく客達の間を抜けてハボックとともに店の外へと出て行った。


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