続ハイムダール国物語  第三十一章


「おはようございます、ハボック様、兄さま」
 支度をすませ階下に降りれば、馬の首を優しく撫でて話しかけていたリザがロイたちが来たことに気づいて言う。
「おはよう、リザ」
「おはようっス」
 それに笑みで返しながらも、ハボックが小さくため息を零すのを聞き逃さず、リザは小首を傾げた。
「どうかなさいましたか、ハボック様」
「えっ?あ、いや……別に」
 聞かれてハボックは慌てて答える。別にと言った側からまたため息をつくのを聞いて、リザはロイに尋ねる視線を向けた。
「今日の視察先がちょっとね」
「楽しみっスよ!とっても!あ、そう言えば陛下の許可は貰えそうなんスか?」
 何でもないと大声で言ったハボックが明らかに話を変えようとするように尋ねるのに、ロイは笑いながらも答えた。
「急な申し出だったからね。今日は無理かもしれないけど、私たちが帰るまでには見せて貰えそうだよ」
「そうなんだ。じゃあファルマンにも言っておかないと」
 伝えてくるとハボックは逃げるようにファルマンを探して行ってしまう。その様子に目を丸くしたリザに視線を向けられたロイは苦笑して言った。
「苦手なんだって」
 図書館、と口の動きで伝えるロイに、リザが「ああ」と納得する。そんなハボックとは逆にうきうきとした様子のロイにリザは言った。
「兄さまは小さいときから図書館が大好きでしたものね」
 ヒューズに次ぐ王位継承権を持つロイは幼い頃から厳しく躾られ、また多くを学ばねばならなかった。そんなロイが唯一自由に思考を遊ばせる事が出来たのが図書館だったのだ。
「ハイムダールにも図書館はあるけどね、やっぱりカウィルのには敵わないから」
 カウィルの図書館を参考にハイムダールのそれも充実させてくれたらいい。そう言ってロイは己の馬の方へと歩いていった。


 ホヅルはロイたちの馬が繋がれた厩へと足早に歩いていく。今日これからの事を思うホヅルの醜い顔は興奮の為に赤らんでいた。
(いよいよ今日だ……ッ!今日こそロイ様と結ばれるんだッ!!)
 夕べは興奮のあまり眠れなかった。だが、今はその興奮故に睡眠不足の眠さも感じない。今日が終わる頃にはロイをこの腕に抱いているのだと思えば、大声で笑い出したい気分だった。
(いやいや、ここは気を引き締めていかねばッ)
 それでも単純な頭の男なりにホヅルはそう思う。ロイを連れ出すだけでなく、今日は────。
(ハボック王子を殺す)
 家を出るとき何度も懐に入っていることを確かめた瓶を、ホヅルはもう一度確かめる。これを使ってハボックを木っ端微塵にする事を考えると、ロイを思う時とは別の興奮を感じた。
(ロイ様を好きに出来るのももう終わりだ。お前は粉々に吹っ飛んで、そして俺がロイ様と)
 今日、日が沈む頃にはロイをこの腕に抱いて、そして。
(待っていて下さい、ロイ様ッ)
 空っぽの脳味噌の中にロイを穢す妄想を詰め込んで、ホヅルは足を進めていった。


 出発前、慌ただしく準備を進める人々の間を辺りを見回しながら歩いていけば、リザと話をしていたロイが一人離れて歩き出すのを見て、ホヅルは足早にロイに近づいた。
「おはようございます、ロイ様ッ」
「ホヅル」
 満面の笑みを浮かべてそう声をかければ、振り向いたロイが笑顔を浮かべる。見事な黒馬の背を優しく撫でるロイをホヅルはうっとりと見つめた。
「今日は王立図書館ですね」
「ああ、私がとっても好きな場所だからね。今日をを楽しみにしてたんだ」
「お、俺もッ、図書館は大好きですッ」
 そう言って笑みを浮かべるロイにホヅルは言う。
(今日はいよいよ俺の妻になれるのだからなッ。そりゃあ楽しみだろう)
 自分がロイを連れ出すつもりなど判るはずもないのに、ホヅルはロイの言葉を勝手にいいように解釈する。馬を撫でるロイの手にホヅルが己のそれを重ねようと近づこうとした時、背後に近づいてくる足音がした。
「ロイ様、そろそろ出発のお時間です」
「ティワズ」
 聞こえた声にロイは答えて馬の手綱を引く。ロイに触れようとした手の行き場をなくしてホヅルはムッと唇を歪めたものの、すぐさまロイの後を追おうとしたが、その行く手を遮るようにティワズがホヅルの前に立った。
「いい加減にしてもらおう。ロイ様が優しいお方だからといってつけあがるな」
「ッ!」
 ティワズはそれだけ言うとクルリと背を向けて行ってしまう。
「こ、の……ッ」
(ロイ様は俺のものになるのを望まれているのだッ!それを知りもせず“つけあがるな”だと……ッ?!)
 歩み去るティワズの背を睨みつけてホヅルはギリギリと歯軋りした。
(いいだろう、ハボック王子だけでなくお前も一緒に粉々にしてやるッ!!)
 昏い憎悪の焔をその瞳に燃え上がらせて、ホヅルは懐の瓶を握り締めた。


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