| 菫青石の恋 第十一章 |
| 気がついたとき、ハボックは床の上にぼろきれのようになって横たわっていた。一体自分がどうなったのか、途中からは全く記憶がなく、ただ快楽と苦痛に全身を支配され壊れたレコードのように赦しを乞い続けていたことだけが頭の片隅にあった。部屋の中にはエゴロフはおらず、だがハボックは起き上がるどころか指1本動かすことも出来ない。体のあちこちに痛みが走り、特に傷つけられた蕾から流れる血が体の力を徐々に奪っていくことだけがぼんやりと感じられた。
(このまま死んでしまえばいいんだ…) そうすればもう、男に体を開いたりせずに済む。そしてなにより胸を占める苦しい恋心から解放される。 (マスタングさん…) ハボックの脳裏にロイの黒曜石の瞳が浮かび上がった。 (マスタングさん…マスタ…グさ…) ハボックの瞳が涙に霞み、ゆっくりと瞼がその空色の瞳を覆い隠していった。 エゴロフを送り出したブルーノは大急ぎでエゴロフが使っていた部屋にとって返した。いつもならきちんと客を見送るハボックが顔を見せなかったことがブルーノを酷く落ち着かない気分にさせる。ブルーノは部屋の前に立つと、そっと扉を押し開いた。部屋に入った途端、青臭い精液の匂いと錆びた鉄の匂いが押し寄せてきてブルーノは身を震わせる。慌てて薄暗い室内に目を走らせたブルーノは家具の影から覗いている脚に気付いてギクリとした。ゆっくりと椅子を回りその無残に陵辱された体が見えるとブルーノは目を見開いてワナワナと唇を震わせる。 「ハボックっ!!」 大声でその名を呼ぶと意識のないその体に駆け寄っていった。 「しっかりしろっ、ハボックっ!」 ぐったりとした体を抱き上げると部屋を飛び出しエレベーターに飛び乗る。地下の控え室に飛び込めば中にいた男達が驚いてブルーノを見た。 「ブルーノ?一体どうし――」 「先生を呼べっ!」 ブルーノはそう叫ぶとハボックの体をソファーに横たえる。その酷い有様に男達が息を飲んだ。 「ひでぇ…エゴロフにヤられたのか…?」 「おい、早く先生をっ!」 「こんな…死んじまうんじゃ…」 「縁起でもないこと言うなっ!」 口々に男達が言う中、ブルーノは怒鳴ると濡らしたタオルでハボックの体を拭いてやる。 「ちきしょう、酷い事を…っ」 ブルーノに触れられてピクリと震えたハボックの唇から聞こえた名に、ブルーノは僅かに目を瞠った。その時ドタドタと入ってきた医師に場所を譲るとブルーノは、手当てを受けるハボックを険しい顔をして見つめていたのだった。 「ブルーノ?」 『はい、ハボックのことだと伝えてくれと言ってますが』 交換手の言葉にロイは僅かに目を瞠る。視線を上げて扉が閉まっていることを確認すると言った。 「繋いでくれ」 そう言ってから暫くすると遠慮がちな男の声が受話器から聞こえてくる。 『マスタング大佐?』 「そうだ、ハボックのことだそうだな、なんだ?」 『…話がしたいんだ。2人きりで直接会って話がしたい』 そう言われてロイは目を細める。よく知りもしない男と会う約束を交わすのは東方司令部のトップにいる人間としては赦されることではないだろう。いくらロイが軍人として秀でているとは言え万が一と言うこともある。だが、ハボックのことと言われれば、例えそれがどんな相手であろうと出て行かないわけには行かなかった。 「わかった。どこに行けばいい?」 ロイに聞かれて電話の相手は暫し黙った後低い声で告げる。 『西地区にミーカーイールというホテルがある。そこで俺の名、ブルーノと言ってくれ。いつなら来られる?』 「今夜にでも」 即答するロイに相手は一瞬怯んだように黙り込んだ。それから一呼吸おくと言う。 『9時でいいか?それがだめならもっと遅い時間に――』 「9時だな。判った」 『…では9時に待ってる』 その言葉を最後に電話が切れた。ロイは受話器をそっと戻すと窓の外に広がる空を見上げたのだった。 ロイは早々に仕事を終えると少し遠回りするルートを選んで西地区に向かう。約束の時間よりはだいぶ早かったがとてもどこかで時間を潰す気にはなれなかった。指定されたミーカーイールというホテルは間口の狭い小さなホテルで、いかにも表沙汰に出来ない行為が行われていそうな薄汚いホテルだった。ロイはフロントに行くと言われたとおりブルーノの名を告げる。すると4階に案内され、ロイはベッドと小さなソファーセットが無理矢理に押し込まれた狭い部屋で相手が来るのを待った。時計の針が進むのがやけに遅く感じられる。ロイがいい加減待つ事に耐え切れなくなった頃、ようやく扉がノックされてブルーノがやってきた。 「お前は…」 ロイは入ってきたのがいつもハボックに会いに行く時部屋まで案内してくれる男だと気付いてそう呟く。ブルーノは待たせたことを詫びるとロイが座るソファーに向かい合うように腰を下ろした。 「待たせてすまなかった、ちょっと店の方が立て込んでいて――」 「言い訳はいい。用件を言え」 きつく遮る言葉にブルーノは口を噤む。ロイをじっと見つめるとゆっくりと口を開いた。 「ハボックを追い詰めるのはやめてくれ」 そう言われてロイは目を見開く。尋ねる視線を向ければブルーノが言葉を続ける。 「突然アンタと会いたくないと言い出した。それはアンタがハボックを追い詰めるような何かを言ったんだろう?その所為でアンタと会いたくないと言った挙句、ハボックのヤツ、こともあろうにエゴロフなんかと…っ」 「エゴロフ?