続ハイムダール国物語  第二十四章


 ハボックの唇から規則正しい寝息が聞こえてきて少しすると、ティワズはそっと部屋を出る。警備の者を除けば寝静まった城内はシンと静まり返り、廊下にポツポツと灯された蝋燭の灯りが時折風に揺れて、妖しい影を生み出していた。そんな城の中、ティワズは閉じた扉の前にじっと佇む。そうしていれば少しして、廊下を歩く靴音と共にゆらゆらと揺らめく燭台の焔が見えた。
「そろそろ来られる頃かと思っておりました」
 すぐ近くで止まった足音に、ティワズは笑みを浮かべて言う。すると燭台を手にしたリザがその鳶色の瞳でティワズを見た。
「それで?何か判りましたか?リザ様」
「────何もかもお見通しということですわね。貴方が教育係とはさぞかしハボック様は苦労されているのでしょう」
 こんな男が側にいてはハボックも大変だろうと嫌みを込めて言えば、ティワズがクスリと笑う。ムッとして紅い瞳を睨んだリザだったが、一つ息を吐いて言った。
「場所を移してもよろしいですか?ティワズ様」
「少しの間なら」
「我が国にはハイムダールの親善使節に害を成そうとする者はいません」
「若個人に対してならいたとしても?」
 そう言って見下ろしてくる紅をリザはじっと見つめる。その瞳に浮かぶのが己が兄に対して抱いているものと同じと見て取って、リザはため息をついた。
「時間はとらせません」
 言えば笑みを浮かべるティワズを促して、リザはハボックの部屋から少し離れた一角へと移動する。窓辺に燭台を置いてティワズと向き合うと口を開いた。
「ホヅルは東部出身で五年ほど前から下級騎士として城に仕えています。あの男の兄さまに対する崇拝は仲間内で知らない者はいないほどで、兄さまがハイムダールに嫁ぐ事が決まった時には相当荒れたようですわ。あんな新興の野蛮な国に嫁がせるなんて生け贄にやるようなものだ。自分がロイ様と一緒に行ってハボック王子などという成り上がりの獣(けだもの)など一太刀の元に切り捨ててやると随分と息巻いていたそうです」
 そう言えば僅かに眉を寄せるティワズにリザはクスリと笑う。
「言ったのはホヅルですわ」
「判っています」
 ムスッとして答えるティワズをリザは面白がるように見て続けた。
「ホヅルは単純で肝の小さい男です。確かに兄さまに対して尊敬以上の厚かましい感情を抱いているかもしれませんがそれだけです。本来ならその感情を実行に移せるような男ではありません」
「ではやはり誰かしら後ろにいると言うことか……。それらしい人物は誰か?」
 腕を組んで考える仕草をしたティワズはリザに尋ねる。だが、リザは首を振って答えた。
「今のところはまだ。部下に命じて調べさせているところです。────ごめんなさい、時間がかかってしまって。私が直接動ければいいのだけれど」
 すまなそうに綺麗な眉間に皺を寄せるリザにティワズが僅かに目を瞠る。それから笑みを浮かべて言った。
「仕方ありません。何も判らないのに若やロイ様から離れる訳にはいきませんから」
「一刻も早くホヅルを唆した人物を捜し出しますわ。それまでは」
「若とロイ様から目を離さないようにしましょう」
 リザの言葉を引き取ってティワズが言う。
「ハイムダールから同行してきた者たちは信頼のおける者ばかりです。とりあえずはその者たちにお二人の警護をさせましょう」
 ティワズがそう言うのを聞いてリザが顔を顰める。その悔しそうな様にティワズは笑みを深めて言った。
「ロイ様がカウィルにいた頃はいつも貴方が側で護っておられたんですね」
「兄さまを護るのが私の役目ですわ。それは昔も今も変わりません」
 そう言う鳶色に宿る強い光にティワズは目を細める。
「若の元に嫁いできたのがロイ様でなく貴方だったら今頃どうなっていたんでしょうね」
 男の身で子供を宿す事が出来ないのはロイのせいではないが、ハボックとロイの仲睦まじい様子を見ていればやはりロイが女性であったならと思わずにはいられない。目の前のリザはロイに劣らず聡明で美しく、そうであれば本来嫁いでくるはずだったリザが予定を違えず嫁いできたならと考えてしまうのは致し方のない事だった。
「もしなどと言う事を考えるのは時間の無駄ですわ、ティワズ様。それに」
 と、言っても詮無い事を口にするティワズにリザは言う。
「ハボック様は魅力的だと思いますけれど、私の好みではありませんわ」
 にっこりと笑ってそう言えばポカンとするティワズにリザはクスリと笑って窓辺に置いた燭台を手に取った。
「そろそろお戻りになった方がよろしいでしょう」
 リザはそう言ってティワズを見る。
「何か判りましたらすぐにご連絡いたします。夜分にお時間をとらせて申し訳ありませんでした。では、おやすみなさいませ、ティワズ様」
 リザは優雅に膝を折って一礼すると返事を待たずに行ってしまった。その背を見送ったティワズの唇からクッと短い笑いが零れたと思うと、ティワズは口元に手を当てクスクスと笑い出す。
「流石、ロイ様の妹君だ」
 暫くの間クスクスと笑っていたティワズはやがて笑いを引っ込めるとリザが歩み去った方を見遣った。
「本当に、貴方が嫁いできたのではなくて残念です、リザ様」
 ハボックとリザとの間に子が産まれたなら、それはきっとハイムダールにとってかけがえのない財産となっただろうに。
 ティワズは緩く頭を振って詮無い考えを追い出すとハボックが眠る部屋へと戻っていった。


 燭台を手にリザは住み慣れた城の廊下を歩いていく。薄闇に包まれた廊下を歩いていれば、つい今し方ティワズと交わした会話が思い起こされた。
『若の元に嫁いできたのがロイ様でなく貴方だったら今頃どうなっていたんでしょうね』
「くだらないことを」
 リザは眉を顰めて呟く。たらればの話などするだけ無駄だというのに。
 あの頃、リザには好きな相手がいた。それを知ったロイが自分には想う相手はいないからとリザに代わってハイムダールに嫁いでいった。「幸せになってくれ」という言葉と共にカウィルに残されたリザだったが、実のところそうはならなかった。兄を不幸に追いやってしまったかもしれないという罪悪感がリザを幸せになろうとする気持ちから遠ざけてしまった。更にリザという女性が持つ聡明さ、忠義心、意志の強さといった諸々のものが、相手の男にとって背負うにはあまりに荷が重かったのかもしれない。結局ロイがハイムダールに嫁いで間もなくしてリザは相手の男と別れ、今日に至っていたのだった。
(別に結婚に夢などないし)
 ハイムダールに嫁ぐ事はなかったが、王家の血を引く以上自由な結婚など有り得ないのだから。
(今は兄さまをお護りする事だけを考えよう)
 リザはそう考えながら薄闇に沈む廊下を歩いていった。


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