| 菫青石の恋 第十六章 |
| ガタンと大きく列車が揺れて、ロイはハッとして目を開けた。起きていたつもりだったがいつのまにかうとうとしていたらしい。本来、東方司令部の要職を務める自分がこんなところで一人で列車に乗っているなど、ホークアイが知ったら激怒しそうだ。だが、ロイにはハボックを助ける為の大事な証拠品を誰か他の人間に届けてもらうなんてことは、考えられなかった。自分で動いていなければ怒りに任せてとんでもないことをしでかしそうな、そんな切羽詰った感情に急かされて、ロイはセントラル行きの列車に飛び乗っていた。ロイは窓から空を見上げる。星の瞬いていた空はゆっくりとその明度を増し、夜明けが近いことをうかがわせた。 ヒューズから資料を受け取ったら即、イーストシティに取って返し、シュトフを軍から叩き出してやろう。その後はエゴロフだ。自分が帰るころには情報屋の男が某かの事実を掴んでいるかもしれない。もしそうでなければ事件をでっち上げてでもハボックに二度と手出し出来ない様にしてやる。 そんな風にロイが物静かな表情とは裏腹に物騒なことを考えている間にも空は明るさを増し、列車はセントラルに向かってひたすらに走り続けていた。 「ロイ!」 改札を抜けた途端かかった声にロイは驚いて目を瞠る。駅前の広場では軍用車の側でヒューズが手を振って立っていた。 「ヒューズ?!」 足早に近づけばヒューズが手にした袋を掲げてみせる。 「おはようさん。珍しく定刻どおりだったな」 そう言いながらヒューズは袋をロイの手に押し付けた。 「ほら、とっとと持って帰れ」 「わざわざ持って来てくれたのか」 袋を受け取りながらロイが言えばヒューズがにやりと笑う。 「イーストシティまでは行けなくても駅くらいまでならな。下手に司令部に来ると引き止める輩もいるだろう」 そう言うヒューズの心遣いにロイは胸が熱くなった。 「ありがとう、ヒューズ」 「いいから、早く帰って助け出してやれ。今度こそ抱きしめて離すなよ」 悪戯っぽく言ってウィンクするヒューズの手を握るとロイは改札へと引き返す。そのロイの背に、ヒューズの声がかかった。 「中尉から伝言!言い訳は後でじっくり聞かせてもらうから、とっととやること片付けて来いってさ」 その言葉に肩越しに振り返ったロイは大きく目を見開く。それから泣き笑いのような表情を浮かべると手を振って、今度こそ改札の中へと消えていった。 「頑張れよ、ロイ」 朝の光の中、ヒューズは全てが終わった時にロイが笑っていられることを祈ってそう呟いたのだった。 「ああ、明後日までには全額振り込むから。…大丈夫だ、金はもうすぐ用意できる事になってる。その代わりそっちが振込みを確認したらすぐにハボックを私のところへ寄越せ、いいな」 シュトフは電話の相手に念押しすると受話器を置く。忌々しげに舌打ちすると椅子に背を預けた。 「何かと言えば“金、金”と、煩い野郎だ。これまでだって散々ふんだくったクセしてまだ足りないとかぬかしやがってっ」 シュトフはだが煙草に火をつけるとにんまりと笑う。 「だが、まあいい。これでアイツを私だけのものにできるのだからな。たっぷり可愛がってやるさ…」 そう呟いてシュトフはハボックの姿を脳裏に描いた。先日抱いた時の、シュトフの熱にその綺麗な顔を汚されながらも喘いで啼いていたハボックの姿。 「相当なスキモノのようだからな。これからが楽しみだ…」 シュトフは頭の中のハボックを思うまま嬲りながら、下卑た笑いを浮かべていたのだった。 ハボックは通りから聞こえてくる騒めきにゆっくりと目を開いた。ベッドの上に身を起こし金色の髪をかき上げる。1つため息をつくとベッドから下りて浴室へと向かった。着ていた部屋着のズボンを脱ぎ捨てるとざっとシャワーを浴びて出てくる。ぱたぱたと髪から滴を垂らしながら鏡を覗き込んだ。空を切り取ったような空色の瞳。その中に映る自分自身の影にハボックは自嘲気味に笑った。