| 菫青石の恋 第二十章 |
| ハボックの行きそうな場所を探そうとしてロイは自分が実はハボックの事をよく知らない事に気付いた。彼が好きな場所も彼が身を寄せそうな友人の存在も。もっともその身の上を思えばハボックにどれだけそんな場所や人が存在するかといえば疑問でもあるのだが。 「ハボックのことは俺にもよく判らんのです」 何か知っていることがあるかもしれないと訪ねたブルーノはロイを前にそう言った。 「確かにアイツに客を取る方法を教えたのは俺です。でも、ここに来る前にあっちこっちと売り飛ばされたみたいで、どこから来たのかも全く…」 ブルーノはそう言うと持っていたタオルで汗を拭う。娼館が取り潰しになった今、ブルーノは倉庫街で荷運びの仕事をしていた。 「おい、ブルーノ!いつまで喋ってるんだっ!!」 「今、行きますっ!…すみません、俺、そろそろ仕事に戻らないと」 「悪かったな、仕事中に」 「いえ、お役に立てなくて」 ブルーノはそう言うと仕事に戻っていく。ロイは何ひとつ得るもののなかった事に深いため息をつくとその場を後にしたのだった。 ハボックの行く手を捜して必死に手を尽くしたロイだったがその行方は杳としてつかめなかった。まるで存在そのものがはなからなかったかのように、完全に姿を消してしまったハボックにロイの中で焦りと怒りが鬱積していく。日がたつにつれロイは気が短く、怒りっぽくなっていた。 「やり直し」 出した書類を突き返されてフュリーは恐る恐るロイを見る。何度も口をパクパクさせた後、やっとの思いで言った。 「あのっ、どこがいけないんでしょうか?」 そう聞けばジロリと睨んでくる黒い瞳に怯みそうになりながら、それでも必死にロイを見る。 「どこを直せばいいのか判れば何度も見てもらう必要もなくなりますし…っ」 既に3回書類を出している。大きなミスがあるとも思えず、勇気を出してそう聞けばロイは素っ気なく答えた。 「そんなこと、自分で考えたまえ」 それだけ言うとロイは書いていた書類に目を戻してしまう。それ以上何も言うことが出来ず、フュリーはすごすごと執務室を出た。 「…ダメだったか?」 「もう、どこを直せばいいのか判りませんよっ」 半泣きになって言うフュリーにブレダは同情のため息をつくと執務室の扉を見やる。 「あの大佐がこんなになるなんてな…」 これまでロイが幾多の女性と付き合ってきたのを見てきたが、それはいつもスマートでそつがなく穏やかなものだった。ロイが誰か一人の為に熱くなったりすることころなど見たことがなかった。ブレダは最後に目にしたハボックの姿を思い浮かべる。その明るい金色の輝きを思い出した時、頭の隅を掠めた何かにブレダは首を捻った。 「何だ?」 だが、考えてもそれ以上浮ぶものはなく、ブレダはちょうど司令室に戻ってきたホークアイに声をかける。 「中尉。大佐がへそ曲げてて書類が通んないんですよ」 「僕、もうどうしたらいいか判りませんっ」 泣きを入れる部下達の顔を見渡してホークアイはため息をつくとフュリーの手から書類を取り上げた。 「仕方のない人ね、子供みたいに」 ホークアイはそう言って執務室へと歩いて行く。扉の前で立ち止まるとポツリと言った。 「でも、初恋のようだから大目に見てあげましょう」 そう言うと、ノックをして中へと入っていく。ホークアイの言葉に目を見開いたブレダは納得したように頷いた。 「なるほど、今までのは恋じゃなかったわけだ」 それなら何があろうと平然として振舞っていられたわけだ。 「あの年で初恋ねぇ」 ブレダはそう呟くと自分の初恋はいつだったかな、などと考えたのだった。 「失礼します」 ノックに続いて入ってきたホークアイにも顔を上げようとしないロイに、ホークアイはそっとため息をつく。ロイの前にフュリーの書類を差し出すと言った。 「目を通しましたが特に不備があるとも思えません。サインをいただけますか?」 そう言えばロイが眉を顰めて睨んでくる。それでもホークアイの手から書類を取り上げると乱暴にサインをしてつき返した。 「これでいいだろうっ」 そう言って、今度は今まで見ていた書類にガリガリと書き込んでいく。まるでその書類が親の敵でもあるような扱いにホークアイははっきりとため息をつくと言った。 「大佐」 だがロイは顔を上げない。 「大佐」 僅かに責めるような響きを滲ませる声にロイはペンを放り投げると言った。 「判っている。判ってはいるんだ、中尉」 ロイはそう言うと鳶色の瞳を見返す。 「周りに当り散らしたところでどうにもならないことくらい…」 でも、どうしようもないのだと囁くロイに、かける慰めの言葉を持たない自分にホークアイはほんの少し自分を嫌悪してしまう。それでもロイを優しく見つめると言った。 「きっと見つかりますわ、きっと」 そう言ってくれるホークアイをロイは見返すと顔を歪める。 「そうあって欲しいものだ」 そう言って書類に視線を戻してしまったロイを置いて、ホークアイは執務室を出る。フュリーの書類を返しながら、ホークアイは多くの人々の羨望と憧れの的であり望めば相手に不自由することなどないであろうロイが、本当に心の底から望んでいるたった一人と通じ合えないでいることを、哀れに思ってため息を洩らした。 「ブレダ少尉、手紙が来てますよ」 フュリーがそう言って総務から届いた束の中から封筒を取り出してブレダに渡す。