続ハイムダール国物語  第二十五章


 人通りの殆どない路地をフードを目深に被った男がランタンを手に歩いていく。入り組んだ路地の奥、古びた家の前に立つと、男は懐から鍵を取り出し鍵穴に差し込んだ。鍵を開け軋んだ音を立てて開いた扉の隙間から中に入ると後ろ手に扉を閉める。ランタンの火を部屋の隅にあるランプに移せば浮かび上がる薄暗い部屋の中、ローゲは着ていたマントを脱ぎ捨てダイニングの椅子の上に放り投げた。マントの下から現れたのは毛を短く剃り上げた頭と痩せ細った体だ。だが、なによりローゲを恐ろしげに見せていたのは右耳の後ろから首、背中へと残る醜い傷跡だった。
 ローゲは棚から酒の瓶とグラスを取り出しそれを手にドサリと椅子に腰を下ろす。酒をグラスになみなみと注ぎ一気に呷った。
「ふぅ……」
 ローゲは長く息を吐き出して乱暴に口元を手の甲で拭う。もう一度グラスを満たし、今度はゆっくりと口に運んだ。
「ふん、ホヅルとか言ったか……まったく馬鹿な男だ」
 口元を嘲笑に歪めてローゲは呟く。身の程知らずの恋心を抱く単純な男は、ローゲにとって実に使い勝手の良い道具だった。
「首尾よくロイ王子を攫えれば良し、攫えずともハボック王子と共に粉々になってしまえばそれでいい。もっとも」
 と、ローゲは目を細める。
「ロイ王子にしてみれば愛しいハボック王子と共に粉々になって死んだ方が幸せだろうがな。俺の元へ来たらその時は早く殺してくれと心の底から願う羽目になるだろうから」
 ローゲはそう言ってクツクツと笑った。
「上手く攫ってきてくれ。そうしたらあの白く綺麗な肌を剥ぎあの美しい黒髪を引き抜いてくれる。いや、あの髪に火をつけて俺と同じ醜い傷跡を残してやるのもいいかもしれん。美しい顔に醜い傷跡が残ったらさぞかし見物だろうよ。生きてハイムダールに帰ってもきっとハボック王子の手で高い塔の上に幽閉されて、王子が美しい側室と幸せに暮らすのを恨みながら一生を過ごす事になるだろうさ」
 己と同じ引き攣れた醜い傷跡を残すロイの顔を思い描いて、ローゲは低く笑う。低い笑い声が段々と大きくなり、ローゲは薄汚れた部屋の中、仰け反るようにしてゲラゲラと体を震わせた。


 遠くに聞こえる鳥の声に、ロイは閉じていた目をゆっくりと開ける。自分を起こした囀りが幼い頃よく聞いていたそれだと気づいて、ロイは笑みを浮かべてベッドの上に身を起こした。
「ふふ……懐かしいな」
 ハイムダールでも鳥の声で目を覚ますことはあるが、カウィルで耳にするものとは違う。それはそれで美しかったが、やはり故郷で聞く目覚めの囀りは特別なものがあった。
 ロイはベッドサイドのテーブルに置かれたベルを取ると一振りしてベッドに腰掛けて待つ。そうすれば間をおかずにフュリーが顔を出した。
「お目覚めですか?ロイ様」
「おはよう、フュリー。いい朝だね」
 にっこりと笑う主にフュリーも笑みを浮かべ、すぐに熱い湯の用意をする。ロイの顔を拭き手足を拭って、手早く身支度を整えていった。
「夕べはよくお休みになれましたか?」
 フュリーはお茶のカップを差し出しながら尋ねる。ロイは受け取ったカップに口をつけて答えた。
「そうだね。久しぶりにカウィルを回って、はしゃぎすぎて疲れたみたいだ。ベッドに入ったらあっという間に眠ってしまったよ」
「そうでしたか。僕は初めてのカウィルに興奮しすぎてなかなか眠れませんでした」
「カウィルはどうだい?フュリー」
 苦笑するフュリーにロイが尋ねる。そうすればフュリーが眼鏡の奥の瞳を輝かせて答えた。
「ハイムダールとは全然違いますね!初めて見るものばかりで、本当に素晴らしいです!」
 手放しで故郷を褒められればロイの顔に笑みが浮かぶ。
「今日もまた色んなものが見られるよ。楽しみにしているといい」
「はい、ロイ様!」
 元気良く頷くフュリーに、ロイは笑みを浮かべて窓の外に広がる故郷の空を見上げた。


「ああもう、朝になっちまったじゃないかっ」
 ホヅルはすっかりと明るくなった窓の外を見遣って言う。どうやったらロイと二人きりで過ごせるのか、一晩中かかって考えたがいい考えは浮かばなかった。
「仕方ない。ローゲが上手いこと考えてくれるのを待つか……それまでの間は少しでもロイ様のお側にいて、寂しい思いをさせないようにして差し上げなければッ」
 実際はホヅルが側にいなくともロイが寂しい思いをすることなどありはしなかったが、ホヅルは勝手に決めつけて拳を握り締める。だが、後少しでそんな寂しさから逃れられるからと、ホヅルは空想の中のロイに向かって言うとうっとりと目を細めた。
「そうだとも、ロイ様と一緒になれるまで後少し……。ああ、ロイ様……待っていてくださいね……ッ」
そ う呟いてホヅルは熱いため息を零す。暫くの間空想のロイとあれやこれやを楽しんで、それからホヅルは立ち上がると抽斗の中に大事にしまった二つの包みを取り出した。ロイに飲ませる丸薬が入った包みを懐にしまい、それからもう一つの包みの中を覗き込む。
「ローゲから連絡が来たらすぐ実行に移せるように、今のうちから仕掛ける場所を考えておかねば」
 瓶に詰まった爆薬を仕掛ける場所を物色するためには、あの憎たらしいハボック王子の行動を観察しておく必要があるだろう。
「ハボック王子め。今に見ていろ」
 ホヅルは憎々しげに呟いて、爆薬が詰まった瓶を握り締めた。


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