ハイムダール国物語  第九章


「ハボックっ!!」
「若っ!!」
 バルコニーから中へと入ってきたハボックは背後からは王に、前からはティワズに怒鳴られてため息をつく。
「おっ、お前は国民の前で側室はとらんなどと言いおってっ!!」
「若っ、あんな宣言のような真似をされるなんて、何をお考えなんですっ!!」
 物凄い形相で喚きたてる2人にハボックはウンザリと言った。
「だって2人して結婚前から側室とれ、側室とれって煩いんだもん」
「だもん、って、なんだそれは、ハボック!」
「側室をとるのは王位継承者として当たり前のことでしょう。それを煩いなんて…っ」
 大声を上げる2人を前にハボックは言う。
「国民の前ではっきり断言しましたからね。ロイを愛してるから側室はとらないって」
「ハボック!」
「若っ!」
「ああまで断言して側室なんてとったら、王子としての信頼をなくしますよね、オレ」
 にっこりと笑って言うハボックに王もティワズも絶句した。ハボックは言葉も発することが出来ずに3人のことを見つめているロイの手をとると言う。
「ロイは何も心配することないっスからね。さ、行きましょう」
「え、あ、あの…っ」
 ロイの手を引いてズンズンと行ってしまうハボックに引き摺られるようにして歩きながら、ロイはちらりと2人を振り返った。国民の歓声を背に何も言わずに自分達を食い入るように見つめている二対の瞳にロイはかける言葉もないままハボックと一緒に廊下を歩いていったのだった。


「お前、何考えてるんだっ?!」
 部屋に戻るなりロイはハボックの腕を振りほどいて怒鳴る。怒りと困惑に揺れる黒曜石の瞳を見つめてハボックは首を傾げた。
「何って?」
「国民の前であんなこと言うなんて…っ」
「側室をとらないってことっスか?」
「それもあるけど、あ、あんな…っ」
 ロイはそう言うと先ほどの出来事を思い返して頬を染める。こともあろうに今日始めて顔を見せたハイムダールの国民を前に愛を囁かれた上、キスまでされたのだ。思いのほか甘く柔らかだったその感触を思い出して、ロイは手の甲でゴシゴシと唇をこする。
「衆人の面前であんなこと言った上、キッ、キスなんてっっ!!」
「嫌だったんスか?」
 顔を覗き込むようにして言われてロイは真っ赤になった顔を逸らすと言った。
「私はまだお前を好きだなんていった覚えはないっ!それに側室のことだって…」
 ロイは紅い顔でハボックを見つめると言う。
「お前がハイムダールの王位継承者である限り側室をとるのは当然だろう。私だって元々そんなことは百も承知で嫁いできたんだ。別にお前が側室をとろうが気になんてしない」
「気にして下さい」
 ロイの言葉にハボックが即行で言った。驚いて目を瞠るロイの肩をギュッと掴んで言う。
「気にしないなんて、そんな冷たいこと言わないで、ロイ。オレ、ホントにアンタが好きなんです。側室なんていらない、アンタだけいればいい。オレがみんなの前でああ言ったのは、ああでもしなきゃ無理矢理にでも側室を宛がわれるって判ってたからっス。そんなの、冗談じゃない」
「ハボック…」
 目を見開いて見つめてくるロイをじっと見つめるとハボックは言った。
「アンタが好きです。今すぐでなくてもいい、オレのこと、好きになって…」
 ハボックはそう言うとロイをギュッと抱き締める。力強い腕に抱き締められてその広い胸に顔を埋めたロイは、ドキドキと胸がなるのを押さえられなかった。
「私は…」
 こんなにまっすぐで熱い好意を向けられたことなど今まで一度もなかった。ロイはハボックの腕を振りほどくことも出来ずに、ただその胸に顔を埋めていたのだった。


