| 菫青石の恋 第二十二章 |
| 濡れそぼった体に風はとても冷たかったけれど、心はとても穏やかで暖かだった。二人は身を寄せ合うようにして歩いてハボックが寝泊りしている場所までたどり着く。とても人が住むような場所とは思えぬそこに、ロイは目を丸くして建物を見上げた。 「この村には人が住んでいるのか?」 外と大して変わらぬ気温の家の中でロイがそう聞く。ハボックはバッグの中からゴソゴソとタオルを取り出しながら答えた。 「行く宛もない人たちが何人か住んでるっスよ。5軒か…6軒か。まだここに住んでる人がいるなんて、外の人間は 誰も思っちゃいないでしょうね」 そう言ってハボックが差し出してきたタオルをロイは受け取る。濡れた髪を拭きながらぶるりと体を震わせるロイにハボックはすまなそうに言った。 「今、火、つけますから。オレの服じゃサイズ合わないでしょうけど、とりあえずそれ着て下さい」 ハボックはそう言うと暖炉に薪をくべる。その手が震えているのを見てロイは言った。 「火なら私が熾すから先に着替えろ。震えてるじゃないか」 「それはアンタも一緒でしょう。オレなら大丈夫っスから」 「ハボック」 険しい声を上げるロイにハボックは暖炉から視線を上げる。不安そうなその瞳にロイは1つ息を吐くと言った。 「私の前では何も我慢することも遠慮することもないんだ。お前はまず自分の事を考えろ」 「でも…」 ロイは手にしたタオルでハボックの髪を拭いてやる。濡れた前髪の間から覗く空色の瞳を見つめると微笑んだ。 「私はまずお前の事を考えたいし、お前にもそうして欲しいんだ」 ロイはそう言うと言葉を続ける。 「まずお前が着替えなさい。火を熾すのも私の服を出すのもその後だ」 そう言ってロイはハボックの頬に唇を寄せた。それに僅かに目を細めた後、それでもまだ不安の残る顔でハボックは立ち上がるとバッグの中から着替えを取り出す。それを手に壊れかけた扉の向こうに姿を消した。ロイはため息をつくとハボックが置いた小さな薪の中に火をつけた新聞紙を押し込む。薪に火がついたのを見ると、更に薪を足して徐々に火を大きくしていった。その頃になって着替えを済ませたハボックが戻ってくる。暖炉に火がついているのを見ると申し訳なさそうに言った。 「すみません、やらせてしまって…。今着替えを出しますから」 ハボックはそう言うと荷物の中から服をいくつか選び出しロイに渡す。それを受け取ったロイが奥へなど行かずにいきなりそこで着替えだしたのを見て、慌ててロイから目を逸らした。動揺を隠すように薪をつついているハボックにロイは手早く着替えると話しかける。 「お前、ここで食事はどうしてたんだ?」 とても食べるものなどあるとは思えぬ様子にロイがそう聞けばハボックが困ったように答えた。 「近くに住んでる人にジャガイモ分けてもらったり…後は裏手にリンゴの木があるからそれ取って食ったり…」 「…まさかろくに食べてないんじゃっ」 ロイはそう言うと同時にハボックの腕を掴む。グイと捻るようにして引き上げた体は、最後に会った時より随分と痩せていた。 「お前…っ」 そう呟いて見つめたハボックの顔色はあまり優れず、さっき抱き締めた時はやっと想いが通じたことで舞い上がってしまってろくにハボックの様子に気付いていなかった自分にロイは顔を歪める。そんなロイにハボックは苦笑すると言った。 「何をしていいか判らなくて、ずっと動いてなかったから腹もすかなかったんスよ」 そう言うハボックが、実は生きると言う事に酷く関心が薄いことにロイは気がつく。ハボックの体を抱き寄せると言った。 「これからは山ほど食べて倍くらい太ってもらうからな」 「やだな、それじゃ太り過ぎっスよ」 「お前は上背があるからそれくらいでいいんだ」 くすくすと笑うハボックにロイが大真面目に答える。ロイは暫くハボックを抱きしめていたが窓の外を見ると言った。 「ここからまともに人が住んでいる場所まで歩くとどれくらいだ?」 「そうっスね、半日とちょっとくらいじゃないっスか?」 「だったら今すぐ出発しよう」 そう言ってハボックを離すと暖炉の火を消しにかかるロイにハボックが驚いて言う。 「でも、今出たら夜になっちゃいますよ?」 