首を捻ってそれを受け取ったブレダは差出人の名前を確認して舌を鳴らした。 「何考えてんだ、お袋のヤツ」 わざわざ司令部気付で送って来んなよ、と文句を言うブレダにフュリーが聞く。 「何を送ってきたんですか?」 「さあな」 特に急いで送って欲しいものを頼んだ記憶もない。ちょっと厚めの封筒を丁寧にハサミで封をあければ中から出てきたのは随分と懐かしい昔の写真の山だった。 「何だこりゃ?!」 素っ頓狂な声を上げるブレダに「なんだなんだ」とフュリーとファルマンが覗き込む。ファルマンが中の一枚を取り上げると言った。 「これはまた随分と懐かしい写真ですなぁ」 「どうしたんです、突然?」 「知るかよ、こっちが聞きたいぜ」 フュリーの問いにそう答えたブレダは写真の山の中から手紙を見つける。ガサガサと音を立てて開くと声に出して読んだ。 「なになに…“昔の写真が出てきたので送ります。懐かしいでしょう?隣のヨハンが子供の頃の写真をきっかけに彼女とうまくいったそうです。お前も写真をきっかけにご縁があると良いのですが。”…って、アホかっ!」 「へぇ、じゃあこれ、お見合い写真みたいなものですか?」 「でも、会ったばかりの女性にいきなり子供の頃の写真を見せても引かれると思いますが」 「なこと、できるわけねぇだろうっ!アホか、お袋のヤツっ!」 「よほど少尉に結婚して欲しいんですね」 「ほっとけっ!」 そう言いながらも、懐かしい写真はそれだけでつい目がいってしまう。フュリーやファルマンに説明しながら次々と写真を手に取るブレダだった。 『申し訳ないです、大佐。他のところからもあたってみますんで』 「ああ、ほんの僅かなことでもいい、わかったら連絡をくれ」 『判りました』 情報屋からの電話を切ってロイはドサリと背もたれに寄りかかった。窓の外を見上げればそこには気持ちのよいほど綺麗な空色に晴れ渡った空が広がっていてロイは唇を噛み締める。 「ハボック…」 呻くように名を呼んで。 「ハボック…っ」 掌の中に顔を埋めた。正直もう、限界だった。闇雲に走り出したらハボックのところへ辿り着けないだろうか。そんなバカなことを考えて、ロイは首を振ると立ち上がる。執務室の扉を開ければ部下達が写真を前にわいのわいのと騒いでいるところだった。 「何をしてるんだ?」 そう言って近づいていけば部下達が慌てて写真をかき集める。最近機嫌の悪いロイに怒られる前に取り繕おうとしているのがあからさまで、ロイは思わず顔を顰めた。 「見せろ」 そう言って写真を取り上げたロイは目を細める。ブレダと思しき少年が川で遊んでいる写真を手に、ロイは聞いた。 「これは少尉かね?」 「えっ、はあ。突然田舎のお袋が昔の写真を送ってきたもので、つい…」 言い訳するブレダの手から更に数枚の写真を取り上げるとロイは順番に見ていく。なんてことはない懐かしい思い出に過ぎない写真の群れをロイがため息をついて放り出そうとしたとき、目に付いた一枚をロイはもう一度見直した。その写真にはブレダともう一人、金髪の少年が写っている。恥ずかしそうに笑うその少年の顔に、ロイは見覚えがあった。 「ハボック…」 まさかと思って食い入るように見つめたその顔は紛れもなく初めて出会ったころのハボックのそれで。ロイはブレダの顔を見ると物凄い勢いで聞いた。 「この写真はどうしたんだっ?!」 「え?」 「これだっ、いつどこで撮ったっ?!」 突き出された写真を受け取ってブレダは頭を捻る。 「これですか?ええと、いつだったかな。ええっと…」 苛々としている様子のロイにブレダは焦って思い出そうとするが、こういうときに限って記憶の蓋は固くなる。それでも必死に考えて、ブレダはポンと手を叩いた。 「あああ、思い出した!思い出しましたよ。これ、母方の田舎に預けられた時の写真です」 「母方の?」 「ええ、ちょうどこの頃母が病気になりましてね。田舎に預けられたんですよ。その時に撮った写真ですわ、これ」 ブレダは自分の言葉で次々と記憶が甦ったようで話し続けた。 「ろくに行ったこともないようなすげぇ田舎で、知り合いなんて当然いないし、お袋のことは気になるしで、毎日塞ぎこんでいたんですけどね。川っぺりで座ってたらこいつが話しかけてきて。10日間くらいだったかな、帰るまでの間一緒に遊んだりして…写真なんて撮ったの、忘れてましたよ」 「田舎というのはどこだ?!教えてくれっ!」 懐かしそうに語るブレダにそう聞けば不思議そうな顔をしながらも答える。 「東部のそれこそまともに列車も通ってないような田舎ですけど、行くんですか。でも、どうしてです?」 「ハボックだ…っ。お前、ハボックと知り合いだったのか?!」 「へっ?」 言われてブレダはまじまじと写真を見つめた。言われてみればあの青年の面影があるように思えて、ブレダはこの間から心に引っかかっていたことの原因に唐突に気付いて頷く。 「そうか、どっかで見たような気がしてたんですよ。いやー、忘れてた。全然思い出しませんでしたよ。ファーストネームしか聞いてませんでしたし」 何度も懐かしげに頷くブレダから場所をようやっと聞き出してロイは司令室から飛び出していったのだった。 |
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