続ハイムダール国物語  第三十二章


「うわあ」
 王立図書館の前に着くとその重厚な佇まいにフュリーが感嘆の声を上げる。眼鏡の奥の瞳を期待に輝かせてフュリーは言った。
「カウィルの建造物はどれも素晴らしいですが、この建物はまた格別ですね」
「このレリーフは神話に出てくる動物や植物をモチーフにしてるんだよ。子供の頃はここに来るだけでワクワクしたものさ」
「そうでしょうねぇ」
 ロイの言葉にフュリーが何度も頷く。その横でファルマンが言った。
「子供の興味をかき立てるという意味でしたら確かにこれは有効ですな。もっとも私としてはこの建物の中にあるものに興味を引かれますがっ」
 早く参りましょうッと、ファルマンは先頭を切って入口へ続く階段を上っていく。そのせかせかとした様子にクスリと笑ったロイは傍らのハボックを見上げた。
「行こうか、ハボック」
「そうっスね……」
 いつになく緊張した面持ちでハボックは王立図書館の建物を見上げる。頷いたもののハボックがさっさと行かないせいで付き従う者達が進めないでいるのを見て、ロイはハボックの手を引いた。
「ほら。別にとって食われるわけじゃなし」
「そんなこと思っちゃいないっスよ」
 不満そうに答えたハボックは、ロイの肩越しニヤニヤと笑うティワズの顔を見て垂れた目を吊り上げる。ハボックはロイの手をギュッと掴むと階段を勢いよく上がっていった。
「ロイ様、ハボック様、早く早く」
 入口で足踏みして待っていたファルマンが二人を急かす。ハボックとロイが階段を上りきると待ち構えていた図書館の館長が深々と頭を下げて二人を迎えた。
「久しぶりだね、ミミル」
「お久しぶりでございます、ロイ様」
 長い白髭を伸ばした館長はモノクルをかけた瞳を細めて言う。ロイを愛しそうに見つめる館長は百歳にも二百歳にも見えた。
「ミミルは私が生まれるずっと前から王立図書館の館長をしているんだ。ここにある本のことなら判らない事はないよ」
「へぇ、そうなんスか」
 ロイにそう紹介されたものの、ハボックはあまり気乗りしない調子で答える。ミミルはそんなハボックの様子をさほど気にした風もなく、二人を促した。
「さあ、どうぞ。ご案内いたします」
 ミミルの声に答えるように扉がゆっくりと開いていく。ロイと並んで中へ足を踏み入れたハボックは、入口のホールの向こう、ザーッと奥まで並んだ天井まで届く無数にも見える書架に目を大きく見開いた。
「すっげぇ……」
 ホールから続く入口の一つを通ってハボック達は本の森へと入っていく。そのあまりの多さにファルマンですら言葉を失う中、ミミルが言った。
「ここにはおおよそ三千八百万ほどの蔵書があります」
「えっ?三千……?」
「八百万。私がカウィルを出てからまた少し増えたかな」
 ハボックの言葉を引き継いで言ったロイが尋ねる。それに頷いてミミルは言った。
「はい。ハイムダールの本もございますよ。ロイ様が嫁がれた機会に色々集めてみましたので」
「ミミルは自分でもあちこちの国に出かけて本を集めてくるんだよ」
 驚きに口をポカンと開けたまま本を見上げて歩くハボックにロイが言う。あまりに圧倒的な蔵書量に圧倒されて無言のまま歩いていたハボックは、暫くして本からロイに視線を移して言った。
「ねぇ、さっきここにある本のことなら判らない事はないって言わなかったっスか?」
「言ったよ」
「三千八百万あるんスよね?」
「そうだな」
 まるで大したことでもないようにロイが言うのを聞いて、ハボックはミミルを見る。さっきはまるで気がない様子だったハボックの瞳に驚愕と尊敬の光が宿っている事に気づいて、ミミルは笑みを浮かべた。
「ご希望の本をお探ししましょう。どうぞ仰ってください」
「えっ?ええとっ」
 唐突にそうふられて、ハボックは慌てて考え込む。手を顎に当て「うーん」と考えるハボックの後ろでファルマンがウズウズとしているのに気づいて、ロイはクスリと笑って言った。
「先にファルマンが見たい本を探してもらおう。ハボック、ゆっくり考えて」
「すっ、すんません……」
 顔を赤らめてそう言うと、ハボックはファルマンを前に通してやる。そうすればすっかり興奮しきったファルマンがもの凄い勢いでミミルに質問を始めた。
「参った……もう、びっくりしたっスよ」
 ファルマン達から少し離れてハボックがそう言うのに、ロイは笑みを浮かべる。近くの本の背表紙を指で撫でながら言った。
「ここに来ると時間を忘れたよ。自分で選んだ本を読んだり、ミミルに話を聞いたり……。懐かしいなぁ」
 言って高い書架を見上げるロイにハボックも笑みを浮かべる。
「ロイのお気に入りの場所ってここっスか?」
「そうだな……その一つってとこかな」
 ハボックに聞かれて、ロイは首を傾げて答えた。
「そうだ、あの本、まだあるかな」
「えっ?」
 不意にそう言ってロイは勢いよく歩き出す。それを追おうとしたハボックに興奮した様子でファルマンが話しかけてきた。
「ハボック様ッ、これを見てください!この本に書かれていることはきっとこれからのハイムダールに役に立つに違いありませんッ!」
「えっ?ちょ、ちょっと待って!ロイが────」
「是非同じ本をハイムダールの図書館でも置くべきですッ!他にも色々役立つ本がッ」
 興奮して本を突きつけてくるファルマンに辟易しながら何とかその矛先をかわそうとするハボックの視界からロイの姿が消えた。


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