ハイムダール国物語  第十章


 ロイはカップを握り締めたまま窓の外を見つめていた。隣の声が少しでも聞こえないかと耳をそばだててみるが、厚い壁の向こうからは微かな話し声が漏れ聞こえるだけで、話の内容までは窺い知ることは出来なかった。
『オレ、ホントにアンタが好きなんです』
 まっすぐに自分を見つめてそう言うハボックの言葉が頭の中に響く。
『アンタが好きです。今すぐでなくてもいい、オレのこと、好きになって…』
 熱く囁く声が、抱き締める力強い腕が蘇ってロイはぶんぶんと首を振った。
「あんなこと言ってないで、とっとと側室でもなんでもとればいいんだ…っ」
 そう言った途端、胸をチリチリと焼く痛みに気付いてロイは唇を噛む。
「大体私はアイツのことなんてなんとも思ってないんだから…」
 言い聞かせるようにそう呟いて、ロイはガブリと紅茶を飲み干した。


 なかなか戻ってきそうにないハボックにロイはカップをテーブルに置くとベルを手に取る。チリンと鳴らせば程なくしてフュリーが顔を出した。
「お呼びですか、ロイ様」
 そう言われてロイはフュリーをじっと見つめて言う。
「今、時間あるかな?」
「え?」
「時間、あるんだったら少し城の中を案内して欲しいんだけど…」
 遠慮がちにそう言うロイにフュリーがにっこりと笑った。
「僕の役目はロイ様のお世話ですから。ロイ様のための時間ならいくらでもありますよ」
 フュリーはそう言うとチラリと部屋の中を見る。
「ハボック様はいらっしゃらないんですね。だったら先に着替えておしまいになりますか?」
 そう言われてロイは自分がまだ婚礼用の衣装を着ていた事に気がついた。先ほどまではハボックが一緒にいたからフュリーも着替え云々を言うのは控えていたのだろう。
「そうだな、手伝ってもらえる?」
 そう聞いてくるロイにフュリーはくすくすと笑った。
「おかしいですよ、ロイ様。僕はロイ様の小間使いなんですから、“手伝え”と仰ってください」
 フュリーの言葉にロイは僅かに頬を染める。カウィルでも身の回りの世話を焼いてくれるものはいたが、生来自分でなんでもやりたがるロイはあまり人の手を借りずに自分でやってしまうことが多かった。だが、ここでは勝手が判らないのでフュリーのような存在はなくてはならない。だからこそ、ハボックもフュリーを側につけてくれたのだろう。
 フュリーはロイの肩からマントを外すとベッドの上に置く。宝剣、ベルトと次々と外して衣装も脱がせてしまうと、新たにブラウスとズボン、紺色の上着を持ってきてロイに着せていった。上着の上から幅の広いベルトで腰を止める。
「ロイ様は何をお召しになっても素敵です」
 うっとりとロイを見上げて言うフュリーにロイは顔を赤らめた。フュリーはロイが脱いだ服や剣を手早く片付けてしまうとロイを見る。自分の仕事が完璧なのを確認して頷くとロイに言った。
「それじゃあ、お城探検に行きましょうか。どこかご覧になりたいところはありますか?」
 そう聞かれてロイはうーんと首を捻る。
「そうだな、とりあえず私がこれからの生活で最初に使うところ、かな」
「それじゃ一番最初は食堂ですね。それから大広間と礼拝堂と…」
 一生懸命指折り数えているフュリーにロイの顔に笑みが広がる。
「いいよ、思いついたところから案内して」
「はいっ、それじゃご案内します」
 にっこりと笑うフュリーに連れられてロイは部屋を出ていった。