「ろくに食うものもなければまともに寝るスペースもない場所にお前を置いておけるか」 怒ったように言うロイにハボックが目を瞠った。子供のような表情にロイは優しく笑うと言う。 「私はお前に出来るだけのことをしてやりたい。お前がひもじい思いをするのも寒さに凍えるのも見たくない。そしてお前と一緒に幸せになりたいんだ」 「マスタングさん…」 くしゃりと泣きそうに顔を歪ませるハボックにロイはそっと口付けた。 「愛してる、ハボック」 震える体を抱きしめて耳元に囁けば。 「オレも…」 消え入りそうな声が答えて、ロイは嬉しそうに笑ったのだった。 「荷物は全部置いていけ」 「でも…」 「新しい生活を始めるんだ。昔のものはいらん」 そう言うとさっさと家を出て行ってしまうロイにハボックはチラリと荷物を見たが、置いたままで慌ててロイの後を追う。先には行かずに出たところで待っていたロイにホッとしてその傍らに駆け寄った。 「行くぞ」 ロイはそう言うとハボックに手を差し出す。キョトンとするハボックにチッと小さく舌打ちするとその手を取った。そのまま歩き出すロイにハボックは引っ張られるように歩き出しながら言う。 「マスタングさんっ、手!」 「なんだ?」 「離してくださいっ!」 「離したらまたどこかに行ってしまうかも知れないだろう」 前を見つめながらそう言うロイにハボックは目を瞠った。それから首を振ってロイの手を引く。 「もう、どこにも行きません。アンタの傍にいますからっ…だから、手!」 叫ぶように言って手を振りほどこうとするハボックをロイは立ち止まると見つめた。 「手を繋いで歩きたいんだ」 「…オっ、オレは一人で歩きたいっス」 「何故?」 まじめな顔で聞いてくるロイにハボックは顔を赤らめる。 「だって…恥ずかしいっス…っ」 そう言って俯くハボックにロイは一瞬目を瞠ったが、くすりと笑うと言った。 「さっきキスしたろう?それより手を繋ぐ方が恥ずかしいのか?」 「だって…っ」 そう言われて顔を真っ赤にするハボックに愛しさがこみ上げてロイはハボックを引き寄せる。 「手を繋いでいたいんだ。いいだろう?」 顔を覗き込むようにしてそう聞けば、困ったように視線を彷徨わせていたハボックがおずおずと頷いた。ロイはにっこりと笑うと再びハボックの手を引いて歩きだした。 そうして手を繋いで歩いていくうち、いつしか日は傾き遠い山の稜線の向こうへと消えていった。最後の日の光が消えれば空は瞬く間に星で埋め尽くされる。数え切れないほどの星をロイは驚いたように見上げた。 「すごいな、降ってきそうだ」 呟くように言えばハボックが星空を見上げて微笑んだ。 「毎晩、星空を見上げて寝てました」 そう言うハボックを空から視線を下ろしてロイが見つめる。 「アンタの瞳みたいだなぁって」 その言葉にロイはハボックの手を握り締めた。それ以上何も言わずに歩くうち、ロイはハボックの足取りが遅くなった事に気付いて足を止める。ハッとしてロイを見つめるハボックを見返すと言った。 「疲れたろう?今夜はここで休もう」 そう言って近くの潅木の繁みに足を向けるロイの手をハボックが慌てて引く。 「オレなら大丈夫っスから。まだ歩けますっ」 「ハボック」 ロイはハボックの言葉に足を止めると振り向いた。 「言ったろう?私の前では我慢も遠慮もするなと。疲れたなら疲れたと言え」 「…すみません」 「それから、悪くないのに謝るのもなしだ」 ハボックが泣きそうな顔をするのに笑うとロイは潅木の根元の風を避けるような場所に腰を下ろしてハボックを手招く。隣に腰を下ろしたハボックの肩を引き寄せた。 「寒いだろうが少し我慢してくれ」 ロイはそう言うと上着を脱いで互いの肩にふうわりと載せる。ハボックは遠慮しようと口を開きかけたが、思い直すとロイにピッタリと体を寄せた。暫く身を寄せたまま何も言わずにいたがポツリと呟く。 「人の体温がこんなにあったかいと思ったの、初めてっス」 そう言ってロイの顔を見上げると小さく笑った。 「探してくれてありがとう、マスタングさん」 幸せそうに笑うハボックの肩をギュッと抱き寄せて、ロイはハボックの金色の髪に頬を寄せたのだった。 |
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