というのも、もし自分の髪と瞳の色が両親と同じ茶色だったらここにいたのは自分ではなくて他の兄弟だったのだろうかなんて考えが頭をよぎったからだ。 (バカバカしい…もし、なんて考えても仕方ないのに) そう思いながらも次々と浮んでくる「If」 もし、ここへ来たのが自分でなかったら。 もし、最初に自分を抱いたのがマスタングさんでなかったら。 もし、マスタングさんに恋心を抱いたりしなければ。 もし、シュトフに身請けされることがなかったら。 もし。 昨日マスタングさんに会えていたら。 自分は一体どうしていたのだろう。 ハボックはそう考えて蛇口を大きく捻った。ザアザアと水が流れていくのを見つめながら思う。 (結局最後にもう一度会うことすら出来なかった。つまりはそういう運命だってことじゃないか。諦めて忘れるしかないんだ) 互いに惹かれあっていたところで運命がそれを認めない。自分に指し示された道はシュトフの囲われ者になるという、それだけだ。ハボックは全てを断ち切るように目を閉じる。それから目を開くとギュッと捻って流れる水を止めた。 ロイは走る列車の窓から空を見上げる。綺麗に晴れ渡った空はハボックの瞳と同じ色で、ロイは胸が締め付けられるように切ない気持ちでいっぱいになった。早くハボックを抱き締めたい。この空と同じ色の瞳を見つめたい。その瞳が心の底から笑うところを見てみたい。 速く。 もっと速く。 ロイはレールの向かう先を食い入るように見つめながら、一刻も早くイーストシティの街並みが見えてくるのを待っていたのだった。 その頃、ロイに調査を頼まれていた情報屋の男は集めた資料を食い入るように見つめていた。男が手にした資料の中には過去十数年の娼館での事故や事件の情報が載っている。その中でも男が注目していたのはベアルファレスの館で起きた事件の資料だった。 「こんなに続けざまに売子が死んでるなんて…」 しかもその事件のどれもがまともに犯人も探し出さぬまま捜査が打ち切りになっている。 「なんでだ?これだけ人死にが続いてるだけでもおかしいのに、まともに捜査もしないなんて。それにこの重要参考人で呼ばれてるのは…」 男は顎に手を当ててずっと資料の中のある人物の名を見つめていたが、やがて受話器に手を伸ばした。 「情報屋の名に懸けて調べてやろうじゃないの」 男はそう呟くと物凄い勢いであちこちに電話をかけ始めた。 「…ボック、ハボック」 控え室でぼんやりと座っていたハボックは何度目かに自分を呼ぶ声にハッとすると顔を上げる。じっと見つめてくるブルーノの瞳と視線がかち合って、ハボックは何も言わずに見つめ返した。 「ハボック、その、俺は…」 言葉を捜して必死に自分の思いを伝えようとするブルーノにハボックは微笑む。座ったまま小首を傾げるとブルーノに言った。 「いいよ、もう。ブルーノが言いたいことは大体わかるし」 そう言ってハボックは立ち上がると言葉を続ける。 「ありがとう、ブルーノ。言う機会あるかどうか判らないから、今のうちに言っとくね。今まで色々ありがとう。もう、会えないけど、元気で」 その何もかも諦めてしまったような穏やかな空気をまとうハボックに、ブルーノは耐え切れずに声を荒げた。 「ハボックっ、お前は本当にそれでいいのか?全てを諦めてしまって、それでいいのか…っ?」 「もともと何かを望むなんてこと、出来るはずもなかったんだよ、ブルーノ。あの人が優しかったからほんの少し夢をみちゃっただけ…」 「だが、ハボック…っ」 ブルーノが何か言おうとする前に控え室の扉が開いて男が顔を出す。 「ハボック、時間!エゴロフが来たぞ」 「うん、今行く」 ハボックは男に答えるとブルーノを見た。 「じゃあね、ブルーノ」 ニコッと笑って部屋を出て行くハボックを、ブルーノは引き止めることも出来ずにただ黙って立ち尽くしていたのだった。 |
→ 第十七章 第十五章 ← |