「ロイ。…あれっ?」
 てっきり部屋にいるとばかり思って扉を開けたハボックは無人の室内に声を上げる。衣装棚を覗いて婚礼用の衣装がきちんと掛けられているのを見て、着替えて城の中を見に行ったのだろうと見当をつけた。
「待っててくれてもいいのに…」
 ハボックはそう呟くと紅茶のカップを取る。すっかりと冷めてしまったそれを啜るとため息をついた。
「ティ、呆れてたな…」
 頑として「嫌だ、側室はとらない」の一点張りだったハボックの態度に、ティワズは最後はため息を付いて部屋を出ていってしまった。ティワズには小さい時からわがままばかり言ってきた。それは数少ない心を許した相手へのハボックの甘えであったし、ティワズも大概のことは笑って、もしくは多少のお小言を言って赦してくれたのだ。
「見捨てられちゃうかな」
 そう呟いてハボックは胸が痛くなった。病弱だった母がハボックが5歳の時に亡くなって以来、父王よりも誰よりもハボックの側にいてくれたのはティワズだった。ハボックにとってティワズは特別な存在だったし、だからこそティワズにはロイとのことを認めて欲しかったのだ。冷たくなった紅茶を啜ってハボックはブルリと体を震わせる。背筋を駆け抜ける寒気が単に冷たい液体のせいなのか、ティワズとの間に生まれてしまった距離感を淋しく思ってのことなのか、ハボックにはよく判らなかった。泣き出したい気分のままぼんやりと窓の外を眺めていればノックの音と共に従兄の声が聞こえる。ハボックが答えると勢いよく開いた扉のところにブレダが立っていた。
「ハボ〜〜っっ、お前なぁっ!!」
 思い切り吠え立てようとしたブレダはハボックの情けない顔に気付いて言葉を飲み込む。部屋の中に入って扉を閉めると言った。
「おい、結婚式を終えたばっかりの男の顔じゃねぇだろ、それ」
「ブレダ…」
「どうした、ティワズに苛められたか?」
 ニヤニヤと笑って言うブレダをハボックは上目遣いに睨む。
「なんで判んだよ」
「だってお前がそんな顔するのって、ティワズにこっぴどく叱られた時だけだろ」
 そう言うブレダにハボックは窓枠に体を預けて答えた。
「側室とれって言われた」
「あっ、そうだよ、それ!お前、勝手に俺だの俺の子供だのにハイムダール任せるなんてこと言うなよ」
 ブレダが腰に手を当てて不満そうに声を張り上げればハボックが唇を尖らせる。
「だって、仕方ないだろ、いくら好きでも男同士で子供は出来ねぇもん」
「だから側室とれって言われてんだろ?」
「ヤダ」
「ハボ…」
 ムスッと口を一直線に引き結ぶハボックにブレダはため息をついた。こうなってしまっては意地でも考えを変える事のないのを小さい時からずっと一緒だったブレダにはよく判っていて、ブレダは視線を泳がせながら言う。
「ま、な。俺の子供が跡を継ぐっていうのはアリかもしれないけど…」
 そう言ってハボックの顔をまっすぐに見た。
「俺にハイムダールを任せるなんてことを言うのは早計だ。お前がどう思っていようともお前はハイムダール国の王子で第一王位継承者なんだよ。あんまり無責任なこと言うな」
「…ごめん」
 うな垂れるハボックの髪をワシワシとかき混ぜてブレダが言う。
「そんな顔すんな。まあ、確かにすごい美人だとは思うけどな」
「だろっ?それなのに自分じゃそんなことちっとも気付いてなくて、なんかポヤンとしててさー、可愛いんだよねっ。でさ、王子なのにすげぇ兵士のこととか自分の身内みたいに考えててさ。ちょっと気が強いとこなんかもあって、あの真っ黒な瞳で睨まれるとドキドキするっつうか――」
「ハ〜ボ〜、お前、それ、ティワズの前で言うなよ」
「…なんで?」
 心底判らないと言う顔をするハボックにブレダはため息をついた。
(大事に育ててきた王子がこんなじゃ、ティワズもそりゃやってられねぇよなぁ…)
 ティワズも気の毒に、と思いつつ、それでもロイのことを話し出せば酷く幸せそうなハボックの様子に、ブレダは少しでも力になってやりたいと思うのだった。


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