菫青石の恋  〜 Another ending 〜


 病室の扉を開けるとロイは中へと飛び込む。ベッドサイドで座っていたブレダが立ち上がるとロイを見た。
「大佐…っ、ハボックが…っ」
 そう言って体を震わせるブレダを突き飛ばすようにしてロイはベッドに駆け寄る。そこに横たわる人物の顔を見ると目を見開いた。そっとその頬に触れたロイはその冷たさにゾッと身を震わせる。一度離した手でハボックの頬を包み込むとその顔を覗き込んだ。
「ハボック…私だ。帰ってきた、ハボック」
 ロイはそう言ってハボックに話しかける。
「どうした?遅くなったから拗ねてるのか?悪かった、だがもう帰ってきたから、怒ってないで目を開けてくれ」
 そう言って話し続けるロイにブレダが顔を歪めた。
「たいさ…ハボックは、もう…っ」
「…待っていると言ったんだ。ハボックは私を待っていると」
 ロイはそう言うとハボックの髪をかき上げる。
「待たせてすまなかった。ハボック、私だ。目を開けてくれ」
 そう囁いてロイはハボックに唇を重ねた。冷たいそれに顔を歪めるように笑うと言う。
「バカだな、また外で待っていたのか?こんなに冷え切っているじゃないか…」
 そう言うとロイはハボックを温めようとするようにその体を抱き締めた。ブレダはそんなロイをそれ以上見ていることが出来ずに病室を出て行く。廊下で涙を浮かべて立っているホークアイに気付いてその顔を見つめた。
「どうして、こんなことに…」
 呻くようにそう呟くと、病室から聞こえてくるハボックを呼ぶロイの声から逃げるようにその場を離れたのだった。

「もう随分と前から具合が悪かった筈です。もっと早く見せてくれていれば何とかなったかもしれませんが…」
 そう説明する医者の声をロイはぼんやりと聞いていた。何度呼びかけてもハボックは目を開けず、温めようと抱き締めた体にロイの温もりは移らなかった。ロイは無表情な顔で医者を見つめると聞く。
「もっと早く見せていればハボックは助かったのか?」
「判りません。でもその可能性はあったと思います」
 医者の言葉にロイは「そうか」と呟いた。その脳裏に自分を見つめて微笑むハボックの顔が浮かぶ。家を開ける前に交わした会話が蘇った。
 ――ずっと顔色がよくないだろう。一度医者に行った方がいいんじゃないのか?
 ――たいしたことないっスよ。オレ、季節の変わり目って体調崩しやすいんです
 そう言ったハボックの言葉を鵜呑みにした。あの時引き摺ってでも医者に見せていたらこんなことにはならなかったに違いない。
(私が死なせたんだ…)
 誰よりも愛していた。絶対に離さないと言い、大切に守り幸せにすると誓ったのに。
 ロイはいつかハボックを抱いて強引に引きずり出した言葉を思い出す。
 ――何を願ったんだ、ハボック…?
 ――ヒ、アッ…アンタとずっと…一緒にいたいって…アアッッ!!
 その記憶に引きずり出されるようにロイの目の前にハボックの困ったような笑顔が浮かんだ。
 ――願い事は口に出したら叶わないっていうのが相場でしょ
(私がハボックを死なせた…)
 そう思ったロイの心の中からハボックの幸せに包まれた笑顔が次々と消えていく。そうして最後にロイの心に残ったのは涙に濡れて哀しみと絶望に凍りついた空色の瞳だけだった。

「大佐、こちらの書類もお願いします」
 そう言ってホークアイが差し出す書類をロイは受け取る。サッと目を通すとサインをしたためて返した。
「他に急ぎの書類は?」
「今日はこれが最後です。もうお帰りになっていただいても大丈夫です」
 そう言えばロイは机の上に置いた自分の手を見つめる。その左手の小指には金色のリングがあった。
「今夜は小隊の夜間訓練があったな」
「はい」
「私も参加しよう」
 そう言って笑うロイにホークアイが眉を顰める。
「今日はもうお帰りになって下さい」
「どうして?私が訓練に参加したら邪魔かね?」
「根を詰めすぎです。少しはお休みになりませんと」
 気遣う色を浮かべる鳶色の瞳をロイは見返すと言った。
「休めないんだよ、中尉。私にはもう、安らぐ場所がないんだから」
 そう言って笑うロイの顔にホークアイはゾッとする。虚ろな黒い瞳にホークアイはロイが失くしたものの大きさを改めて思い知らされたのだった。

「よお、久しぶりだな、少尉」
 イーストシティの駅の入口に立っていたブレダに陽気な声がかかる。振り向けばヒューズが片手を上げて立っていた。
「中佐、お久しぶりです」
 ブレダはそう答えるとヒューズを連れて車へと向かう。後部座席の扉を開いてヒューズを乗せると運転席へと乗り込んだ。ゆっくりと車を発進させると、暫くは互いに何も言わずに流れる景色を見つめる。ヒューズは明るい緑色の葉をつける木々を見ながら口を開いた。
「ロイ、どうしてる?」
「変わりありませんよ。むしろ昔より仕事が早くてサボリもしませんし、こっちとしちゃ助かるくらいです」
 ヒューズの問いにブレダが答える。再び沈黙が車内を支配し、車のエンジン音だけが響いた。
「中佐」
「ん?」
 硬い声で呼ぶブレダにヒューズが答える。ブレダは車を道の端に止めると言った。
「俺達にはどうすることもできないんです。あの件以来、大佐は変わりありません。でも変わっちまったんです。こんな言い方、おかしいと思いますけど」
「いや、言いたいことは判るよ、少尉」
「大佐の中は空っぽなんです。ハボックが全部持ってっちまった。誰もそれを埋めることなんてできません」
「……」
 ヒューズはブレダの言葉を聞きながら窓の外を見つめる。ハボックと暮らし始めたばかりの頃、電話で話したときのロイの声を思い出した。それまで聞いたことのないような温かい、幸せに満ちた声。初めて愛したハボックと言う存在が、どれ程ロイにとって大きいのか、その声を聞いただけでわかるようなそんな声。
『早くお前に会わせたいよ、ヒューズ』
 そう言って幸せそうに笑ったロイの声が蘇る。結局会うことも叶わぬままハボックは死んでしまった。
「大佐はハボックが死んだのは自分の所為だと思ってます。具合が悪いことを薄々感じていながら何もしてやらなかったって。他にも何かあるのかも知れない。とにかく、もう、俺達にはどうしようもないんです」
 そう呻くように言ってハンドルに顔を伏せてしまったブレダの大きな背中をヒューズは言葉もなく見つめる。自分を責めているのはブレダも同じだろう。いやきっと、ハボックに係わった全ての人間が多かれ少なかれ自分を責めているに違いない。ヒューズは重いため息をつくと窓の外に広がる空を見上げたのだった。


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