ゲオルギー・エゴロフのことか?ああ、待て。お前の言っていることはさっぱり判らん。私がハボックを追い詰めてる?訳も判らず避けられているのは私の方だ。どうしてハボックは私と会おうとしないんだ?!」 詰るようなロイの言葉にブルーノは押し黙る。ロイをじっと見つめると探るように聞いた。 「ハボックに何も言ってないのか?」 「会うことも出来ないのに何を言うっていうんだ」 ロイの言葉にブルーノは考え込むように黙り込む。暫くして口を開くと言った。 「セントラルから帰ってから様子がおかしかったんだ。最初はシュトフに酷い事をされたんだと思っていた。だがアンタに会いたくないなんて言い出すからてっきりアンタに何か言われたんだと…」 シュトフの名を聞いて、ロイの秀麗な顔が醜く歪む。ブルーノはロイの顔に浮んだのが自分のよく知っているものだと気付いて目を瞠った。ブルーノがよく知るそれは嫉妬と呼ばれるものだった。 「アンタ…」 「…シュトフはいつもああしてハボックを抱くのか?」 ロイは嫉妬の焔をその瞳に宿して低く言う。 「セントラルから帰った後もハボックを抱いているのか?」 「アンタ、まさか…」 ブルーノは信じられない思いでロイを見た。このアメストリスでその名を知らない人などいない、イシュヴァールの英雄、焔の錬金術師のロイ・マスタングが男娼であるハボックに恋しているとでもいうのだろうか。 「アンタ、まさかハボックのこと――」 「好きだとも」 きっぱりと言われてブルーノは言葉をなくす。暫くの間ロイの黒い瞳をじっと見つめていたが確かめるように聞いた。 「ハボックのことが好きだというのか?」 「そうだ」 「アイツは男娼だぞ。アンタはこの国の英雄で――」 「私は英雄などではない」 ぴしりと遮られて押し黙るブルーノにロイは言う。 「私は英雄などではない。ただの人殺しだ。こんな私に人を好きになる資格などないかも知れないが、だが私はハボックが好きだ。アイツを手に入れたい。私だけのものにしたい」 ロイの言葉をブルーノはあっけに取られて聞いていたが気を取り直すと言った。 「アンタそれ、ハボックに――」 「伝えられるわけがなかろう、会えないんだぞ。会えなくてどうやって伝えるというんだ」 ブルーノは怒りと嫉妬と恋情に燃える黒い瞳を見つめる。ブルーノは目を閉じると深い息を吐いた。 「…馬鹿だ、アイツは」 エゴロフに犯されて傷ついたハボックがうわ言で呼んでいたのはロイだった。多分ハボックはずっとロイが好きだったのだ。だが男娼である自分を恥じて伝えることが出来なかったのだろう。挙句、シュトフに抱かれている姿を見られて絶望してしまったのだ。ブルーノはゆっくりと目を開けるとロイを見る。それから縋るようにロイに言った。 「マスタングさん。ハボックを助けてやってくれ。アイツをあそこから連れ出してやってくれ。このままあそこにいたらいずれシュトフかエゴロフか、誰かに殺されちまう」 「…何故そんなことを言う?ハボックはお前達にしてみれば大切な商品なんじゃないのか?」 ブルーノがそう言う意図が判らずロイがそう聞けばブルーノは苦く笑う。 「俺は孤児でね、弟と2人路上で暮らしてるのを娼館のオーナーに拾われたんだよ。俺は見た目がこんなだから案内や雑用なんかをやらされたが、弟はな。兄の俺から見ても可愛い子だった。無理矢理客を取らされた挙句…っ」 「…死んだのか?」 「殺されたんだっ!客だった男に首を絞められてっ!ヤりながら首を絞めるとアソコがしまって具合がいいとか言って弟を犯しながら首を絞めたんだよ…っ」 ブルーノは歯を食いしばって呻くように続けた。 「死んじまった弟を前にソイツ、なんて言ったと思う?ついうっかり締め過ぎた、だと。よがって喜んで死んだんだから本望だろうだなんて言いやがった…っ!弟はソイツに殺されたのに、ソイツは何の罪にも問われなかったんだ…っ」 ブルーノは両手で顔を覆うと低い声で言った。 「俺に弟を連れて逃げるだけの度胸があったら弟は死ななかったかもしれない…結局俺は相変わらず弟を殺したこの場所で反吐の出る暮らしを続けてる…」 ブルーノの話を険しい顔で聞いているロイを見てブルーノが言う。 「ハボックを見てると弟を思い出すんだ。俺には弟を助けてやることは出来なかった。でもアンタならハボックを助けてやることができるかもしれない」 「…ハボックは今どうしてるんだ?」 ロイがそう聞けばブルーノは眉を顰めた。 「家で休んでる筈だ。エゴロフに酷い目に合わされたから…。このままほっとけばハボックはエゴロフやシュトフに身を投げ出し続けるだろう、自分が死ぬまで」 目を瞠るロイにブルーノは言う。 「アンタしか助けられない。頼む、ハボックを助けて――」 「言われなくてもそうするさ。これ以上シュトフやエゴロフの好きにはさせない」 ロイはブルーノの言葉を遮ってそう言うと立ち上がる。ブルーノを見下ろすと言った。 「お前の弟のことは調べてやろう。時間が経っているからどの程度わかるか約束は出来ないが」 「アンタ…」 「ハボックは私が助ける。お前に頼まれたからじゃない。私がアイツを愛しているからだ」 ロイはそう言うとコートを手に部屋を出て行く。一人残されたブルーノはソファーに背を預けると深い深いため息をついたのだった。 |
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