続ハイムダール国物語  第三十章


「リザ様」
 廊下を自室へと歩いていたリザはかかった声に足を止める。脇へと目をやれば薄暗い廊下の更に燭台の明かりが届かない暗がりに跪く人影があった。
「何かあったの?」
 そう尋ねるリザに人影が頷く。
「ホヅルに接触してきた男がおりました。今身元を調査中です」
 酒場で飲んでいたホヅルにフードを目深に被った男が話しかけてきたのだという。声を潜めて話し合う中、興奮した様子のホヅルの口から何度も“ロイ様”という言葉が聞こえたのだと聞いて、リザは眉を顰めた。
「なんて身の程知らずな」
 誰から見てもロイに懸想していると知れる醜い男の顔を思い出してリザは言う。ロイが老若男女を問わず人気があるのは知っていたし、中には特別な感情をもってロイを見ている輩がいるのも知っている。だが、舐めるようにロイを見るホヅルの目つきを思い出せば、リザは嫌悪に身を震わせた。
「一刻も早く身元を突き止めてちょうだい。ホヅルを焚きつけたのがその男なら赦してはおけないわ」
「かしこまりました」
 人影はそう言って頭を下げると闇の中に消える。リザは背後を振り返り、その廊下を行った先にあるロイの部屋がある方へと目をやった。
「一言注意しておいた方が……」
 念のため注意するよう言っておいた方がいいだろうか。
「焚きつけたのが誰であれ、あの男に大したことが出来るとは思えないわね……」
 そう呟いて再び歩き始めたリザは後になってその判断を後悔することになろうとは、全く考えていなかった。


「えっ?今日は図書館に行くんスか?」
 本日の予定を聞いてハボックは眉を顰める。そんなハボックの表情に気づかず、ロイはニコニコと言った。
「子供の頃は図書館が大好きだったよ。色んな書物があって、知りたいことを色々と知ることが出来たり、自分が全く思いもしない世界に旅立つことが出来たり……。図書館に行くといつも時間を忘れて本を読みふけっていた。お前もそうだったろう?」
 言って遠くを見つめるように目を細めたロイは、ハボックから答えが返らないことに気づいてハボックに目をやる。そうすれば微妙な表情を浮かべているハボックを見て、ロイは目を見開いた。
「どうした?ハボック」
 不思議そうにロイが尋ねるのを聞いていたティワズがクスクスと笑う。空色の瞳が睨んでくるのに構わず、ティワズは言った。
「若はじっとしているのが苦手でしたからねぇ。図書館には一時間といられなかったんじゃないですか?」
「煩いな、ティ。あ、別に本を読むのが嫌いだった訳じゃないっスよ?ただあの、こうカビ臭いっていうかシーンと静まり返った雰囲気が苦手だっただけで……って、笑うなっ、ティ!」
 小さい頃からずっと側に仕えていてハボックの事を細かいところまで知り尽くした男がニヤニヤと笑っているのを見て、ハボックは顔を赤らめる。そんなハボックの幼い頃を思い浮かべて、ロイはクスリと笑った。
「確かに本を読むより剣術や馬術に精を出している方がお前らしいな」
「えーっ、オレだって本くらい読むっスよ!ティ、お前のせいだぞッ」
 ロイに変な誤解を与えてしまったじゃないかと責められて、ティワズが笑って謝る。ムスッと頬を膨らませる子供っぽい表情に、クスリと笑ってロイは言った。
「まあとにかくカウィルの王立図書館はちょっとばかり見る価値があるぞ。なにしろカウィルが出来た頃からの書物があるからな」
「それは凄いですね。読むことが出来るんですか?」
 ハボックよりもティワズの方が興味を示してそう尋ねる。ロイは残念そうに肩を竦めて答えた。
「流石に最古のものは余程特別な時でない限り手を触れることは出来ないな。保存上の問題もあるし」
「そうでしょうね。でも、折角カウィルまで来たんですからちょっと見てみたい気もします」
「そうだな、一度叔父上に頼んでみるよ」
「本当ですか?」
 パッと顔を輝かせたティワズにハボックも声を上げる。
「オレも!そんな本ならオレも見てみたいっス!」
 ティワズに張り合うように身を乗り出してくるハボックに、ロイは笑って答えた。
「判った。私もこんな機会でもなければお目にかかれないだろうから、是非ともとお願いしてみよう」
「それは楽しみです」
 ロイの言葉にティワズはそう言ってハボックを見る。
「でも若は見るだけにして絶対に触らないで下さいね。ついうっかり破いたりしたらハイムダールとカウィルの間で問題になりかねません。この間も国宝級の壺を割りそうになりましたしね」
「はあッ?ついうっかりってなんだよ!あ、あの壺の時はちょっと手が滑っただけで、オレは本来そんな粗忽ものじゃ……って、ロイまでなに笑ってんのさ!」
 顔を赤らめてムキになるハボックにロイとティワズが吹き出した。
「も、もうッ!なんだよ、二人してッ!失礼だなッッ!!」
「ごめん、ごめん、ハボック」
「すみません、若」
 そう言いながらもクツクツと笑いが止まらない二人にハボックが思い切りむくれる。そんなハボックの前にフュリーがお茶のカップを差し出した。
「でもカウィルが出来た当時の書物なんて、触っただけで壊れちゃいそうな気がしますね。僕なんて怖くて触れないです」
「そうだよ、オレじゃなくても壊すんじゃねぇの?」
 フュリーの言葉にハボックが同調して頷く。ロイは差し出されたお茶に口をつけて言った。
「そうだ、見られる機会があったらファルマンにも声をかけよう」
「うわぁ、ファルマン郷に言ったらもの凄く興奮されそうですね」
「それこそ破くんじゃないっスか?」
 何とか破くのは自分だけじゃないと認めさせたいらしいハボックに、ロイたちがまた一斉に笑った。


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