| 菫青石の恋 第十八章 |
| ロイは司令部を飛び出すと丁度玄関前に止まっていた車に駆け寄る。運転席のドアを開ければ中にいた警備兵が驚いて顔を上げた。 「マスタング大…うわっ?!」 いきなり車から引きずりだされて警備兵が悲鳴を上げる。ロイは入れ代わりに運転席に乗り込むと、ドアを閉める間ももどかしく車を発進させた。 「マスタング大佐!」 訳が判らず叫ぶ警備兵を置き去りにロイはアクセルを踏み込んで一気に加速する。ぶつかりそうになった車がクラクションを鳴らし、ひかれそうになった人が悲鳴を上げる中、車は歓楽街目がけて突っ走っていった。 かつて戦場に立っていた頃、己に危険を知らせてくれたチリチリと首筋を焼く小さな焔。それが今、ハボックの危機を知らせてロイの首筋を焼く。ギャギャギャと嫌な音を立てて乱暴な扱いにタイヤが不平の声をあげてもロイはアクセルを踏む足の力を緩めなかった。 運良く事故も起こさず歓楽街の狭い入口に辿り着くとロイは車から飛び降りる。目指す娼館の建物に向かって走ろうとしたロイは、賑わう人の群れに行く手を阻まれて怒りに顔を歪めた。 「どけぇっ!!」 怒鳴るロイの体からブワッと熱風の様なものが噴き出して、近くにいた通行人たちがあおられて尻餅を着く。何が起きたのかと目を丸くする人々を突き飛ばす様にしてロイは娼館に向かった。もう数えきれないほど通った娼館の建物にようやく辿り着いたロイは叩きつける様にして扉を開ける。 「ハボックっ!!」 大声で怒鳴れば男達が何事かと飛び出してきた。 「マスタングさんっ?」 その中から聞き覚えのある声がしてロイは声のした方に顔を向ける。驚いた顔をして立っているブルーノの姿を見つけると怒鳴った。 「ハボックはどこだっ?!」 「ハボックなら今エゴロフと――」 「どこだっ?!」 驚きながら答えるブルーノの言葉にロイは噛み付くように怒鳴る。ブルーノはロイの剣幕に目を丸くしながらもエレベーターを指差した。 「5階の部屋に――」 ブルーノが言い終わらぬうちにロイは弾かれた様にエレベーターに向かうと叩くようにボタンを押す。開いていく扉を待ちきれずねじ込むようにして体を中に入れるロイの後からブルーノがエレベーターに乗り込んできた。 「マスタングさん、一体どうしたんです?」 「お前の弟を殺したのはエゴロフの異母兄だ」 5と書かれたボタンを押しながら答えるとロイは開閉ボタンを苛々と押し続ける。ようやく動きだしたエレベーターののんびりとした動きに階数を示すパネルを睨み付けながら、突然突き付けられた事実を飲み込めないブルーノに言った。 「お前の弟を殺したのはエゴロフの異母兄のガルトマンという男だ。エゴロフもガルトマンも苦しめながら犯すのが趣味なんだろう」 そう言ったロイの脳裏にかつて見たひどい凌辱のあとが残るハボックの体が浮かび上がる。 「ガルトマンはそれが高じて売子をくびり殺していた。エゴロフはおそらくその話を聞いているはずだ。もしそうなら身請けの決まったハボックに何をするか――」 ロイがそこまで言った時、エレベーターがようやく5階に辿り着いた。開き始めた扉に体をぶつけながらエレベーターから降りるとロイは廊下を駈けていく。 「つ、突き当たりの部屋です…っ」 背後から聞こえたブルーノの声が示す部屋目がけて全速力で走った。厚い扉を目にしたロイは発火布をはめた手を伸ばす。 「ハボックっ!!」 叫ぶのと同時に指先から生み出された焔が行く手を阻む扉を轟音と共に吹き飛ばした。 薄暗い部屋の中、ハボックは安宿のベッドの上でゆっくりと体を起こす。初めて男を受け入れた体は全身が軋んで鉛のように重かった。 「大丈夫か?」 気遣うように尋ねる声に顔を向ければ薄闇の中、きらきらと光る黒い瞳がハボックを見つめていた。 「す、すみません、オレ…。