続ハイムダール国物語  第二十九章


 一日視察を終えて城に戻れば、待ち構えていたのであろうエリシアが駆け寄ってくる。今すぐお茶をと待ちきれない様子のエリシアを宥めて一度部屋に帰すと、ハボックとロイはそれぞれに湯浴みを済ませた。それから改めてエリシアをハボックの部屋に招く。そうすれば侍女を連れたエリシアがいそいそと部屋にやってきた。
「ナンナよ。ナンナのケーキはとっても美味しいのよ」
 ワゴンを押してエリシアと共にやってきた侍女が、エリシアの言葉を受けて膝を折る。笑みを浮かべるその顔が思っていたよりずっと若い事に気づいてハボックは言った。
「ケーキを焼くのが上手だって聞いたからてっきりもっと年輩だと思ってたっスよ。こんな可愛らしい人が焼くケーキならきっと……って、イテテッ!なにするんスか、ロイ」
 ギュッと脇腹を抓られて、ハボックは眉を下げてロイを見る。それには答えずロイはナンナを見てにっこりと笑った。
「久しぶりだね、ナンナ。元気だったかい?」
「はい、ロイ様。ロイ様もお元気そうでとても安心いたしました」
「今日は久しぶりにナンナのケーキが食べられて嬉しいよ」
 ロイが言えばナンナは嬉しそうに頬を染める。ナンナがケーキの支度をし始めるのを見て、ハボックはお茶を淹れ始めた。
「まあ、ハボック様!そんな事は私がッ!」
 それを見たナンナが慌てて言う。ハボックは笑みを浮かべて手を振った。
「構わないよ、ナンナ。ハイムダールでもオレが淹れてるんだ。ね?ロイ」
「ハボックの淹れたお茶は結構美味しいよ。なんといってもマニの直伝だからね」
「このお茶はマニの店のお茶なんだ。ロイってばマニのお茶が大好きでさ、新しいお茶が出るって聞くとすぐ買いに行きたがるんだよ」
「お前だってそうだろうっ?
 ロイの言葉を受けてハボックが言うのに、ロイがまた言葉を返す。その楽しそうな様にナンナは笑みを浮かべた。
「それでは私はケーキの用意をさせていただきますね」
 言ってナンナは綺麗に飾られたケーキを切り分けていく。ハボックがどうぞとエリシアにお茶のカップを差し出せば、受け取ったエリシアが香りを嗅いで言った。
「とってもいい香りね。ロイはいつもこのお茶を飲んでるの?」
「ああ、マニの店で一番最初に飲んだお茶なんだ。香りもいいけど、飲んでごらん。きっとナンナのケーキによく合うよ」
 そう言われてエリシアはフーフーと息を吹きかけたお茶を一口口に含む。そうすれば口の中に広がる甘く爽やかな味わいに目を瞠った。
「おいしい!」
「そうだろう?」
「ナンナのケーキも食べて!本当にこのお茶と合いそうよ」
 エリシアに勧められてハボックとロイは切り分けられたケーキを口にする。フルーツの酸味と軽い甘さのクリームの絶妙なハーモニーに、ハボックは笑みを浮かべた。
「旨い!すごく美味しいよ、ナンナ」
「ありがとうございます」
 ハボックの素直な賛辞にナンナは頬を赤らめて頭を下げる。パクパクとあっという間に平らげると、ハボックはおかわりと皿を差し出した。
「ハボック様、食べるの早い!」
「だって美味しいんだもん」
 ハボックの食べっぷりにエリシアが目を丸くする。それからにっこりと笑って言った。
「マニのお茶と相性抜群ですものね」
「そうそう、美味しさ倍増」
 ニコニコと笑いながらお茶とケーキを囲んで、ハボック達は楽しい時間を過ごしていたのだった。


 すぐ側に立っていたローゲをホヅルは驚いて見上げる。昏い瞳で見つめられて、ホヅルは落ち着かなげに居住まいを正した。
「アンタ……」
「どうだ?首尾良く行きそうか?」
 ローゲにそう尋ねられてホヅルは眉を顰める。グラスをグビリと呷るその不機嫌そうな様にローゲは嘲笑うような笑みを浮かべた。
「あまりよくもなさそうだな」
「鬱陶しい奴らが多くてな……」
 ホヅルはローゲの方を見ずに呟く。ガシガシと頭を掻いたホヅルは困ったようにローゲを見上げた。
「正直どうやってロイ様を救い出したらいいのか判らん。視察の時が勝負だとは思うんだが……なにかいい方法はないか?」
 そう尋ねてくる男にローゲは片眉を跳ね上げる。冷たく見つめてくる視線にホヅルが冷や汗をかき始めるに至って、漸くローゲが口を開いた。
「明日の視察はどこだ?」
「明日か?明日は確か王立図書館とそれから」
「では図書館だ。そこに入ったらロイ王子に薬を飲ませろ、いいな」
 最後まで聞かずに決行の場を図書館と決める男をホヅルは目を見開いて見つめる。ローゲはホヅルを見て言った。
「図書館の一番奥に普段は使われない搬入用の出入口がある。そこへ薬を飲ませたロイ王子を連れてこい。連れ出す手筈を整えておいてやる」
「ほ、本当かッ?」
 ローゲの言葉にホヅルは醜い顔を輝かせる。これで愛する王子は自分のものと拳を握り締めるホヅルにローゲは言った。
「ロイ王子をそこへ連れてきたらお前は一度戻れ」
「えっ?な、なんでだッ?」
 そこからすぐにロイと愛の逃避行だと心弾ませていれば、そんな事を言われてホヅルは目を剥く。
「そのまま逃げればすぐに追っ手がかかるだろう?逃げる前にハボック王子にとどめを刺してこい」
「それはまぁ、確かにそうだが」
 ロイを連れ出したらそのまますぐにも二人きりになりたくて、不満げに言うホヅルにローゲは言った。
「ハボック王子にとどめをさせば、その後はもうお前たちの邪魔をする者はいないんだぞ?二人きり、幸せに暮らせる。なに、とどめを刺すと言っても簡単だ。ちゃんと爆薬を渡してやったろう?」
「そっ、そりゃそうだが、どこかに塗らなきゃならんのだろう?まだいい場所が思いつかん」
 ハボックに気づかれず、確実に爆発に巻き込める場所などそう簡単に見つけられない。ホヅルが言えばローゲはフンと鼻を鳴らした。
「忘れたか?あの爆薬は空気に触れたら忽ち硬化する。完全に固くなったら僅かな衝撃、それこそほんの少し何かが掠めた程度で爆発するんだ。何もどこかに仕掛けなくともハボック王子のマントにでもすれ違いざまこすりつけてやればいい。そうすればハボック王子はあっと言う間にあの世行きだ」
「おお、そうか、なるほど!」
 ローゲの言葉にホヅルは感心したように頷く。そうか、なんて簡単だと大喜びするホヅルを冷たい目で見つめていたローゲが言った。
「それなら決行は明日。王立図書館で、だ。くれぐれもしくじるなよ」
「任せておけ!これで遂に俺とロイ様は……ッ」
 フフフと下卑た笑みを浮かべてよからぬ妄想に耽るホヅルをそのままに、ローゲはマントを翻して酒場から出ていった。


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