| 菫青石の恋 第二十三章 |
| 星も凍えるような寒い夜、それでも身を寄せ合っていれば上着の下の体は十分に温かかった。うとうととまどろむハボックの瞳を閉じた幼い表情にロイは胸が締め付けられてハボックをギュッと抱き締めた。出来ることなら時間を巻き戻して、初めてハボックと出逢った夜に戻れればいいとロイは思う。あの時胸に湧き起こったものが一体何なのか、理解しようともせずにハボックの手を離してしまった。あの頃の自分は恋のときめきも愛の優しさも知らなかった。知らぬまま時を過ごし、そうしてやっと今、知ることが出来たのだ。 「愛してる、ハボック…」 今、自分が抱きしめている気持ちを表すのにそんな言葉では足りない気がする。だが、それ以外に言葉がないことも真実で。 ロイはハボックを抱き締めるとそっと目を閉じたのだった。 「村だ」 遠くに立ち並ぶ家々の影にロイが言う。半歩遅れて歩いていたハボックを振り返ればホッとしたように笑う顔に、ロイは頷くと歩調を速めた。村の中に入り小さな宿屋に部屋を取るとロイはハボックを部屋へと連れて行く。ベッドに腰かけさせるとその瞳を覗き込むようにして言った。 「私はこれから司令部に連絡と、あと服やらなにやら当座必要なものを買ってくる。お前はここで休んでいなさい」 「マスタングさん、先にイーストシティに帰って下さい。オレ、体調がよくなったら追いかけるっスから」 「馬鹿言うな。帰るときは一緒だ」 「でも、仕事があるでしょう?」 「仕事なんてクソ食らえだ」 ロイの言葉にハボックが驚いて目を瞠る。ロイはハボックの頬を撫でると言った。 「私にはお前の方が大事だ。私の代わりにサインをしたり指揮を執ったりする事が出来る人間はいるが、私にとってお前の代わりになる人間はいないんだ」 「冗談でしょう?アンタの代わりになる人間なんてそうそういやしないっスよ。オレの代わりなんて掃いて捨てるほどいるで――」 そこまで言ったとき、ハボックの頬で乾いた音が鳴る。自分の頬が叩かれたのだと気付いて、ハボックは驚いたようにロイを見つめた。 「いい加減にしろ。今度お前を貶めるようなことを言ったら、たとえお前でも赦さんぞ。お前が大事だ。代わりになるヤツなんてどこを探してもいない。例えお前がなんと言おうとも、もう離してなどやらない」 「マスタングさん…」 目を見開くハボックにロイは噛み付くように口付ける。きつく舌を絡めてから唇を離すとハボックに言った。 「ここで待っていろ。どこにも行くんじゃないぞ」 ロイはそう言うとハボックを置いて部屋を出て行く。残されたハボックはロイが口付けた唇に指を這わせると、そっと目を閉じた。 『大佐っ?大佐なんですかっ?!』 受話器の向こうで叫ぶブレダの声にロイは思わず耳を離す。暫くの間ワイのワイのとがなり立てる声が続いたと思うと、ホークアイが電話口に出た。 『大佐、今どちらですか?』 「フィノという村だ。ハボックも一緒だ」 『見つかったんですか?!…よかったですわ』 「ありがとう。それでこれからのことなんだが」 ロイはホークアイにこれからの事を手短に話す。必要最小限のことだけ告げると今度は買い物へと向かった。次々と買い物を済ませると飛ぶようにして宿屋へと戻る。とにかくハボックの傍を離れているのが不安で堪らなく、ロイは乱暴に扉を開けると部屋に飛び込んだ。 「ハボック?」 まだ明るい筈の部屋はカーテンが引かれ、ベッドの上でブランケットが塊りになっている。ロイはそっと近寄るとブランケットから覗く金色の頭にホッと息を吐いた。小さく丸まるように手足を縮めて眠るハボックの髪をそっと撫でるとロイはブランケットごとハボックの体を抱き締める。その眠りを妨げるものからハボックを守るように、ロイは抱く腕に力を込めた。 「すみません、オレ、すっかり眠り込んじゃって…」 陽が沈んで暫くしてから目覚めたハボックは恥ずかしさに顔を紅くしてそう言う。