菫青石の恋  〜 Another ending 〜


「今頃マスタングさん、内心しかめっ面してメシ食ってるのかな」
 ハボックは時計を見上げるとそう呟く。行儀悪くソファーに寝そべると買ってきたサンドイッチを口にした。もぐもぐと口を動かしながら今朝のロイとのやり取りと思い出す。ロイが言うのは実に子供っぽい我が儘でしかなかったが、そんな風に自分を思ってくれることが、ハボックにはくすぐったくまた嬉しかった。
「明日はマスタングさんの好物を作ってあげよう…」
 ハボックはそう呟くとサンドイッチをごくりと飲み込んで体を起こす。包んであった紙をゴミ箱に放り投げるとソファーから立ち上がったハボックは突然襲った目眩に思わずテーブルに手を付いた。
「あ、れ…」
 激しい動悸と共に世界がぐるぐると回るようでハボックはギュッと目を閉じる。暫くそのまま手をついて目を閉じていると動悸も目眩も徐々に治まってハボックはひとつ息をつくとそっと体を起こした。
「疲れてんのかな…」
 きっとそうだと結論づけてハボックは上手く入らなかった包み紙を拾うとゴミ箱に入れ、リビングを出て行ったのだった。

「ご苦労だった」
「お疲れ様です、マスタング大佐」
 ロイは警備兵の声に頷いて車を降りると門をくぐる。玄関の前に背の高い姿が立っているのを見て目を瞠った。
「お帰りなさい、マスタングさん」
 春とはいえ夜はまだ寒い。ポケットに手を突っ込んで首をすぼめるようにして扉に寄りかかっているハボックの側へロイは駆け寄っていった。
「何をしてるんだ、こんなところで」
「マスタングさんのこと待ってたんスよ。そろそろ帰ってくるころかなぁって思ったから」
そう言って笑う空色の瞳にロイは胸が苦しくなる。ハボックの頬にそっと触れればそこは随分と冷たかった。
「冷え切ってるじゃないか」
「マスタングさんの手があったかいんスよ」
 ロイはハボックの頭に手を回すと引き寄せる。言葉を紡ぐ唇に己のそれを重ねればそこもやはり冷たかった。
「ここも…冷たくなってる」
「マスタングさん、酔ってます?すげぇ熱いっスよ」
 そう言ってポケットから手を出すとロイの背中に回すハボックにロイは微笑む。
「私を酔わせるのはお前だけだ…」
 ロイはそう呟くとハボックに深く口付けたのだった。

「食事はちゃんと取ったのか?」
「食いましたよ」
「何を?」
「…サンドイッチ」
 小さな声で答えるハボックをロイは睨む。
「またお前はそれっぽっちで済ませて!だからほっておけないんだ」
「ブレダと食事に行ってたらちゃんと食ったと思いますけど」
 サラリとそう返されてグッと詰まるロイにハボックがくすくすと笑う。ハボックはロイを見つめると言った。
「ねぇ、ちょっとそこまで食いに行きません?マスタングさんだってあんまりちゃんと食べてないんじゃないっスか?」
 そう言って甘えるように首を傾げるハボックにロイの顔にも笑みが浮かぶ。
「そうだな、ちょっと食べに行くか」
 ロイはそう言うとハボックの手を取ってたった今入ってきたばかりの玄関へと向かったのだった。

 軽く食事を済ませて家に戻ると順番にシャワーを浴びる。ひとつのベッドに寄り添って横になるとロイはハボックに口付けた。
「今日はもう、カンベン…」
 眠たそうにそう呟くとロイの胸に頭を寄せてハボックは眠ってしまう。ロイは穏やかな寝顔に微笑むと金色の髪を撫でた。寄り添う温もりを幸せに感じながらロイもいつしか眠りに落ちていったのだった。

「いらっしゃいま…あれ、マスタングさん」
 カランと鳴ったドアベルにケーキを載せたトレイを手にしたハボックが振り向く。店に入ってきたのがロイだと判るとハボックは眉を顰めた。
「また仕事サボってきたんスか?」
 ケーキを注文のあったテーブルに運んだ後カウンターに座るロイの側にやってきたハボックが責めるように言う。ロイはハボックを見上げてにっこりと微笑むと言った。
「休憩だよ、ハボック。あまり根を詰めるとよくないからな」
「そんな事言って、喫茶店に休憩に来る軍人がいますか?」
 呆れたように言うハボックをロイはうっとりと見つめる。ハボックはロイと暮らすようになってから何度か訪れたこの喫茶店で、マスターに乞われて週に2度ほどウェイターのバイトをしていた。
『でもオレ、迷惑かけたし…』
 バイトをしないかと持ちかけられた時、ハボックはそう言った。ロイの気に入りの喫茶店、以前、ハボックはここでシュトフに銃を突きつけられて連れ去られたことがあったが、その際シュトフが店の中で発砲し大騒ぎになったのだ。だが、ロイと一緒にくるハボックの素直な様はとても好感が持てたし、それにロイの部下から聞き及んだハボックの話に、マスターはハボックがごく普通に幸せになれる手伝いができればと思ったのだ。
『あんたが迷惑でないなら、是非手伝ってくれるとありがたいんだが』
 そう言って笑う髭のマスターにハボックの心も動く。強請るようなハボックの許可を求める声に、ロイも渋々と頷いたのだった。そうして始めたバイトだったが、マスターが期待した以上にハボックのウェイターとしての評判はよく、以前に比べて2割ほど女性客が増えていた。
「以前から人気がある店だったが、前にも増して混んでないか?」
 ロイが出されたケーキをフォークで突きながら言う。するとマスターがにっこりと笑って答えた。
「ジャンのおかげですよ。給仕は丁寧だし男前だし。女の子のファンが増えたみたいでね」
 ニコニコとそう言うマスターの言葉にロイの眉間に皺が寄る。愛想よく注文をとっているハボックの姿にロイはムカムカと腹が立った。
「おい、私以外の人間にそんな顔を見せるな」
 カウンター越しにマスターに注文を通すハボックを見上げてロイが言う。きょとんという顔をしたハボックにロイはもう一度言った。
「そんな顔は私だけに見せればいいと言ったんだ」
「そんな顔って、オレ、なんか変な顔してたっスか?」
 首を傾げるハボックをロイはチョイチョイと指で呼ぶ。なんだろうと顔を近づけたハボックの顎を掴むとチュッと口付けた。
「…っっ??!!」
 真っ赤な顔をして飛び退るハボックに店内が黄色い悲鳴に包まれたのは言うまでもない。

「全くもう、何考えてるんだか…」
 ちょっと空いて来た店内、ハボックはカウンターに寄りかかってトレイで顔の半分を隠すと独りごつ。その時、マスターに呼ばれてハボックは肩越しに振り向いた。
「店の奥の倉庫からコーヒー豆の袋をとってきてくれないか」
「判りました」
 ハボックは答えるとトレイを置いて奥へと入っていく。棚の中から頼まれたものを取り出そうと腕を伸ばしたハボックはそのままグラリと体を傾がせて慌てて棚に縋った。
「は…う…」
 ギュッと胸の辺りを押さえると荒い息を零す。暫くしてハボックはぐったりと棚に寄りかかると大きく息を吐いた。体中をべっとりと嫌な汗が流れていく。閉じた目をゆっくりと開ければ目の前がチカチカと点滅するように光った。
「ジャーンー!まだかい?」
 店の方からマスターの声が聞こえてハボックは緩く頭を振る。
「今行きますっ」
 ハボックはそう答えると棚からコーヒー豆の袋を取り出し、店へと戻ったのだった。


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