まともに相手も出来ないばかりか後始末まで…」 途中からは痛みと快楽がごちゃ混ぜになって何が何だか判らなかった。ただ啼きながら男に縋りつき身を震わせる事しか出来なかった自分を思い出してハボックは羞恥に目を伏せる。男はハボックの金色の髪を優しく撫でると言った。 「いや、私の方こそ無理をさせてすまなかった。初めてと判っていたのに自制がきかなくなってしまった」 男はそう言うとハボックの体を引き寄せる。優しく抱き締めてくる腕にハボックは戸惑って男を見上げた。男はしばらくの間何も言わずにハボックの背を撫でていたが、ハボックの頬に手を添えるとその瞳を覗き込む。 「綺麗だな。私の昏い瞳の色とは全然違う」 「そんなこと…」 ハボックに言わせれば男の黒曜石の瞳の方がよほど美しく見えた。二人は互いの瞳を見つめあったままでいたが、突然外から聞こえた犬の吠え声にビクリと体を震わせる。それまで二人を包んでいた奇妙に穏やかで優しい空気が霧散して、ハボックはぎこちなく男から身を離した。 「もう行かないとな」 ぽつりと呟く男の言葉がハボックの心をかき乱す。叶わぬ事とは判っていながらそれでもこのまま側にいたいと思ってしまう自分に唇を噛み締めた。動く事が出来ずにいるハボックを置いて男はベッドから下りると衣服を身につけていく。シュッと上着に腕を通す音にハボックが顔を上げれば男が懐から札入れを取り出すところだった。 「いりません、お金」 考えるより先に言葉が口をついて出ていた。金など欲しくなかった。金を受け取ればただの客と男娼という立場に成り下がってしまう。男にとってはそうでしかないとしても、ハボックには金を受け取ることは出来なかった、例えそれが自己満足に過ぎなかったとしても。 「だがそれでは困るんじゃないのか?」 そう聞かれてもハボックは首を振った。 「いりません、欲しくありません…っ」 まともに出来なかったから受け取れないと言うべきだと思いつつ、そう口走ってしまったハボックは慌てて言い直そうとしたが込み上げてきたものに口をつぐむ。代わりに溢れてきたのは頬を濡らす涙だった。 「す、すみません、オレ…っ」 止めようと思えば思うほど涙は後から後から溢れてきてハボックは身を震わせる。そんなハボックを男はベッドに腰掛けると抱き締めた。 「金を受け取れないと言うならこれはお前に貸すことにしよう」 「貸す?でも返せるかどうかなんて…」 「いつか返せる時がきたらでいい」 男はそう言うと面白そうに笑う。 「それに私が無一文になった時、お前のところに行けばいいと判っていれば心強いだろう?」 男はそう言ってハボックの涙を拭った。 「泣くな。お前が泣くと空が泣いているみたいだ」 「何スか、それ」 くすりと笑うハボックに男も安心したように笑う。ハボックの頬を両手で包み込むと言った。 「もう少しだけ一緒にいてもいいか」 断られることを恐れるように囁く声にハボックは驚いて目を見開く。揺らめく黒曜石の瞳に泣きそうになりながら答えた。 「オレも…もう少しだけ一緒にいたい…です」 震える声でそう言うハボックに男は嬉しそうに笑った。男はハボックを抱きしめるとそっと口付ける。何度も繰り返される口付けが次第に深くなるにつれ、ハボックは男にしがみつくようにその背に腕を回した。ギュッと上着を握り締めれば一層きつく舌を絡められる。知らず甘い吐息が唇から零れ、気が付いたときにはベッドに押し倒されていた。 「あ…」 見上げる先に自分を熱く見下ろす黒曜石の瞳。それに答えるようにそっと目を閉じれば首筋に唇が下りてくる。始めはゆっくりと、次第に熱を上げていく愛撫にハボックは無我夢中で溺れていった。 |
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