 暫くそうして抱き合っていた2人はやがてゆっくりと体を離す。ロイはどうしていいか判らず、ハボックから逃げるように離れると窓から外を見下ろした。ロイの耳にハボックが鳴らすベルの音が聞こえて、少しするとフュリーがやってくる。ハボックがお茶の準備を頼むとフュリーは頷いて廊下を小走りに駆けていった。カチャカチャと食器のなる音がして戻ってきたフュリーがお茶の用意をする。やがて紅茶のいい香りが部屋を満たし、フュリーは部屋を出て行った。
「どうぞ、ロイ」
 窓辺に佇むロイにハボックがカップを差し出す。ロイはそれを受け取ると柔らかい湯気にホッと息を吐いた。同じようにカップを手にしたハボックがロイの隣に立ち、その艶やかな黒髪にキスを落とした時、扉をノックする音がして声が聞こえる。ハボックはその声に眉を顰めるとロイの側を離れ、途中テーブルにカップを置くと部屋の扉を開けた。
「若」
 開いた扉の向こうに立つ紅い髪の男の姿を見て、ロイは不安にかられる。ハボックはティワズを招きいれるとそのままハボックの部屋と繋がる扉へと向かった。
「ロイ、ちょっと失礼しますね」
 ハボックはそう言うとティワズと一緒に扉の向こうへと消える。一人残されたロイは、最後にチラリと自分を見た冷たい紅い瞳に心を乱されて、手にしたカップをギュッと握り締めたのだった。


「若、私が何を言いに来たのか判ってらっしゃいますね?」
 部屋に入るなりそう言うティワズにハボックはため息をつく。自分を見つめてくる空色の瞳を見返してティワズは言った。
「ロイ様を愛されるのはいいことです。でもそれと側室の話は別問題だ。若が本気でハイムダールのことを考えるなら側室はとるべきです」
 きっぱりとそう言うティワズにハボックが悲しそうに言う。
「ティなら判ってくれると思ったのに」
「若」
「ティならオレの気持ち、判ってくれると思ったのにっ!」
 ハボックは声を荒げると窓辺に寄ってカーテンを握り締めた。ギュッと唇を噛み締めるとハボックは呟く。
「初めて好きになった人なんだ。あの人以外誰もいらない」
「貴方が王子と言う立場上、必要以上に誰かに心を傾けたりしないよう、気を配っていたのは知っています」
「だったらもういいだろうっ?!ロイは神の認めたオレの伴侶だ。誰に遠慮することなく想っていいはずだっ!」
「想うことがいけないと言っているのではありません」
 声を荒げるハボックにティワズは冷静に答える。怒りに燃える空色の瞳を見つめると言った。
「ハイムダールは若を必要としている。若と若の血を引く後継者を」
「ティっ!」
「ハイムダールは若い国です。若さゆえの勢いで急速に大きくなってしまった。だからこそ強い求心力が必要なんです」
「だからって何でオレなんだよっ!」
 ハボックは握り締めていたカーテンを振り払って怒鳴る。厚いカーテンが大きく翻ってハボックの怒りと苛立ちを表す様に揺れた。
「父上はまだ頑健だし、ブレダだっているだろう?オレなんかよりブレダの方が為政者に向いてることはティだってよく判ってるじゃないか。オレがハイムダールを治めるよりブレダが治めた方がハイムダールはより安全でより大きくなれる」
「確かにブレダ様のほうが国王には向いてらっしゃるでしょうね」
「だったらなんでっ?!」
「国を上手に治めることが出来ることだけが国王に求められることではないのですよ、若」
 強い意思を秘めた紅い瞳にハボックは唇を噛み締める。小さい時からずっと、この瞳に導かれてきた。誰よりも自分の側にいて自分を理解してくれた瞳だ。だが、ハボックはグッと拳を握り締めるとティワズをまっすぐに見返した。
「ティがオレに国王になれっていうならなったっていい。でも側室の件は譲れない。たとえティの言うことでもこれだけは譲れない」
「若…っ」
「判ってよ、ティ。オレ、ティにだけは判って欲しいんだよ」
 唇を噛み締めて俯くハボックをティワズはただじっと見つめていたのだった。


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