続ハイムダール国物語  第三十五章


「ロイ様……?」
 ホヅルは腕の中に倒れ込んできた細い体を軽く揺すってみる。だが、幾ら声をかけ体を揺すってみても、美しい黒曜石は瞼の裏に隠れたままだった。
「ふ……ふふ……ふふふ」
 クスリが効いて眠ってしまったロイを腕に、ホヅルは醜い顔を歪めて笑い出す。大声で笑い出しそうになって、ホヅルは慌てて辺りを見回した。
「グズグズしている場合じゃない。急いでロイ様を連れ出さなければっ」
 まだ気づかれていないとは言え、いつそこの書架の影からハボックか誰かが現れるとも限らない。一刻も早くロイを図書館から連れ出し、そして。
「ハボック王子を始末しなければ」
 折角ロイをハボックの元から助け出してもその元凶が生きていたのではいつ追っ手がかかるかも判らず、ゆっくり暮らすこともままならない。それになによりホヅルとしてはこれまでロイを好き勝手してきたハボックに復讐してやりたい気持ちもあった。
「本当なら俺と結ばれるべきロイ様を権力を笠に着て好き勝手しやがって……ッ!今こそ俺が鉄槌をくだしてやるッ!」
 ホヅルは低い声で呟くとロイを抱き抱えて歩き出す。書架の間を抜けてローゲが言っていた搬入口がある方へと向かった。
「連れ出す手筈を整えておくとか言っていたが……」
 一体どうやって連れ出すつもりなのだろう。自分では全く思いつけないだけに、本当に大丈夫なのかと俄に不安になりながら目的の場所についたホヅルは、辺りをきょろきょろと見回しながらそっと扉に手をかけた。
「む……」
 普段使われていないせいか扉が重い。ホヅルはロイを一度床に下ろすと両手でグッと扉を押した。そうすれば扉は少し抵抗したもののゆっくりと開いていく。通れるだけの隙間を開けて、ホヅルはロイの体を抱き上げた。
「っと」
 その時、どこかに引っかかってしまっていたのか、ロイが身につけているマントが軽く引っ張られる。ちょっと引けばマントを引っかけていたものはすぐに外れて、ホヅルはホッと息を吐くと扉から外へと出た。
「おい、どこだ?」
 人に聞かれることを恐れて呼ぶ声も自然と小さくなる。なかなかそれらしき人影が見えずホヅルが焦り始めた時、ゴロゴロと車輪が回る音がして荷車が姿を現した。
「遅いぞ」
 御者台に座るマントを目深に被ったローゲを見上げて、ホヅルは苛々と言う。ローゲは何も答えず御者台から降りると、荷台に積まれた書籍を運ぶ為の木箱を下ろした。ローゲはその箱の中から荷縄を取り出す。ロイの足首にローゲが荷縄を巻き付けるのを見て、ホヅルはギョッとして言った。
「おいっ、何をするッ?」
「ロイ様にはこれからこの箱の中に入って頂く。移動する間に薬が切れて驚いて暴れたりしたら危ないから、こうして動けないよう縛っておくのだ」
「いや、だが、しかし……」
「事前にこうして連れ出すという話はしていないのだろう?」
「それはまあ……そうだ」
 連れ出すためとは言え縄で縛る事を躊躇えば、ローゲに言われてホヅルは渋々頷く。ローゲはロイの両手首を縄で縛り上げると更に猿轡をかませた上にタオルで目隠しまでしてしまった。
「おい、幾ら何でもこれはやりすぎじゃないのかっ?」
「ロイ様を安全に連れ出したいのだろう?箱の中で目覚めたロイ様が状況を把握できずに暴れて箱ごと荷台から落ちたらどうするんだ?下手すると大怪我どころか命に関わるぞ。それでもいいのか?」
「ううっ」
 ローゲにそう言われれば返す言葉がない。ホヅルは仕方ないと肩を落として言った。
「判ったよ、お前の言うとおりにする。そのかわりロイ様に傷一つでもさせたら赦さねぇからなッ」
「判っている」
 歯を剥いて凄むホヅルにローゲは答える。
「判ったから早く箱の中に入れろ。箱の中に座らせるように……そうだ」
 ローゲに指示されて、ホヅルは眠るロイを書籍運搬用の木箱に膝を抱えて座るような姿勢で下ろした。
「狭くてきついでしょうが、ここを抜け出せば後は二人で幸せに暮らせます。ですからほんの少しの間待っててくださいねっ」
 ホヅルはそう言ってロイの黒髪にキスをする。ローゲはそんなホヅルを押しやるようにして箱の蓋を閉めた。
「おい、そんな蓋をして窒息したりしねぇだろうな?」
「当たり前だ。この俺様がそんなヘマをするか」
 ローゲはムッとしたよう言って箱を持ち上げる。荷台の上、他の箱の奥へ押しやると御者台に回った。
「おい、ハボック王子を始末したら俺はどこへ行けばいい?」
 さっさと行ってしまおうとするローゲを慌てて引き留めホヅルは尋ねる。そうすればマントの影から光る(まなこ)がホヅルを冷たく見下ろして言った。
「ハボック王子を始末したらお前はいつもの酒場に来い。そこに行き先を書いた手紙を預けてある」
「そ、そうか。判った」
 ちゃんと次の指示を残してあると聞いて、ホヅルはホッとして頷く。ローゲは手綱を手にするとホヅルを見下ろして言った。
「ハボック王子の息の根を止めてこい。そうすれば後はロイ王子と二人きりだ」
「おお、勿論だ!お前も途中しくじるんじゃないぞッ!一刻も早くロイ様を安全なところへお連れしろ。そして俺が行くまでロイ様が不安になったりしないようきちんとお世話するんだぞッ、いいなッ!」
「ああ。勿論丁重にお世話するさ」
 ローゲが頷いた時、一陣の風が吹いてローゲのフードを後ろへと吹き飛ばす。そうすれば醜く傷ついたローゲの笑みを浮かべた顔が露わになって、その恐ろしさにホヅルは思わず後ずさった。
「安心しろ。ロイ様は俺が丁重に取り扱う。お前はハボック王子を処分する事に専念しろ」
「わ、判った……」
 ローゲはニィと笑うと吹き飛ばされたフードを引っ張り被り直す。そうしてピシリと鞭を入れれば荷馬車はゆっくりと走り出し、徐々にスピードを上げていった。
「────よし。ハボック王子をさっさと始末してしまおう。そうしたらいよいよロイ様と……」
 道を曲がって荷馬車が消えるのを見送ると、ホヅルは今後のことを思い浮かべて下卑た笑みを浮かべながら図書館の中へと戻った。



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