ロイが帰るまでのちょっとの間とベッドに入ったつもりがすっかりと寝入ってしまった。申し訳なさそうに体を縮めるハボックにロイが笑う。 「ちゃんと眠れてなかったんだろう?休めたのならそれが一番だ」 ロイはそう言うと買ってきた着替えを出した。 「どうする?先にシャワーを浴びるか?腹がすいているなら食事を先にするが」 「マスタングさん、腹すいてるでしょ。先に食事に――」 「ハボック」 言葉を遮られた上、ジロリと睨まれてハボックは口を噤む。チラリと上目遣いにロイを見ると言った。 「えと…じゃあ、先にシャワーを浴びてきてもいいっスか?」 「勿論。タオルは中に置いてあるから」 そう言われてハボックは立ち上がると着替えを手にバスルームへと消える。暫くして聞こえてきた水音を聞きながらロイは窓辺に寄ると外を眺めた。満天の星空を見上げて夕べのハボックの言葉を思い出した。 『毎晩、星空を見上げて寝てました』 そう言った空色の瞳が嬉しそうに笑う。 『アンタの瞳みたいだなぁって』 ハボックが夜空にロイの瞳を見ていたなら、自分は晴れ渡る空にハボックの瞳を見ていた。ずっと手を伸ばし続けてやっと引き寄せることが出来た空にロイはホッと安堵の息を漏らしたのだった。 宿のすぐ近くのレストランというよりは食堂と言った感じの小さな店でロイとハボックは遅い夕食を取っていた。暫くちゃんとした食事を取っていなかった様子のハボックの為にロイはなるべく腹に優しい、栄養のありそうなメニューを選んでやる。ハボックはロイの気遣いに感謝するように笑うとゆっくりと食事を続けた。 「これからどうするんスか?」 ハボックが食事の合間にロイに聞く。ロイは手にしたフォークを置くと答えた。 「とにかく、ここで2、3日休んで――」 「オレなら今夜一晩休めば大丈夫っス」 即座にそう口を挟むハボックをロイは睨む。だが、ロイが口を開く前にハボックが言った。 「マスタングさん、オレ、遠慮も我慢もしてないっス。嫌なんです、最初っからアンタの足を引っ張るような真似。オレ、アンタのお荷物になるくらいなら一緒にいたくないっス」 「ハボック!」 声を荒げるロイにハボックは笑う。その笑みに飲み込まれたように言葉を失くすロイに言った。 「大丈夫っスから。疲れたらちゃんと休みたいって言います。だから帰りましょう。その方が結果的にはゆっくりできるだろうし」 ね?と、首を傾げるハボックにロイはため息をつく。眉間を指で揉むと言った。 「本当に疲れたらちゃんと言うんだろうな」 「はい」 「ムリはしない?」 「はい」 ニコニコと笑いながら答えるハボックにロイはもう一度大きなため息をつく。それでもハボックが意見を変えるつもりがないことを見て取ると不承不承頷いた。 「約束だからな。ちゃんと言わなかったら今の倍太るまではそこから一歩も動かんぞ」 半ば本気でそう言えばハボックがくすくすと笑う。 「倍に太ったら動きたくても動けなくなっちゃうっスよ」 「それもいいかも知れんな」 その言葉に隠されたロイの真意を感じ取ってハボックは僅かに目を見開くとロイを見た。一つ瞬きすると言う。 「マスタングさん、オレ、もうどこにも行きませんから」 「ハボック…」 「ずっとアンタの傍にいますから。アンタが嫌だって言っても離れないっスから」 「…嫌だなんて言う筈がないだろう。もうずっと長いこと探し続けていたんだから」 そう言ってみてロイはやっと気付いた。初めて会ったあの日から多分自分は無意識にこの空色を探し続けていたのだろう。まっすぐに見つめてくる黒い瞳にハボックが笑う。 「オレも同じっスよ、マスタングさん」 そう言うとそっと握り締めてくる手を、ロイはギュッと握り返した。 |
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